角田不二夫

Fujio Kakuta
個人情報
国籍日本
生誕 (1911-01-27) 1911年1月27日
日本の旗 日本 静岡県
死去1938年
スポーツ
競技体操

角田 不二夫(かくた ふじお、1911年明治44年)1月27日 - 1938年昭和13年)[1])は、日本の体操選手

経歴・人物

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静岡県出身[2] [疑問点]1932年ロサンゼルスオリンピック[1]1936年ベルリンオリンピックに出場した[1] [3][4]。画家としても知られ[2]、雑誌「朝日スポーツ」の表紙ほかを描いたとされる[1][5]。ベルリンオリンピック出場[注 1]から2年後の1938年昭和13年)に27歳の若さで夭折した[1][5]。角田がロサンゼルスオリンピックで着用したユニホームは秩父宮記念スポーツ博物館に収蔵されている[6]

親族

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脚注

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  1. ^ ベルリンオリンピック資料の職業欄には前回[2]と異なり画家と示されていない[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f 太田圭「<漫筆漫歩>芸術とオリンピック・断章」『筑波フォーラム』第68巻、筑波大学、2004年11月、10-13頁、CRID 1050001202540522880hdl:2241/8071ISSN 0385-18502024年1月16日閲覧 
  2. ^ a b c 増田曜子「〈レファレンス〉オリンピック体操競技に出場した静岡県選手」『静岡県立中央図書館だより』第292号、2004年9月30日、2019年10月3日閲覧  文中に原資料「静岡の文化58号」と記述あり。
  3. ^ Fujio Kakuta Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月18日閲覧。
  4. ^ 橋爪健「〈スポーツ界花形十人男〉体操 角田不二夫」『雄弁』第26巻10; 10月特大号、大日本雄弁会講談社、1935年10月1日、382頁、doi:10.11501/11006883全国書誌番号:000237552019年10月15日閲覧  - 提供制限 (accessRights):国立国会図書館内限定公開、コマ番号(0201.jp2)。
  5. ^ a b 太田 圭 (2014年9月20日). “ミューズとオリンピック・パラリンピック”. 東京デザイン2020フォーラム. 2019年10月3日閲覧。 「東京デザイン2020オープンセッション Vol.04」(主催:東京デザイン2020フォーラム 、共催:筑波大学)の講演要旨。発表者の太田圭は筑波大学教授(美術)、日本スポーツ芸術協会理事。
  6. ^ 落合博 (2016年12月15日). “発信箱 散逸の危機”. 毎日新聞 (東京朝刊). https://mainichi.jp/articles/20161215/ddm/005/070/016000c 2019年10月3日閲覧。 

関連項目

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