見附宿(みつけしゅく、みつけじゅく) は、東海道五十三次の28番目の宿場である。現在の静岡県磐田市見付付近にあたる。
現在の静岡県磐田市中心部。「見附」の名は、水(み)に接する土地であることが由来である。西北方向には一の谷中世墳墓群がある。
もともとは10世紀に遠江国の国府が置かれた土地であるが、鎌倉期には国衙と守護所が置かれ、中世の東海道屈指の規模を持つ宿場町となった。16世紀頃には町人による自治も行われていたが、藩政期に入ると自治権は失われ、単なる宿場町の1つとなっていった。
天竜川の左岸にあたるが、大井川と違って水深があったため主に船が使われており、大井川ほどの難所ではなかった。しかし川止めのときは島田宿などと同様に、足止めされた人々で賑わったとされる。また遠江国分寺や見附天神の門前町であり、本坂通の分岐点でもあった。
江戸時代の東海道は本坂通を通らず、宿の西側から南下して中泉陣屋(代官所)方面に向かい(静岡県道56号が踏襲)、現在の磐田駅の手前で西に折れて天竜川に向かった。
東海道本線敷設にあたり、見附宿の南方の中泉村に中泉駅が設置された。見附と中泉は1940年に合併して磐田町となり、1948年に市制施行した。