『記念の詩』(きねんのし、ドイツ語: Sinngedichte)作品1は、ヨハン・シュトラウス2世が作曲したウィンナ・ワルツ。
などの邦題があるが、本記事では『ヨハン・シュトラウス2世作品目録』(日本ヨハン・シュトラウス協会、2006年)に従い、『記念の詩』を正式なものとする。
1844年10月15日、ヨハン・シュトラウス2世はカジノ・ドムマイヤーにおいてデビューした。ヨハン2世はまず当時の慣習に従って、オベールやマイアベーアのオペラの序曲を演奏し、それから以下の4つの自作品を初演した[3]。
この中でも『記念の詩』は目玉作品であり[4]、とりわけ聴衆を熱狂させて19回もアンコールされたという[3]。デビューコンサートは大成功を収め、『デア・ヴァンデラー』紙は10月19日の紙面で「おやすみランナー、こんばんはシュトラウス1世、おはようシュトラウス2世!」と称えた[4]。
第1ワルツ
時は流れて1894年10月15日前後、ヨハン2世が音楽家生活50周年を迎えたことを祝って、盛大な記念行事がウィーンのあちこちで催された。弟のエドゥアルト・シュトラウス1世は、ヨハン2世のワルツ・メドレー『花冠(Blüthenkranz)』を作曲し、メドレーの二番手として兄のデビュー当時を象徴するこの『記念の詩』を配している[5]。(ちなみに、一番手はヨハン2世が6歳の時に作曲したとされる『最初の楽想』である[5]。)
ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートへの登場は以下の通りである。