見延和靖

見延 和靖
基本情報
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1987-07-15) 1987年7月15日(37歳)
出身地 福井県越前市
身長 177cm[1]
体重 74kg[1]
利き手
種目 エペ
獲得メダル
日本の旗 日本
男子 フェンシング
オリンピック
2020 東京 エペ団体
2024 パリ エペ団体
フェンシング世界選手権
2022 カイロ エペ個人
2022 カイロ エペ団体
ワールドカップ
2015 エストニア エペ個人
2016 フランス エペ団体
2017 スイス エペ個人
2018 ドイツ エペ個人
2019 アルゼンチン エペ団体
アジア競技大会
2018 ジャカルタ エペ団体
2014 仁川 エペ団体
2010 広州 エペ団体
フェンシングアジア選手権
2016 中国 エペ団体
2016 中国 エペ個人
グランプリ
2017 ハンガリー エペ個人
2019 ハンガリー エペ個人

見延 和靖(みのべ かずやす、1987年昭和62年〉7月15日 - )は、現役の日本フェンシング選手。福井県越前市出身。種目はエペ武生商業高等学校を経て、法政大学を卒業。Nexus所属、マネジメントはスポーツビズ左利き

2021年開催の東京オリンピックフェンシング男子エペ団体金メダリスト。全個人種目を通じて日本選手として初めて年間ランキングで世界1位を獲得した[2]

来歴

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最初に熱中していたスポーツはバレーボールだったが、父親のアドバイスにて高校でフェンシングを手にする。2008年に国際大会のデビューを果たし、日本のナショナルチームへ加入。

2021年に開催された東京オリンピックのフェンシング男子エペ個人では3回戦まで進んだが、韓国の朴相永に6-15で敗れ準々決勝進出を逃した[3]。同年7月30日には男子エペ団体にキャプテンとして出場し、1回戦のアメリカ戦の第8ピリオドでリザーブメンバーの宇山賢と交代する。東京オリンピック特別ルールでは、リザーブ選手と交代した時点でそれ以降の試合には一切出場できなくなるために2回戦以降はずっとベンチからの応援となったが、見延はジャージに着替えることなくユニフォーム姿のまま応援を続けた。その後、勝ち進んだ日本チームは決勝戦でロシアオリンピック委員会(ROC)に勝利して優勝。フェンシング競技で日本初の金メダリストとなった[4][5]。同年、紫綬褒章受章[6]

東京オリンピック フェンシング 男子エペ団体において金メダルを獲得した功績をたたえ、2021年12月13日、福井県越前市の越前市役所西側に記念のゴールドポスト(第26号)が設置された(ゴールドポストプロジェクト[7])。

2024年パリオリンピック男子エペ団体において銀メダルを獲得。所属クラブが東京都練馬区にあること、また、自身も同区内在住経験もある縁から2024年9月5日に、練馬区民栄誉賞を授与された[8][9]

脚注

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  1. ^ a b 見延 和靖(みのべ かずやす)/エペ”. Fencing Fan. 株式会社シー・エヌ・シー. 2019年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月6日閲覧。
  2. ^ 見延が日本選手初の年間1位 フェンシング”. 朝日新聞. 2019年8月6日閲覧。
  3. ^ “フェンシング見延和靖は3回戦で敗れる 東京五輪男子エペ個人、韓国のパク・サンヨンに6―15”. 福井新聞. https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1364088 2021年7月25日閲覧。 
  4. ^ フェンシングで日本初の金メダル! 男子エペ団体が歴史的快進撃 日本勢金17個は新記録! - スポニチ Sponichi Annex スポーツ”. スポニチ Sponichi Annex. 2021年7月30日閲覧。
  5. ^ 五輪金の見延さん一日署長、赤羽でパレード タレント竹内夢さんも痴漢注意訴え ”. 産経ニュース (2021年12月15日). 2021年12月15日閲覧。
  6. ^ 『官報』第250号、令和3年11月4日
  7. ^ ゴールドポストプロジェクト”. 首相官邸 オリンピック・パラリンピックレガシー推進室. 2022年6月9日閲覧。
  8. ^ 練馬区内フェンシングクラブ所属の3選手に練馬区民栄誉賞を授与しました”. 練馬区ホームページ. 練馬区 (2024年9月6日). 2024年9月8日閲覧。
  9. ^ パリ五輪フェンシングメダリスト3選手に「練馬区民栄誉賞」第1号”. 練馬経済新聞. みんなの経済新聞ネットワーク (2024年9月6日). 2024年9月8日閲覧。

外部リンク

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