種類 | 株式会社 |
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機関設計 | 監査等委員会設置会社 |
市場情報 | |
略称 | 西鉄(にしてつ)、NNR |
本社所在地 |
日本 〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前三丁目5番7号 博多センタービル 北緯33度35分10.1秒 東経130度24分55.5秒 / 北緯33.586139度 東経130.415417度座標: 北緯33度35分10.1秒 東経130度24分55.5秒 / 北緯33.586139度 東経130.415417度 |
設立 |
1908年(明治41年)12月17日 (九州電気軌道株式会社) |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 4290001009413 |
事業内容 |
鉄道事業 一般乗合旅客自動車運送事業 一般貸切旅客自動車運送事業 海上運送事業 利用運送事業 航空運送代理店業 通関業 不動産の売買および賃貸業 遊園地・植物園等の経営 他 |
代表者 |
倉富純男(代表取締役会長) 林田浩一(代表取締役社長) |
資本金 |
261億57百万円 (2024年3月31日現在)[1] |
発行済株式総数 |
7936万186株 (2024年3月31日現在)[1] |
売上高 |
連結: 4116億4900万円 単独: 1657億73百万円 (2024年3月期)[1] |
営業利益 |
連結: 258億77万円 単独: 283億42百万円 (2024年3月期)[1] |
経常利益 |
連結: 245億38百万円 単独: 220億15百万円 (2024年3月期)[1] |
純利益 |
連結: 109億2700万円 単独: 283億42百万円 (2024年3月期)[1] |
純資産 |
連結: 1657億73百万円 単独: 1679億52百万円 (2024年3月31日現在)[1] |
総資産 |
連結: 7270億2百万円 単独: 6361億23百万円 (2024年3月31日現在)[1] |
従業員数 |
連結: 18,687人 単独: 4,502人 (2024年3月31日現在)[1] |
決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | EY新日本有限責任監査法人[1] |
主要株主 |
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 8.22% 福岡銀行 4.91% 日本生命保険 4.24% 西日本シティ銀行 3.81% 日本カストディ銀行(信託口) 2.90% 明治安田生命保険 2.39% みずほ銀行 1.42% 第一生命保険 1.33% JP MORGAN CHASE BANK 385781 1.33% 損害保険ジャパン 1.20% (2024年3月31日現在)[1] |
主要子会社 | 「西鉄グループ」を参照 |
関係する人物 | 「西鉄に関係する人物」を参照 |
外部リンク |
www |
西日本鉄道株式会社(にしにっぽんてつどう、英: Nishi-Nippon Railroad Co., Ltd.[2]、NNR)は、福岡県を基盤に鉄道、路線バスなどの運営を行う会社で、日本の大手私鉄の一つである。一般的には西鉄(にしてつ、Nishitetsu)として知られている。公共交通機関の経営以外にも国内外で幅広く事業を展開し(「国際物流事業」「その他の自社直営事業」参照)、西鉄グループの中心となる会社でもある。
本社所在地は福岡県福岡市であるが、同市中央区の天神地区の再開発に伴い、天神の福岡ビルから博多区に所在する博多センタービルに仮移転している。2025年春に建て替え後の「ONE FUKUOKA BLDG.」(ワン・フクオカ・ビルディング)に移転する予定で[3]、約6年ぶりに本社が同社の本拠地である天神に戻る[4]。
なお、大阪府大阪市に本社を置き、北陸・近畿・中国地方および福岡県の一部を営業エリアとする西日本旅客鉄道(JR西日本)との関連はない[注 1]。
福岡県内で天神大牟田線、太宰府線、甘木線、貝塚線(旧・宮地岳線)の4つの鉄道路線、および路線バス・高速バスなどを運営するほか、国際貨物(輸出入)、不動産業、レジャーサービス業なども行っている。福岡県内に留まらず日本全国、さらには海外でも事業を行っている。
鉄道事業の通称は西鉄電車(にしてつでんしゃ)、バス事業の通称は西鉄バス(にしてつバス)である。バス事業は福岡県内を中心とした路線バスや、九州や本州の各都市を結ぶ高速バスを運行しており、その規模は日本最大級である。鉄道事業の規模も日本の民鉄業界の中でも比較的大きく[注 2]、首都圏・中京圏・京阪神圏の三大都市圏以外の鉄道会社としては唯一大手私鉄の中に含まれる。日本の大手私鉄の中では唯一本州以外で鉄道事業を展開しており、営業エリアが最も西に位置している。
本線格である天神大牟田線のターミナル駅である西鉄福岡(天神)駅は、九州最大の繁華街である福岡市の天神の中心に位置している。同駅周辺には、駅ビルのソラリアターミナルビルやソラリアプラザ、西鉄天神高速バスターミナルなど西鉄グループの施設が集積している。2019年に天神ビッグバンの影響で一時的に博多駅前に移転するまでは、天神にある福岡ビルに本社を置いていた。
1908年に現在の福岡県北九州市で創業した九州電気軌道が前身[6] で、2018年に110周年を迎えた(傍系の博多湾鉄道汽船は1900年創業)。かつては福岡市内線や北九州線などといった路面電車も有していた[6] が、(事実上の)全面廃止を受けて、都市間高速電車として発展を続けていた大牟田線(現・天神大牟田線)にその中心がシフトした。現在は同路線が鉄道・バス部門における大動脈を担っており、利益捻出の柱ともなっている。
グループ全体でのコーポレート・スローガンは「まちに、夢を描こう。(英語版:Connecting your dreams)」(2014年9月22日から[7])。
西日本鉄道は、1908年(明治41年)に設立され、1911年(明治44年)に開業した九州電気軌道(九軌)が前身である[6]。これに先立つ1902年(明治35年)には太宰府馬車鉄道(1913年に太宰府軌道と改称、1934年九州鉄道に合併)が二日市 - 太宰府間に馬車鉄道を開業している。1910年(明治43年)には福岡市内で福博電気軌道が、翌1911年には博多電気軌道が路面電車の運行を開始[6]。両社は後にそれぞれ東邦電力と九州水力電気に吸収されるが、1934年(昭和9年)に福博電車が双方の軌道事業を引き継いだ[6]。一方、1924年(大正13年)には九州鉄道(九鉄、国有化された1887年設立の九州鉄道とは別)が福岡駅 - 久留米駅間で高速電車を開業(現・天神大牟田線)し[6]、その約1か月後に博多湾鉄道汽船(湾鉄)が新博多駅(後の千鳥橋駅) - 和白駅間で現在の貝塚線にあたる路線を開業している。
1942年(昭和17年)には陸上交通事業調整法に対応するため、九州電気軌道、福博電車、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道の5社が合併し、西日本鉄道が発足した[6]。登記上は九州電気軌道(本社は小倉市砂津、現在の北九州市小倉北区)による他4社の吸収合併で、合併成立3日後の1942年9月22日に現社名に改称している[6]。当時は太平洋戦争下であり、小倉地区への戦災を恐れて、西鉄発足と同時に本社を福岡市西新に移転し、旧九州電気軌道本社は「北九州営業局」となった。「西日本鉄道」の社名は、5社合併時の博多湾鉄道汽船社長であった太田清蔵により命名されたものである。
西鉄では創立年を自社の直接の母体会社である九州電気軌道が設立された1908年としているが、創立記念日は5社合併後、現社名に改称した9月22日としている。
コーポレートシンボルは1997年のVI導入時に制定された。グラフィックデザイナーの原田進が制作を担当している。
意匠は社名の「Nishitetsu」と方向舵に見立ててNの上下に配置された2つのフィンで構成されている。フィンは人・物・情報・文化の「出逢いの場を提供する事業」「移動を支えるネットワーク事業」という会社が目指す2要素を表し、事業展開を通して会社が躍動感と力強さをもって発展していくことを表現している[65]。コーポレートシンボルに使用されるカラーはコーポレートカラーでもあり、限りない可能性と信頼を表す「にしてつブルー」、若々しさと輝きを表す「にしてつイエロー」、情熱と活動を表す「にしてつレッド」の三色で構成される[66]。
なお、専ら「Nishitetsu Group」のロゴが使われているのが殆どで、「Group」が入っていないオリジナルのロゴは西日本鉄道(本体)と西鉄バス北九州だけが使用している[注 4]。西鉄グループであっても亀の井バスや株式会社ニモカなどのように「Nishitetsu Group」ロゴを一切使用していない企業もある。
これの派生として、国際物流事業専用で後述の「NNR」ロゴや、一番先頭の「N」のみで表現したものもあり、後者は乗務員の制帽や、西鉄グループ関連のホームページにおける殆どのファビコンで使用されている。
社紋は1942年9月22日に制定された。西日本鉄道の「西」を車輪状に図案化し、3本のスポークが「株主の投資」「従業員の努力」「乗客の愛顧」を表していた[8]。コーポレートシンボル制定後はあまり使われなくなったが、現在もシンボル導入以前の一部バス停や電車・バスの復刻塗装などに使用されている。
西鉄の鉄道路線は、軌間(線路幅)および歴史的経緯(前身会社)の違いから大牟田線系統と貝塚線系統に大別される。大牟田線系統は、軌間が1,435mmで天神大牟田線、太宰府線、甘木線の3路線から構成される。貝塚線系統は軌間が1,067mmの貝塚線のみで構成され、他の西鉄路線から孤立した状態である[注 5]。
大牟田線系統の本線格にあたる路線である天神大牟田線は、九州一の繁華街である天神に直通しており、料金不要の特急・急行列車が多数行き交っている。また、天神大牟田線は福岡市中心部から福岡県南部にかけてJR九州の鹿児島本線と並走しており、一部競合関係にある。
一方で、貝塚線は都心のターミナル駅を持たないが、貝塚駅で福岡市地下鉄箱崎線と乗り換えることで都心部への結節を果たしている。貝塚線の地下鉄相互直通運転の構想はあるものの実現は難航している。
路線は全て福岡県内にあり[注 6]、他県に乗り入れていない(JR鹿児島本線とは異なり西鉄天神大牟田線は筑紫野市から久留米市の途中で佐賀県を経由しない[注 7])。また、複線および単線区間はあるが複々線区間は存在しない[注 8]。
路線のほとんどが福岡平野・筑紫平野上の平坦な地形にあり、地下線も地下駅もないため[注 9]、日本の大手私鉄で唯一、自社路線にトンネルが全くない。廃止路線も含めると北九州線にトンネルが1か所存在していたが、このトンネルは併用軌道区間にあり、同線廃止後も道路トンネルとして現存している。
かつては北九州市内に北九州線、福岡市内に福岡市内線、大牟田市内に大牟田市内線という軌道線(路面電車)も有していた。収入は軌道線が鉄道線を上回っていたが、高速都市間電車として成長する大牟田線と対照的に利益面では悪化をたどった。自動車流入量の増加や福岡市営地下鉄や北九州モノレールなど代替輸送機関の整備に伴い全廃されている[注 10]。
かつては北九州線が筑豊電気鉄道線への乗り入れ[注 11] を1956年の筑豊電気鉄道開業時から北九州線が廃止される2000年まで行っていた。北九州線廃止によって他社局線との直通運転がなくなった西鉄は、2019年11月30日より相模鉄道が東日本旅客鉄道(JR東日本)との相互直通運転を開始したことに伴い、他社局線との直通運転を行っていない唯一の大手私鉄となった[注 12]。
なお、三大都市圏以外で唯一の大手私鉄であることから、2023年3月31日時点では、鉄軌道営業収益は18,620(百万円)、旅客輸送人員92,504千人、1日1キロ平均旅客輸送人員(輸送密度)34,516人、旅客用車両は297両と、大手私鉄16社の中で最も少ない数字となっている[5]。ただし、阪神電気鉄道が新線を開業した2009年度以前は、同社より保有車両数は上回っていた[67]。また、2013年度以前は名古屋鉄道より輸送密度は上回っていた[68]。
近年、西鉄では鉄道事業の活性化施策としてパークアンドライドを推進している[注 13]。現有路線はその大半が平坦な地形であり、駅までのアクセス手段として路線バスよりもマイカーやバイク、自転車などを用いることが便利な環境にある。これらは広大な筑紫平野では特に顕著であり、沿線の民間経営の駐車場も含めると相当数に上る。駅ロータリーが存在する駅ではキスアンドライドも通勤通学時間帯を中心に多い。西鉄では限られた社有地の範囲内で今後もパークアンドライドを推進したいとしている[注 14]。
西鉄のダイヤグラム編成上の特徴として、旅客への列車案内時刻が他の鉄道会社と異なり「終着駅では秒単位を切り上げとなっている」点がある(例:ダイヤグラムの到着時刻が10時30分15秒なら、時刻表の到着時刻は10時31分と表示)。途中駅では他社と同様に秒単位を切り捨てた形で案内している。
また、天神大牟田線・太宰府線の主要駅では一般利用客向けにダイヤグラムを有料で販売している。この一般利用客向けダイヤグラムには甘木線は掲載されていなかったが、2021年3月13日のダイヤ改正からは掲載されている。ただし、貝塚線は従来どおりダイヤグラムの掲載はない。
2022年3月末時点の旅客輸送人キロは1,208百万人キロ[69]、列車の最大連結両数は7両となっている[注 15]。これは大手私鉄の中では最も短い[注 16]。
以下の合計106.1kmの路線を営業しており、これは日本の大手私鉄16社の中では第11位、JR九州以外の九州の鉄道としては肥薩おれんじ鉄道 (116.9km) に次ぐ第2位の路線規模となっている。
路線名左の英字は駅ナンバリングに使われる路線記号
北九州線のうち、黒崎駅前 - 熊西間は、2000年の軌道法による軌道線としての北九州線全廃後も、この区間に乗り入れていた子会社の筑豊電気鉄道が鉄道事業法による第二種鉄道事業者となり、西鉄が第三種鉄道事業者として線路を保有していたが、2015年にこの第三種鉄道事業を筑豊電気鉄道へ吸収分割したため[26]、西鉄の保有路線ではなくなっている。
いずれも国による戦時買収。
順位 | 駅名 | 所在地 | 利用客数 | 備考 |
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1 | 西鉄福岡(天神)駅 | 福岡市中央区 | 117,918 | 天神大牟田線の起点・福岡市地下鉄空港線(天神駅)、及び福岡市地下鉄七隈線(天神南駅)との乗換駅 |
2 | 薬院駅 | 福岡市中央区 | 39,786 | 特急停車駅・福岡市地下鉄七隈線との乗換駅 |
3 | 大橋駅 | 福岡市南区 | 38,622 | 特急停車駅 |
4 | 西鉄久留米駅 | 久留米市 | 29,261 | 特急停車駅 |
5 | 井尻駅 | 福岡市南区 | 21,533 | 普通のみ停車 |
6 | 春日原駅 | 春日市 | 20,922 | 特急停車駅 |
7 | 高宮駅 | 福岡市南区 | 19,583 | 普通・一部急行停車駅 |
8 | 西鉄二日市駅 | 筑紫野市 | 17,858 | 特急停車駅・太宰府線との分岐駅 |
9 | 貝塚駅 | 福岡市東区 | 16,561 | 貝塚線の起点・福岡市地下鉄箱崎線との乗換駅 |
10 | 下大利駅 | 大野城市 | 14,950 | 急行停車駅 |
11 | 雑餉隈駅 | 福岡市博多区 | 14,887 | 普通のみ停車 |
12 | 西鉄平尾駅 | 福岡市中央区 | 13,689 | 普通・一部急行停車駅 |
13 | 太宰府駅 | 太宰府市 | 12,712 | 太宰府線の終点 |
14 | 朝倉街道駅 | 筑紫野市 | 12,186 | 急行停車駅 |
15 | 西鉄柳川駅 | 柳川市 | 10,676 | 特急停車駅 |
16 | 西鉄小郡駅 | 小郡市 | 9,552 | 急行停車駅・甘木鉄道甘木線(小郡駅)との乗換駅 |
17 | 白木原駅 | 大野城市 | 9,304 | 普通のみ停車 |
18 | 大牟田駅 | 大牟田市 | 8,241 | 天神大牟田線の終点・JR鹿児島本線との乗換駅 |
19 | 花畑駅 | 久留米市 | 7,585 | 特急停車駅 |
20 | 筑紫駅 | 筑紫野市 | 7,277 | 急行停車駅 |
西鉄の車両は鉄道線向けに日本初のモノコック構造や高速連接車、前面展望式車両、私鉄初の中間電動車といった日本の鉄道車両史に残る先進的な技術を導入してきた。
2023年(令和5年)3月31日時点で297両(天神大牟田線用281両、貝塚線用16両)の旅客用車両を保有している[71]。かつては気動車、蒸気機関車、電気機関車、客車、貨車も保有していたが、貨物輸送廃止や路線の国有化・廃止などにより、保有車両は1978年以降電車に統一されている。
大牟田線系統で運用を離脱した車両は一部が貝塚線に転用されているが、前述の通り軌間(線路幅)が異なるため、転用に際しては軌間が同じ1,067mmの西武鉄道および東急電鉄の中古台車に履き替えた上で転用されている。現在、貝塚線に在籍する全車両が大牟田線系統からの転用車両である。
西鉄の車両の形式は関東の京成電鉄や小田急電鉄、京浜急行電鉄、中部圏の名古屋市営地下鉄などと同様に「…系」ではなく「…形」と表記するが、西鉄での読み方は「けい」である(例:3000形→3000けい)[要出典]。この読み方は西鉄以外では遠州鉄道など一部の鉄道会社で見られる特徴的な読み方である。また、旅客用車両の形式記号は名古屋鉄道や近畿日本鉄道などと同様に等級を表す「ハ」を付けずに「ク」(Tc車)、「モ」(MおよびMc車)、「サ」(T車)と呼ぶ。
鉄道線の車体寸法は13m級から19m級が混在する不統一な状態が1970年代まで長く続き、18m以上のロングシート大型車でも構造や出自の相違から2扉と3扉が混在した。標準最大長は600形(2代目)以降19.5mと長めに取っている反面、車体幅は7000形・7050形まで2,670mmの細長い車体が特徴であった。性能面では、標準軌間を利して同じく600形から強力モーターを搭載したM・T同数の経済的な編成を基本としている。
電動車の制御方式は抵抗制御および可変電圧可変周波数制御(VVVFインバータ制御)となっている。特急用である8000形の設計においては、従来の抵抗制御に代わる省エネルギーな制御方式としてチョッパ制御や界磁添加励磁制御などの導入も検討されたが、回生ブレーキの使用効果が薄いことなどから見送られたため、これらの制御方式の車両は存在していない[注 17]。このため、新製車の制御方式は1990年代前期まで抵抗制御を継続し、1995年の6050形で一足飛びにVVVFインバータ制御に移行している。制御装置は長らく三菱電機製(313形の一部は日立製作所製)を使用していたが、7000形以降は東芝製を採用している。
アルミニウム合金やステンレス鋼といった軽量の合金を使った車体の導入には消極的で、2007年にオールステンレス車両の3000形が登場するまで1両も存在しておらず、これは大手私鉄の中でも最も遅かった。
車両メーカーは軌道線では系列下の九州車輌(現在は解散)ほか複数社のものが採用されていたが、鉄道線では1962年の600形以降、川崎車輌および後身の川崎車両(旧・川崎重工業車両カンパニー)に統一されている。本州にあるメーカー工場(川崎車両兵庫工場)からの新造車両の搬入は、かつては大牟田まで国鉄線を甲種輸送して行っていたが、現在ではカーフェリーにトレーラーごと積み込んで門司港まで海上輸送し、門司港から車両基地までそのまま陸送する形が取られている。
台車については過去近畿車輛、住友金属工業、日本車輌などのさまざまな形式のものが使われてきたが、最近は川崎重工業の軸梁式のものが増えている。かつては連接車(西鉄500形電車、西鉄1000形電車)等の特色のある車両が使われていた。
列車無線アンテナは、全車両上り側(ただし貝塚線は下り側)[注 18] 先頭車両の運転席屋根に設置されている。
系列 | 画像 |
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3000形 | |
5000形 | |
6000形 | |
6050形 | |
7000形 | |
7050形 | |
9000形 | |
911F(救援車) |
系列 | 画像 |
---|---|
600形 |
全車が廃車にはなっていないが、当該路線から完全撤退した形式も含む。
大人普通旅客運賃(小児および障害者手帳所持者[注 19]は半額・10円未満切り上げ)。キロ程は1キロ未満の端数切り上げ(ただし貝塚線特例距離を除く)。鉄道駅バリアフリー料金制度による料金10円の加算を含む。2023年(令和5年)3月27日改定[72]。
なお、鉄道旅客及び荷物営業規則第44条第2項により、天神大牟田線の西鉄福岡(天神) - 味坂駅間の各駅と甘木線の五郎丸 - 甘木駅間の各駅の相互間を乗車し、かつ西鉄久留米駅で乗り換える場合は、重複となる宮の陣 - 西鉄久留米駅間のキロ程も含めて計算することになっている。
2021年3月6日の運賃改定[52]で、天神大牟田線・太宰府線・甘木線と貝塚線が同額になった。天神大牟田線系統と貝塚線のキロ程や運賃額の通算は行わない。
キロ程 | 運賃(円) | キロ程 | 運賃(円) |
---|---|---|---|
初乗り3km | 170 | 37 - 41 | 640 |
4 - 6 | 220 | 42 - 46 | 690 |
7 - 9 | 270 | 47 - 51 | 740 |
10 - 13 | 320 | 52 - 56 | 810 |
14 - 17 | 370 | 57 - 61 | 870 |
18 - 21 | 420 | 62 - 66 | 930 |
22 - 26 | 470 | 67 - 71 | 1,000 |
27 - 31 | 530 | 72 - 75 | 1,050 |
32 - 36 | 580 |
なお特例距離として貝塚線の以下の区間を利用する場合は以下のキロ程とする[73]。
以下の場合を除いて途中下車ができる。
ただし、自動改札機を通ると切符が回収されてしまうため、途中下車の場合は有人通路を通って駅係員から下車印の押印を受ける必要がある。無人駅で途中下車する場合は、運転士または車掌に申し出る。
前述の営業規則第44条第2項により発売された乗車券については、条件を満たしていれば折り返し乗車区間(宮の陣 - 西鉄久留米駅間)となる西鉄久留米駅ならびに櫛原駅でも途中下車が可能である。
その他の割引乗車券
西日本鉄道は福岡都市圏でバス事業を展開しており、エリア内では最大の事業者として運行している。2022年(令和4年)3月31日時点の保有バス車両は1,630台である(子会社保有車両、および他社への賃貸用車両を除く)[1]。1980年代には3,500台以上を保有していた日本最大のバス事業会社であったが、1990年代以降はバス事業の縮小や分社化が進み保有台数が大幅に減少している。
また、福岡県内間ならびに九州各地への都市間バスも多く運行しており、特に福岡市を起終点とする路線においては便数が最も多く、なかでも北九州市とを結ぶ3系統(なかたに号・ひきの号・いとうづ号)や熊本県熊本市とを結ぶ「ひのくに号」においては共同運行会社便も含め輸送人員も最大のシェアを有し、高頻度の運行がなされている。このほか、本州向け夜行便としては東京都(新宿区)・愛知県名古屋市へも乗り入れている。かつて1980年代末期から2010年代においては関西方面・中国方面・四国方面へも乗り入れており、九州発の夜行高速路線ではまさに九州一の路線数を擁していたが、1990年代末期より不採算路線の廃止や近郊都市との路線統合、自社便の撤退などにより多くの路線が廃止され、さらに2000年代を過ぎると格安高速バス(旧ツアーバス)の台頭や格安航空会社(LCC)による航空便の就航などの影響を受けた大幅な乗客減少、2020年以降の新型コロナウイルスの感染拡大、深刻な乗務員不足など様々な理由によりほとんどの路線が廃止・撤退しており、2023年7月時点で本州方面へは前記の2路線のみとなっている。かつては北九州市ならびに福岡市発着で九州内(鹿児島・宮崎・延岡)にも夜行便が運行されていたが、現在は全て廃止されている。
以前は使用する車体の殆どが傘下の西日本車体工業(西工)で設計製作されていたため外観はほぼ同一だが、エンジンおよびシャーシは国内各メーカーのものを使用していたため、バス番号の最上桁でエンジンやシャシーのメーカーを区別していた。この伝統は西日本車体工業が2010年10月に解散して各メーカーから納車されるようになった現在も続いている。
2009年度の営業損益を見てみると、鉄道事業が3,782百万円の営業黒字に対して、バス事業は2,700百万円の営業赤字(単体ベース)となっており[84]、厳しい経営状況が続いている。経営改善の一環として、他の大手私鉄同様にバス事業の分社化を進めてきたが、本体での運営が残っているのは大手私鉄で唯一となっている。
以下に示すのは現在、西鉄本社が福岡都市圏において直接展開するバス事業についてであり、北九州都市圏など他の地域で西鉄バスと呼ばれているものは西鉄グループの分離子会社によって運行されている。福岡都市圏以外の分離子会社も含めた内容については「西鉄バス」を参照。
営業所名の右の( )内は営業所表記(○の中に漢字/平仮名1、2文字の営業所略称を表示)。
子会社および管理委託されている(子会社所属の運転士が乗務する)路線のみ運行の市町村は除く
自動車事業本部管内(福岡市内とその周辺)で135系統の路線バスを設定している(2004年11月時点。同区間でも急行・快速・特別快速と普通は別系統としている場合がある。また、行先番号が同じでも路線名が異なることがあり、反対に路線名が同じでも経由地の違いにより行先番号が異なる場合もある)。
現在は種別として、普通・快速・急行・特別快速(特快)・特急・直行などが存在している。快速運転を行う区間も全区間から停留所2つ程度まで幅広い。また、直行は必ずしも終着停留所までノンストップというわけではなく、福岡タワー方面には経路上の各停留所に停車する系統も運行されていた(後に番号変更によって消滅)。
設定系統が複雑であることから、直轄営業所の路線では、方面により行先番号のほかに行き先の方面を表す色が設定されている。ただし、深夜バスはいずれの路線も黄色表示で運行される(行先表示機が方向幕だった時代には行先番号を表示しないものもあった)。
方向幕 表示 |
LED色幕 表示 |
方面 |
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1 | 天神・博多駅 → 西部(主に城南区西部・早良区・西区)方面 | |
12 | 天神・博多駅 → 南西部(主に中央区南部・城南区東部・南区西部)方面 | |
4 | 天神・博多駅 → 南部(主に南区東部・博多区南部・那珂川市・春日市)方面 | |
3 | 天神・博多駅 → 東南部(主に東区南東部・糟屋郡)方面 | |
22 | 天神・博多駅 → 東部・北部(主に東区)方面 深夜バス | |
1 | 各地 → 天神・博多駅方面 | |
- | 各地(天神・博多駅以外) → 近郊駅(大橋駅・姪浜駅・福岡空港等)方面 |
(注)行先番号は一例
この項では臨時便扱いなど一部を除く西日本鉄道直営の路線を掲載する。
西鉄バスの路線分類には様々な見方がある。例えば、路線図では別々の路線として扱われている野方(城南)博多駅線と九大(都市高速)博多駅線は、実際の運用では「野方(都市高速)博多駅線」という同一路線として運行されている。本稿はあくまで参考とされたい。
カッコ内は主な系統のうち、原則として毎日、終日運行されている区間。
直轄営業所の路線のうち、利用者が多い・同一経路を走行する行先番号が多い路線においては、運行途中に行先番号を変更している。下表以外にも行先番号を変更する路線は多数あるが、ここでは都心部を運行する路線に限り記載する。その他の路線については各営業所の記事を参照いただきたい。
なお、下表の順路を逆方向に運転する場合や、下表の終着地より遠方に運行する場合、経路が一部異なる場合などは、従来の番号で運行する(6番、39番など)。
なお、下表において下線区間以降で経路・行先が重複する場合は番号変更を行わない。
統一後の 行先番号 |
概要 | 経路 (実際にその番号で走行する区間のみ記載) |
統一時のバス停/統一前の行先番号 | |
---|---|---|---|---|
1 快速1(千代町まで) |
天神→明治通り→県庁方面 ※ただし郊外向け路線など例外あり |
→大名二丁目→天神→呉服町→県庁前→吉塚駅前→吉塚営業所 |
大名二丁目/12・13・51・52(西鉄グランドホテル前/快速12・快速13) | |
3 快速3(博多駅まで) |
天神→明治通り→博多駅 | →大名二丁目→天神→呉服町→博多駅 | 大名二丁目/3・快速3・12・13・56・57・快速57-1・140 | |
5 | 天神→渡辺通り→住吉通り→博多駅 | →那の津口(ボートレース福岡入口)→天神→渡辺通一丁目→博多駅 ※ただし、九大急行・天神コア前始発の急行は変更は行わない |
那の津口(ボートレース福岡入口)/300・301・302・304・305 | |
8 快速8(博多駅まで) |
天神→国体道路→祇園町→博多駅 | →六本松→天神→キャナルシティ博多前→祇園町→博多駅 | 六本松/113・快速113・200・快速200・201・特快201・202・203・特快203・204・208 | |
68 | →那の津口(ボートレース福岡入口)→天神→キャナルシティ博多前→祇園町→博多駅 | 那の津口(ボートレース福岡入口)/68・503・506・526 | ||
80 | 天神→中央ふ頭クルーズセンター | →天神→市民会館南口→国際センターサンパレス前→国際会議場サンパレス前→マリンメッセ前→中央ふ頭→中央ふ頭クルーズセンター | 天神ソラリアステージ前/快速151・快速152 | |
88 快速88(博多駅まで0) |
薬院駅前→博多駅→中央ふ頭 | →薬院駅前→駅前四丁目→博多駅→蔵本→国際会議場サンパレス前→マリンメッセ前→中央ふ頭 | 薬院駅前/11・19・快速19・50 | |
90 | 天神→博多ふ頭 | →天神→市民会館南口→博多ふ頭(ベイサイドプレイス) | 天神ソラリアステージ前/46(竹下/46L)・63・快速161 | |
99 | 駅前四丁目→博多駅→博多ふ頭 | →駅前四丁目→博多駅→蔵本→国際センターサンパレス前→博多ふ頭(ベイサイドプレイス) | 駅前四丁目/47・48 | |
W3 快速W3 |
天神→那の津四丁目 |
→渡辺通一丁目→天神→那の津四丁目 |
清水町/W3・61・快速161(那の川/55) | |
W1 快速W1 |
天神→都市高速西公園ランプ→福岡タワー・藤崎 |
→渡辺通一丁目→天神→《都市高速》→みずほPayPayドーム前→福岡タワー(TNC放送会館) |
清水町/W1・快速151・快速152(渡辺通一丁目/305) | |
→渡辺通一丁目→天神→《都市高速》→みずほPayPayドーム前→福岡タワー南口→藤崎 |
渡辺通一丁目/W1・305 | |||
306 | 博多駅→都市高速西公園ランプ→福岡タワー・藤崎・歯科大病院・四箇田団地・金武営業所 | →博多駅→呉服町→《都市高速》→みずほPayPayドーム前→福岡タワー(TNC放送会館) | 博多バスターミナル/139・快速139・306 | |
博多駅→呉服町→《都市高速》→みずほPayPayドーム前→福岡タワー南口→藤崎→歯科大病院 |
博多バスターミナル/306 | |||
W2 | 天神→都市高速百道ランプ→福岡タワー・藤崎 |
→渡辺通一丁目→天神→《都市高速》→福岡タワー(TNC放送会館) |
渡辺通一丁目/W2・307(博多駅/44) | |
→渡辺通一丁目→天神→《都市高速》→福岡タワー南口→藤崎 |
渡辺通一丁目/W2・307 |
西日本鉄道の2014年度事業計画[86] では、施策として「路線バスの乗り継ぎ促進による路線再編」を挙げている。以下に、2013年11月以降の事例を述べる。いずれも郊外と都心を直通する路線の途中に乗り継ぎ拠点を設けて路線を分断することで、郊外方面へは定時性の向上、都心方面へは運行本数・間隔の適正化を図るものであり、乗り継ぎ拠点でnimocaを利用してバスを乗り継いだ場合はnimocaのセンターポイントを100pt付与するサービスを実施している。
2004年10月1日より、既に一部の高速バスで実験を開始していたGPSによるバス位置情報提供システムを「バスロケーションシステム」として福岡都市圏8路線の路線バスに試験導入し、2005年4月1日から「にしてつバスナビ」として福岡都市圏全域に拡大開始し、2006年4月1日までに福岡都市圏全域が対象路線となった。このシステムでは、バスの現在位置や遅れ時間、到着予定時刻といった情報がパソコンや携帯電話と通じてリアルタイムに乗客に提供される。さらに同年11月からは福岡地区のほぼ全てのバス停[注 22]にQRコードステッカーを貼付したので、携帯電話での利用がさらに簡便になった。同時にパソコン向けに提供されている時刻表のうちバス停や駅の発車時刻表がPDF形式でも提供開始され、閲覧・印刷時の効率化が行われた。
さらに2008年11月からはテレビ西日本との共同開発による、地上デジタル放送のデータ放送を使ったバスロケーションサービス(愛称「バスナビTV」)を開始した。一部のバス停には、テレビ画面形式のバス案内表示板があり、パソコンや携帯電話と同じ形式で表示される。
運賃は基本的に区間制と距離制を地域事情に応じて併用している。一般路線の初乗りは大人170円だが、福岡・北九州地区の特殊区間制運賃が適用されている区間では大人190円である。しかし、西鉄バス北九州管轄の北九州都市圏においては特殊区間制運賃適用区間が広範囲にわたっているのに対し、福岡都市圏では天神・博多駅周辺など北九州よりも比較的狭い範囲にとどまっている。整理券方式で、運賃は降車時に精算する。
なお、原油価格高騰による燃料費等コスト上昇のため、2008年4月1日から次の施策が実施された。バス運賃値上げは9年ぶりである。
上記以外の路線の運賃は据え置き。
西日本鉄道の鉄道全線・全駅と一部の西鉄グループバス路線などでICカード乗車券「nimoca」を導入している。2013年3月23日には交通系ICカード全国相互利用サービスが開始された。
2023年8月1日現在、福岡市地下鉄全線全駅と、JR九州鹿児島本線・香椎線[注 23]、西鉄天神大牟田線・太宰府線[注 24]の一部区間で、クレジットカード等の非接触型決済[注 25]による改札乗車の実証実験が行われている。なお、事業者ごとに対応するカードブランドが異なる。また、おサイフケータイ対応スマートフォンにiDまたはQUICPayで登録されたカード等は、この実験用端末では利用できない。[91][92][93][94][64]
西鉄の国際物流(フォワーダー)事業は国際物流事業本部が行っている。通称名はにしてつ(英:NNR Global Logistics)としている。
同本部は東京都中央区日本橋3丁目2番5号にある毎日日本橋ビルに置かれている。従業員も重役以外は福岡本社とは別の枠組みとなり、専ら子会社に準じた扱いを受けている。また、海外には現地法人17社や駐在事務所6か所を持ち、アジア、北米、欧州を中心に拠点を置いている。日本国外では英字社名の略称である「NNR」で通っているため「Nishitetsu」ロゴは使用せず、「NNR」の専用ロゴ(上述)を使用している。買収した他社で、「NNR」を冠する社名変更を行った例もある[40]。社員の採用についても鉄道・バス部門とは別に行っており、原則として物流部門の業務に専念する[95]。
鉄道会社(大手私鉄)の貨物事業部門としては規模が大きく、かつ、唯一の鉄道会社本体での運営である[注 26]。2006年度は鉄道・流通・バスの各事業を抑えて同社の最多売上高部門となり、2023年3月期決算で当部門の売上は2318億円とグループ全体の半分近くが国際物流事業での売上となっている[95]。このため、西鉄本体が貨物利用運送事業法に基づく外資規制(外国人株主が3分の1以下となる規制)の対象となる。
1948年にパンアメリカン航空と代理店契約を結び航空営業所として設置され、1951年に航空輸送部、1978年に航空貨物事業部に改称した。1957年には西鉄・阪神・近鉄の共同出資でフォワーダー(混載会社)「ジャパン・エアカーゴ・コンソリデーターズ」(JAC)を設立したが、1983年にはJACが解散し、西鉄による単独混載事業を開始している。1985年には航空貨物のほか、海上貨物の取扱いも開始し、NVOCC事業を展開している。利用航空運送事業者(エア・フレイト・フォワーダー)としては日本通運、近鉄エクスプレス、郵船ロジスティクス、阪急阪神エクスプレスに次ぐ5位と国内屈指の事業規模である。
2008年7月1日より従来の航空貨物事業部から国際物流事業本部と改称し、日本国内の対外向けとして使用してきた「西鉄航空」の名称も「にしてつ」に改められた。
その他以下の事業を直営で行っている。あるいは行っていた。グループ企業が行っている事業については「西鉄グループ」を参照。
博多湾鉄道汽船から引き継いだ遊園地・植物園「かしいかえん」を運営していたが、2021年12月30日限りで閉園した。また、九州電気軌道時代からの直営であった到津(いとうづ)遊園を運営していたが、2000年に閉園し、北九州市に引き継がれて到津の森公園となった。
子会社の運営する施設として、太宰府天満宮との共同出資で設立された太宰府園が運営するだざいふ遊園地や、海の中道海洋生態科学館が運営するマリンワールド海の中道がある。
九州地区のほか海外(東南アジアやアメリカ合衆国)で、ビルや商業施設、ホテル、集合住宅、住宅地などを開発している。2020年4月1日付の組織改正で、都市開発事業本部から天神地区開発を担当する本部を、住宅事業本部から海外事業開発部を独立させることを公表している[96]。街づくり事業での海外進出は2015年からで、デベロッパーにバス会社者としてのノウハウを加えて、通勤用バス運転手の育成も手掛けるなど交通渋滞対策も講じている[97]。
※印は、いわゆる「天神ビッグバン」による再開発事業で現存せず。
九州電気軌道子会社であった九州土地興業の後身である西鉄地所(1971年に西鉄へ吸収)は小倉市(現・北九州市)の海面埋立事業を行い、西鉄の発足後もしばらくの間、沿線の宅地開発を西鉄不動産と西鉄地所の両社が西鉄を代理する形で行っている。★印は鉄道駅開設またはグループバス事業拠点の移転整備を伴ったもので、一部地名重複のケースは原則として既存案件の拡張的開発。
西鉄が開発した分譲団地の一覧 | |||
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名称 | 場所 | 開発年 | 備考 |
花見団地 | 福岡県古賀市:西鉄沿線 | 1966年(昭和41年) | 西鉄地所事業局開発部(現・西鉄ホーム) |
鎧坂団地 | 福岡県福岡市東区:西鉄沿線 | 1966年(昭和41年) | 西鉄地所事業局開発部 |
南ヶ丘団地 | 福岡県大野城市:西鉄沿線 | 1968年(昭和43年) | |
福智台団地 | 福岡県直方市感田:西鉄沿線 | 1970年(昭和45年) | 西鉄地所・西鉄 |
那珂川ハイツ | 福岡県那珂川市:西鉄沿線 | 西鉄 | |
月の浦ニュータウン★ | 福岡県大野城市:西鉄沿線 | 西鉄 | |
三苫団地 | 福岡県福岡市東区:西鉄沿線 | 1972年(昭和47年) | 西鉄グループ |
河桃団地 | 福岡県北九州市八幡西区:西鉄沿線 | 1972年(昭和47年) | 西鉄グループ |
平野ハイツ | 福岡県大野城市:西鉄沿線 | 1973年(昭和48年) | 西鉄グループ |
春日原団地 | 福岡県:西鉄沿線 | 1972年(昭和47年) | 西鉄グループ |
福間駅前団地 | 福岡県福津市:西鉄沿線 | 1974年(昭和49年) | 西鉄グループ |
ちくし台団地 | 福岡県筑紫野市:西鉄沿線 | 1975年(昭和50年) | 西鉄グループ |
光吉台団地 | 大分県大分市 | 1975年(昭和50年) | 西鉄グループ |
ながら野団地 | 福岡県福岡市西区:西鉄沿線 | 1977年(昭和52年) | 西鉄グループ |
名島横町団地 | 福岡県福岡市東区名島:西鉄沿線 | 1977年(昭和52年) | 西鉄グループ |
サニーヴィラ笹原南 | 福岡市博多区三筑 | ||
名島団地 | 福岡市東区名島 | 1968年(昭和43年) | |
下大利商店街団地 | 福岡県大野城市 | 1968年(昭和43年) | |
新栄町駅前団地 | 福岡県大牟田市新栄町 新栄町駅 | 1969年(昭和44年) | |
岡垣団地 | 福岡県遠賀郡岡垣町 | 1969年(昭和44年) | |
春日北町団地 | 福岡県春日市春日原北町 | 1969年(昭和44年) | |
西鉄ときわ台団地 | 福岡県北九州市 | 1969年(昭和44年) | |
桜台団地★ | 福岡県筑紫野市桜台 桜台駅 | 1971年(昭和46年) | 西鉄グループ |
朝倉街道団地 | 福岡県筑紫野市 朝倉街道駅 | 1971年(昭和46年) | 西鉄グループ |
西鉄緑が丘団地 | 福岡県直方市 | 1980年(昭和55年) | |
さわら台団地 | 福岡市早良区 | 1982年(昭和57年) | |
鶴見が丘団地 | 大分県別府市小倉 | 1982年(昭和57年) | |
おばせ駅前団地 | 1982年(昭和57年) | ||
サニーヴィラ飯倉 | 福岡市早良区飯倉 | 2000年(平成12年) | |
サニーヴィラ飯倉II | 福岡市早良区飯倉 | 2005年(平成17年) | |
サニーヴィラ美和台 | 福岡市東区美和台 福工大前駅 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ桧原 | 福岡市南区桧原 | 2002年(平成14年) | |
サニーヴィラ桧原II | 福岡市南区桧原 | 2003年(平成15年) | |
サニーヴィラ平和 | 2008年(平成20年) | ||
サニーヴィラ霧ヶ丘 | 2007年(平成19年) | ||
サニーヴィラ名島 | 福岡市東区名島 | 2004年(平成16年) | |
サニーヴィラ野方台 | 福岡市西区野方 | 2001年(平成13年) | |
サニーヴィラ野方二丁目 | 福岡市西区野方 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ有田 | 福岡市早良区有田1丁目 | ||
コットンヒルズ月の浦★ | 福岡県大野城市月の浦5丁目 | ||
コットンヒルズ那珂川ガーデンシティ | 福岡県那珂川市大字安徳字大塚 | ||
コットンヒルズ太宰府南 | 福岡県太宰府市高雄 | ||
コットンヒルズ桧原公園通り | 福岡市南区桧原4丁目 | ||
サニーヴィラ野中町 | 福岡県:西鉄沿線 | 2006年(平成18年) | 西鉄グループ |
サニーヴィラ八田 | 福岡県:西鉄沿線 | 2006年(平成18年) | 西鉄グループ |
サニーヴィラ小倉中島 | 福岡県:西鉄沿線 | 2006年(平成18年) | 西鉄グループ |
千代ニュータウン | 福岡県北九州市八幡西区千代 | 2006年:第1期、 2007年:第2期・第3期 |
|
サニーヴィラ高取南 | 福岡市早良区昭代 | ||
サニーヴィラ荒江3丁目 | 福岡市早良区荒江3丁目 | ||
サニーヴィラ西新南II | 福岡市早良区荒江2丁目 | ||
サニーヴィラ有田 | 福岡市早良区有田 | ||
サニーヴィラソシエ八田 | 福岡市東区八田 | ||
サニーヴィラ地行 | 福岡市中央区地行 | ||
サニーヴィラ古賀天神 | 福岡県古賀市天神1丁目 | ||
サニーヴィラ平和IIプレステージ | 福岡市南区平和 | ||
サニーヴィラ片江中央公園 | 福岡市城南区南片江 | ||
西鉄サニーヴィラ板付7丁目RiverSide | 福岡市博多区板付 | ||
玄海ニュータウン | 福岡県宗像市 | 1983年(昭和58年) | |
佐世保大岳台団地 | 1985年(昭和60年) | ||
まなづる台 | 福岡県北九州市小倉北区真鶴 | 1987年(昭和62年) | |
牧山台団地 | 福岡県北九州市戸畑区牧山 | 1987年、 1992年:2次 |
|
ちくし駅前団地 | 1988年(昭和63年) | ||
みずま団地 | 福岡県三潴町 | 1992年(平成4年) | |
直方駅前 | 福岡県直方市大字山部字側筒谷 | ||
ウェリスパーク新宮杜の宮 | 福岡県糟屋郡新宮町杜の宮 | 2008年:第1期 | |
弥生が丘★ | 福岡県北九州市小倉南区貫弥生が丘 | 1989年(平成元年) | |
弥生が丘グリーンステージ コットンヒルズ★ | 福岡県北九州市小倉南区貫弥生が丘3丁目 | 2003年(平成15年) | |
サニーヴィラ弥生が丘★ | 2007年(平成19年) | ||
サニーヴィラ陣原駅前II | 福岡県北九州市八幡西区陣原3丁目 | ||
サニーヴィラ本城 | 福岡県北九州市八幡西区本城東 | ||
サニーヴィラ荒尾緑ヶ丘 | 熊本県荒尾市荒尾字上府本道 | ||
サニーヴィラあさひ野 | 2006年(平成18年) | ||
サニーヴィラおおみぞ | 福岡県三潴郡大木町 | 1996年(平成8年) | |
サニーヴィラ芦屋海岸 | 2006年(平成18年) | ||
サニーヴィラ井堀 | 福岡県北九州市小倉北区井堀 | 2002年(平成14年) | |
サニーヴィラ井堀II | 2006年:第1期、 2007年:第2期 |
||
サニーヴィラ横隈 | 福岡県小郡市横隈 | 2007年:第1期 | |
サニーヴィラ横浜 | 2006年(平成18年) | ||
サニーヴィラ王塚台北 | 兵庫県神戸市西区 | 2004年(平成16年) | |
サニーヴィラ下曽根駅南 | 2002年(平成14年) | ||
サニーヴィラ下大利駅東 | 2000年(平成12年) | ||
サニーヴィラ干隈 | 福岡市城南区干隈 | 2004年(平成16年) | |
サニーヴィラ観世音寺 | 福岡県太宰府市観世音寺 | 2007年(平成19年) | |
サニーヴィラ雁ノ巣 | 福岡市東区 | 2007年(平成19年) | |
サニーヴィラ吉志 | 福岡県北九州市門司区吉志 | 2001年(平成13年) | |
サニーヴィラ吉松東 | 2007年(平成19年) | ||
サニーヴィラ穴生公園 | 福岡県北九州市八幡西区 | 2007年(平成19年) | |
サニーヴィラ月の浦東★ | 福岡県大野城市月の浦 | 2002年(平成14年) | |
サニーヴィラ月の浦小学校前★ | 福岡県大野城市月の浦 | ||
サニーヴィラ原 | 2006年(平成18年) | ||
サニーヴィラ原II | 2006年(平成18年) | ||
サニーヴィラ原町二丁目 | 2006年(平成18年) | ||
サニーヴィラ原町別院 | 2004年(平成16年) | ||
サニーヴィラ戸畑九工大駅前 | 2004年(平成16年) | ||
サニーヴィラ戸畑浅生 | 2007年(平成19年) | ||
サニーヴィラ戸畑牧山 | 2004年(平成16年) | ||
サニーヴィラ向佐野 | 2006年(平成18年) | ||
サニーヴィラ荒江 | 福岡市早良区荒江 | 2007年(平成19年) | |
サニーヴィラ香椎 | 福岡市東区 | 2001年(平成13年) | |
サニーヴィラ香椎ヶ丘 | 福岡市東区 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ高宮 | 福岡市南区高宮 | 2003年(平成15年) | |
サニーヴィラ高宮II | 福岡市南区高宮 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ高須西 | 2000年(平成12年) | ||
サニーヴィラ国分 | 2001年(平成13年) | ||
サニーヴィラ宰府 | 福岡県太宰府市宰府 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ桜坂 | 福岡市中央区桜坂 | 2000年(平成12年) | |
サニーヴィラ笹丘 | 福岡市中央区笹丘 | 2003年(平成15年) | |
サニーヴィラ雑餉隈 | 2002年(平成14年) | ||
サニーヴィラ三苫 | 福岡市東区三苫 | 2003年(平成15年) | |
サニーヴィラ市崎 | 福岡市中央区市崎 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ若久 | 福岡市南区若久 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ若松二島 | 2007年(平成19年) | ||
サニーヴィラ重住 | 2007年(平成19年) | ||
サニーヴィラ春日原 | 福岡県春日市 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ春日原南町 | 福岡県春日市 | 2008年(平成20年) | |
サニーヴィラ春日原北町一丁目 | 福岡県春日市 | 2007年(平成19年) | |
サニーヴィラ諸岡 | 福岡市博多区諸岡 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ小郡 | 福岡県小郡市 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ小郡駅南 | 福岡県小郡市 | 2008年(平成20年):第1期 | |
サニーヴィラ小倉赤坂 | 2002年(平成14年) | ||
サニーヴィラ小倉中島 | 2006年(平成18年):第1期、 2007年(平成19年):第2期 |
||
サニーヴィラ昇町 | 福岡県春日市昇町 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ松田 | 2007年(平成19年) | ||
サニーヴィラ諏訪野 | 福岡県久留米市諏訪野町字屋敷 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ瑞穂 | 2005年(平成17年) | ||
サニーヴィラ星が丘 | 2007年(平成19年) | ||
サニーヴィラ西町 | 2006年(平成18年) | ||
サニーヴィラ西町II | 2008年(平成20年) | ||
サニーヴィラ西長住 | 福岡市南区 | 2005年(平成17年) | |
サニーヴィラ青山南 | 2006年(平成18年):第1期、 2007年(平成19年):第2期 |
||
サニーヴィラ青葉 | 2000年(平成12年) | ||
サニーヴィラ青葉II | 2007年(平成19年) | ||
サニーヴィラ青葉台 | 1999年(平成11年) | ||
サニーヴィラ折尾駅前 | 福岡県北九州市八幡西区 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ折尾駅前II | 福岡県北九州市八幡西区 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ多賀 | 2007年(平成19年) | ||
サニーヴィラ太宰府駅前 | 福岡県太宰府市 | 2004年(平成16年) | |
サニーヴィラ大手町 | 2004年(平成16年) | ||
サニーヴィラ大門 | 2003年(平成15年) | ||
サニーヴィラ大野城中央 | 福岡県大野城市 | 2007年(平成19年) | |
サニーヴィラ竹末 | 2005年(平成17年) | ||
サニーヴィラ筑紫丘 | 2007年(平成19年) | ||
サニーヴィラ長住 | 福岡市南区 | 2007年(平成19年) | |
サニーヴィラ通古賀 | 福岡県太宰府市 | 2007年(平成19年) | |
サニーヴィラ鶴田 | 福岡市南区 | 2007年(平成19年) | |
サニーヴィラ東鳴水 | 2008年(平成20年) | ||
サニーヴィラ湯野原 | 2007年(平成19年):第1期・第2期、 2008年(平成20年):第3期 |
||
サニーヴィラ二日市(杉塚) | 福岡県筑紫野市二日市 | 2003年(平成15年) | |
サニーヴィラ二日市西 | 福岡県筑紫野市二日市西 | ||
サニーヴィラ日明 | 2003年(平成15年) | ||
サニーヴィラ白木原 | 福岡県大野城市 | 2004年(平成16年) | |
サニーヴィラ白木原駅前 | 福岡県大野城市 | 2007年(平成19年) | |
サニーヴィラ八女 | 福岡県八女市 | 2000年(平成12年) | |
サニーヴィラ八幡駅前 | 福岡県北九州市八幡東区 | 2006年(平成18年) | |
サニーヴィラ徳力嵐山口 | 福岡県北九州市小倉南区南方五丁目 | ||
美鈴の杜 | 福岡県小郡市美鈴の杜一丁目 | 2008年(平成20年) | |
美鈴が丘 | 福岡県小郡市美鈴が丘2丁目 | 1995年(平成7年) | |
三国が丘★ | 福岡県小郡市三国が丘1丁目 | ||
弥生が丘グリーンステージ コットンヒルズ★ | 福岡県北九州市小倉南区貫弥生が丘3丁目 | ||
上の原 | 福岡県北九州市八幡西区 | 2006年(平成18年):第1期、 2007年(平成19年):第2期、 2007年(平成19年):第3期、 2008年(平成20年):第4期 |
|
西鉄星が丘 | 福岡県北九州市八幡西区 | 2006年(平成18年) | |
リビオ桃園第1期 | 福岡県北九州市八幡東区桃園 | 2007年(平成19年) | |
サニーヴィラ合川町 | 福岡県久留米市合川町字葉山 | ||
サニーヴィラ津福今町 | 福岡県久留米市津福今町字西浦 | ||
西鉄大里本町 | 福岡県北九州市門司区 | 2007年(平成19年) | |
パークサイド月の浦★ | 福岡県大野城市月の浦 | 2000年(平成12年) | |
パークプレイス大分公園通り | 大分市公園通り5丁目 | ||
パルク長府浜浦台 | 山口県下関市 | 2007年(平成19年):第1期 | |
花美坂 | 福岡県遠賀郡芦屋町 | 2001年(平成13年) | |
桜美台 | 福岡県宗像市 | 1999年(平成11年) | |
ガーデンヒルズ美しが丘 | 福岡県筑紫野市美しが丘南 |
2013年より、縁線(えんせん)プロジェクトとして展開[106]。
「いえすい」として飲料水宅配サービス事業を事業創造部が運営[107]。
「西鉄」の名前を日本全国に広めたのはプロ野球とも言える。西鉄は太平洋戦争中の1943年に球団買収で西鉄軍を発足させ、日本野球連盟に参加したが、この年限りで解散している。
戦後、西鉄はプロ野球復帰を望んだが、西鉄軍は連盟に解散届を提出していたために復帰を認められなかった。そこで西鉄はアマチュア社会人野球チームを結成。1948年の第19回都市対抗野球大会では優勝を収める。社内ではこのチームを基に再びプロ野球に参戦しようという機運が盛り上がっていた。
日本野球連盟が2リーグ制へ分裂した1949年11月26日、西鉄は社会人野球チームを発展させる形で西鉄クリッパースを創設[108]。1950年1月28日運営会社西鉄野球株式会社を設立し、パシフィック・リーグの一員として参加した。1951年には同じ福岡市(平和台球場)を本拠地としていたセントラル・リーグの西日本パイレーツを統合して西鉄ライオンズと改称し、以後1972年まで所有した。ライオンズは1956年 - 1958年の日本シリーズ3連覇を含めて5度のリーグ優勝に輝いたが、1969年に発覚した黒い霧事件で戦力・人気両面で致命的なダメージを受け、福岡市内線廃止問題も浮上したことで西鉄は1972年シーズン後に中村長芳に球団を売却する。チーム名は太平洋クラブをスポンサーとして太平洋クラブライオンズとなる。その後クラウンライターライオンズを経て1978年10月に国土計画へ売却され西武ライオンズとなり、本拠地は埼玉県所沢市に移転した。なお、西鉄野球として設立された運営会社は福岡野球株式会社・株式会社西武ライオンズと商号変更を繰り返しながらも現在まで存続している。
埼玉西武ライオンズはかつては西鉄を含めた福岡時代の成績や記録を自らの歴代記録に含んでこなかった。一例として、毎年発行されるファンブックに掲載される年表では、長年にわたり1978年の買収を球団発足とする記述がなされていた。ところが、堤義明をはじめとした西武グループ創業家一族の失脚によるグループ再編を受け、2008年1月末から球団公式サイト内の年表では福岡時代についても記述するようになっただけでなく、同年は西鉄創業100周年事業と西武球団としての30周年事業とが重なったこともあり、「ライオンズ・クラシック」と題して西鉄時代のユニフォームを復刻して試合で着用するイベントを行った。これに合わせて球団公式サイトでは福岡時代の歴史を大きく取り上げる[109] など、これまでの姿勢を大きく転換した。このイベントには西鉄も後援企業として参加したほか、地元福岡では福岡三越とともに「よみがえる西鉄ライオンズ」と題した記念イベントを開催[110]し、独自の記念グッズも販売した。その後、西鉄の他に福岡野球が経営していたころや、戦前の西鉄軍の前身で、奇しくも西武の源流企業(現在の西武新宿線の前身)が経営に関与していた東京セネタースについても取り上げた企画を行っている。
現在はかつてのライバル球団の「南海ホークス」(南海電気鉄道系列)の後身である福岡ソフトバンクホークス(ソフトバンクグループ系列)を地元企業として後援し、2017年から同球団に復帰した川﨑宗則選手(アメリカ在住時はメジャーリーグ「シカゴ・カブス」所属)を西鉄電車イメージキャラクターに起用していた。川﨑は西鉄のCMやポスター(電車が主だが、同社の別事業にも一部出演)に出演し、西鉄福岡(天神)駅の一日駅長を務めたこともある。
前身会社の関係人物を含む。
代数は九軌より数える。カッコ内は在任期間[111]。
西鉄では以前に大分県への近鉄グループの進出を巡り、一時期近畿日本鉄道と対立していたことがあったが、現在は小康状態となっている。