親仏

親仏(しんふつ、英語: Francophileフランス語: Francophilie)とはフランスまたはフランス文化に対して好感を持っていることである。

概要

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親仏とは、国家としてのフランスをはじめ、フランス語やフランス文化、フランスの歴史が好きなことである。 個人が親仏家のこともあるし、国家が親仏であることもある。

親仏的な個人

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フランスは海外にもよく知られた独特の文化を持っており、個人が親仏となる理由をいくつか挙げると[1]

ただし、フランスは歴史的に北部が南部を抑圧してきたし(アルビジョア十字軍フェリブリージュを参照)、フランス革命はある時点で行き過ぎたし(テルミドールのクーデターを参照)、フランス文化のすべてが好感されることはなく、フランス嫌い(英語: Francophobia)もいる。

国際的な組織

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フランス政府はフランス語とフランス文化を紹介する施設「アリアンスフランセーズ」のフランス国内外への展開を補助している[2]。 また、フランス語圏の国々を中心にフランコフォニー国際機関を組織して毎年大会を開催している[3]

親仏諸国

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国民ないし国家が親仏的な場合もある。かつてフランスの植民地だった国々は、独立前もフェリックス・ウフェ=ボワニの例を見るようにフランス領西アフリカからフランス本国に大臣を輩出した例も見られたが、独立後もフランスと密接な関係を保っている国々も多かった。そのため、フランス語の使用、高等教育をフランスに頼るといった理由で、親仏的な国々も多い[4]

アルジェリア

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アルジェリアはフランスの植民地だったので、その時点では親仏であったかも知れない。しかしアルジェリア戦争を経て独立し、その後急速にアラビア語化が進み、現在は親仏的とは必ずしも言えない。

日本

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世界的に見ても、日本は親仏の人たちが多い国とも言われる。これはフランス人に知日の人たち、親日の人達が多い裏返しかもしれない。

ベトナム

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ベトナム1945年にフランスの植民地から独立し、主にアメリカとの間でベトナム戦争を戦った。長い冷却期間を経た2000年には、アメリカとの通商関係も修復に向かいアメリカ文化の影響も大きく受けているが、フランスパンなどの食生活、宗教(カトリック)などにフランスの植民地時代の影響が色濃く残っていて、一般に親仏的な人も多い。

アフリカでの親仏

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フランス語圏とCFAフラン

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フランスはアフリカでの影響力を「アフリカの年」以後も発揮している。例えばCFAフランを導入してアフリカの最貧国に通貨を「提供」している他、近年では西アフリカにおけるイスラム過激派の武装対策にフランス軍が駐屯されている。しかしながら2020年に起こったマリ軍事クーデターを皮切りに、マリの周辺諸国が次々とクーデターによって軍事政権に移行。移行した国々は「反フランス」の立場を鮮明に掲げた(ブルキナファソイブラヒム・トラオレギニアママディ・ドゥンブヤニジェールアブドゥラハマネ・チアニ)。また、これらのクーデターにはロシアプーチン政権も深く関わっており、特にトラオレ大統領はロシアとの更なる関係強化の姿勢を見せている。そしてこういったクーデターは、親欧米の姿勢を一貫して崩していないギニア湾に面する国々にも飛び火する可能性があり、ECOWASの盟主的存在でもあるナイジェリアはニジェールへの電力供給をストップ。同時にチアニ政権を批判し、早期の民政移管を訴えた。

冷戦期の親仏政権

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中央アフリカ共和国帝国):ジャン=ベデル・ボカサナポレオンを範に取った戴冠式を行い、また財政支援をフランスから受け取っていた)。

ガボンオマール・ボンゴ(1967年に大統領になってから、亡くなるまでパリの歴代政権と非常に近かった「隅々まで親仏的」とエコノミスト誌に書かれた)。

コートジボワールフェリックス・ウフェ=ボワニ(政権時はフランスと緊密な関係を維持し、フランスと旧アフリカ植民地との間の「特別な関係」を表すために「フランサアフリカ」という用語を作った張本人である)。

参照項目

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脚注

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  1. ^ “どうして日本人はパリ好きなの?”国内外のユーザーの議論の結末は
  2. ^ 世界中のアリアンス・フランセーズ
  3. ^ L'Organisation internationale de la francophonie (OIF)
  4. ^ OIF加盟800か国

外部リンク

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