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とよのちょう 豊能町 | |||||
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とよのコスモスの里 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 大阪府 | ||||
郡 | 豊能郡 | ||||
市町村コード | 27321-0 | ||||
法人番号 | 2000020273210 | ||||
面積 |
34.34km2 | ||||
総人口 |
17,024人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 496人/km2 | ||||
隣接自治体 |
茨木市、箕面市、豊能郡能勢町 京都府亀岡市 兵庫県川西市 | ||||
町の木 | 杉 | ||||
町の花 | たんぽぽ | ||||
町の鳥 | ウグイス | ||||
豊能町役場 | |||||
町長 | 上浦登 | ||||
所在地 |
〒563-0292 大阪府豊能郡豊能町余野414番地の1 北緯34度55分08秒 東経135度29分39秒 / 北緯34.91889度 東経135.49411度座標: 北緯34度55分08秒 東経135度29分39秒 / 北緯34.91889度 東経135.49411度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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ウィキプロジェクト |
豊能町(とよのちょう)は、大阪府豊能地域に位置し、豊能郡に属する町。
本項では町制前の名称である東能勢村(ひがしのせむら)についても述べる。
大阪府北西部、京都府と兵庫県の接点に位置する。また北摂山系の中にあり、標高が高いことから隣接する能勢町とともに「大阪の軽井沢」、あるいは寒冷であることを強調して「大阪の北海道」「大阪のシベリア」などと称される[要出典]。該当する地域(東地区)の標高は400m〜600m程度に位置しており、大阪府中心部より概して3°C程度は気温が低い。また、北摂山系に含まれることから冬季はバスが運休するほどの降雪に見舞われることもあり、温度は氷点下になることもある。一方、西地区一帯では標高200〜300mであり、東地区に比べて降雪量が少ない。
東地区のほとんどの地域は、旧令制国の摂津国であり旧能勢郡にあたるが、高山地区は旧三島郡清溪村から編入された地域であり旧島下郡であたる。また、牧・寺田両地区は京都府亀岡市から編入された地域であり、旧丹波国桑田郡である。一方で、西地区はもともと旧川辺郡にあたり、1889年に旧能勢郡に編入された。なお、西地区の西端(旧吉川大字保谷周辺)は一庫ダムの一部に属する。
町域は妙見山山塊(妙見山〜光明山〜天台山)を隔て東地区と西地区に二分される。元は東地区は東能勢村(一部は京都府亀岡)、西地区は吉川村、として独自に発展してきた。妙見山は標高660mにも上るため、東地区と西地区は未だに町内だけで移動できる道路がなく、野間峠から清滝を経て初谷川の渓谷沿いに至る徒歩道を除けば、国道423号・府道605号・府道4号・国道477号を利用して野間峠・能勢町野間中・川西市黒川を経由する府県境を越境するものが主要ルートであった。2007年5月30日に、箕面市止々呂美・森町地区に開通した止々呂美東西線の開通により、箕面市域を経由するルートが開通した。
東地区は鉄道がなく、町役場のある余野を中心に国道・府道が通じているため、近隣の市街地(池田市・茨木市・箕面市・京都府亀岡市)へは阪急バスによるバス路線が運行されている。ただし、いずれの道路も比較的長距離の山道走行をしないと市街地に出ることができない。このように、東地区は、箕面市止々呂美や茨木市見山(忍頂寺・車作など)・亀岡市東別院町・西別院町などと広い範囲で繋がりが深い。
一方で、西地区は鉄道で市街地に出ることができ、道路も市街地までの山道区間は比較的短い。特に能勢電鉄の開通により川西市との繋がりが大きく、川西地区の開発・発展の恩恵を多大に受けている。また、西地区と能勢町東部は国道477号を通して繋がっている。
東地区南東部の高山地域は「隠れキリシタンの里」としても有名で、高山右近の生誕地でもあり、東地区の隣接地域である茨木市千提寺地区には隠れキリシタンの資料館・茨木市立キリシタン遺物史料館がある。また、高山地域の一部は北摂霊園の敷地内となっているほか、新名神高速道路が南部をかすめる程度で通過している。
町内を流れる川としては、余野川水系(牧川・野間川・寺田川・石田川・大円川・切畑川・木代川・高山川の一部)、箕面川水系(高山川の一部)、初谷川がある。町内にある山には、町を東西に分断する妙見山・光明山・天台山をはじめ、鴻応山・戸知山・明ケ田尾山・湯谷ケ岳・田の廣・高代寺山・青貝山がある。
平成27年国勢調査により前回調査からの人口増減をみると、9.29%減の19,934人であり、増減率は府下43市町村41位、72行政区域中70位[1]。
町内の人口比では、役場のある東地区は全体の約25%、役場支所のある西地区は全体の約75%にあたる。
豊能町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 豊能町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 豊能町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
豊能町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
町役場がある余野を中心に発展してきた地域である。東地区の北部に位置する牧・寺田地区は亀岡市から編入された。希望ヶ丘地区は大和団地(当時)によって作られた住宅地である。
中心地である余野からは東西南北への道路網が存在しており、文化・生活圏は主に池田・亀岡・茨木・千里中央と幅広い。そのため最寄駅も能勢町同様、町外の各駅になっている。また、箕面市止々呂美中学からの職場体験を受け入るなど周辺の山間地域との交流も盛んである。過去には、京都府亀岡市別院地区から公立城山高校(廃校)(余野)への通学を認めていたり、箕面市止々呂美地区から余野の豊能町立双葉保育所への通園も認められていた
(希望ヶ丘の詳細は北大阪ネオポリスを参照)。
北摂山系の中にある中山間部の地区。元は三島郡清溪村に属する地区であったが、清溪村の他の3大字(佐保・泉原・千提寺)が茨木市に編入され、大字高山のみ東能勢村(現・豊能町)に編入された。道路での町内他地区への移動は箕面市や茨木市域を一旦経由しなければならない。棚田や野菜畑といった農業が主要な地区であるが、人口減少によって高山小学校が廃校になるなど地区の過疎高齢化が進んでいる。
旧川辺郡(のちに能勢郡となる)吉川村の区域であり、昭和初期までは吉川(上之町、中之町、下之町の各集落)および保之谷集落から構成されていたが、高度成長期以降、住宅地が造成された。能勢電鉄によってときわ台・東ときわ台、日本機械土木(その後奈良建設→京阪神興発に社名変更、現在は特別清算)によって光風台・新光風台が開かれた。なお、妙見口駅周辺の吉川は市街化調整区域に設定され宅地化されなかった為、旧村地区の性質を保っている。
文化・生活圏は能勢電鉄が走っているため主に川西(兵庫県依存型)となる。そのため、同じ大阪府内である池田や豊中、大阪市内、能勢へ行くときは一旦兵庫県内(川西市域)を通るルートが一般的であるが、府内主要地へは2007年5月に開通した止々呂美東西線及び箕面有料道路(箕面グリーンロード)の開通により、所要時間や距離は大幅に短縮された。
詳しくはこちらのページを参照のこと。
大阪府は町村合併促進法(1953年(昭和28年)に制定)」に基づき、旧能勢郡に属する奥能勢6村(東能勢・吉川・田尻・歌垣・東郷・西能勢)を1村とする方針を定めた。当初より段階的な統合を検討しており、その第一段階として東能勢村と吉川村の合併が考えられていた。1955年には両村会議長が府に対して、両村を結ぶ道路を作るか、野間峠に新トンネルの建設を陳情している。しかし期限切れの直前となる9月11日の会合で、新村の仮庁舎をどこに設置するかで紛糾し、6村合併は頓挫した。自村への設置に拘り紛糾の元となった東郷村長は引責辞職を表明し、合併から離脱した。
残る5村は、13日に協議会を開き東能勢村・吉川村が新・東能勢村に、西能勢村・歌垣村・田尻村が能勢村(後の能勢町)として合併することで合意、期限切れ当日の9月30日に施行された。なお、合併から取り残された東郷村も1959年(昭和34年)に能勢町へ編入された。その後は能勢町及び箕面市止々呂美地区と東地区の親交が深かったため箕面市とも合併構想を検討していた[要出典]が、いずれも進展なく終わっている。
合併による新・東能勢村の成立以前にも1895年(明治28年)には(東西連絡で府県境越えとなる部分である)兵庫県川西市黒川地区を吉川村に合併する話が持ち上がった[要出典]が、見送られた。
「平成の大合併」では、飛地となる池田市との合併をも検討された[要出典]が不調に終わった。
各課の業務内容については組織・各課の一覧もあわせて参照のこと。
定数は12人。2021年9月26日時点での会派構成は以下の通り。
会派名 | 議席数 | 所属党派 | 女性議員数 | 女性議員の比率(%) |
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大阪維新の会 | 4 | 大阪維新の会 | 3 | 75 |
公明党 | 2 | 公明党 | 0 | 0 |
日本共産党 | 1 | 日本共産党 | 1 | 100 |
自由民主党 | 1 | 自由民主党 | 0 | 0 |
無所属 | 4 | 2 | 50 | |
計 | 12 | 6 | 50 |
2021年10月31日衆議院議員選挙による当選にて選出される。
鉄道路線が敷かれているのは西地区のみであり、いずれの駅も近隣住民や観光客の利用がほとんどである。このため町の中心となる駅は存在しない。
2022年10月現在、国道2本、主要地方道1本、一般府道4本、町道544本が走っている。また町内のガソリンスタンドは2022年10月現在すべて撤退しており、給油の際は近隣市町に行く必要がある。
高速道路
国道
府道
町内の東西間の移動は、従来からの大阪府道605号国崎野間口線(野間峠)を経由するルートのほか、隣接する箕面市北部にある止々呂美東西線(2007年5月30日開通)や都市計画道路止々呂美吉川線(2015年度に開通)がある。
町道
営業所基地は東地区の希望ヶ丘にある。
東地区は役場のある余野を中心に池田・茨木・箕面萱野方面に路線が運行されている。
営業所基地が吉川にあり、能勢町や京都府亀岡市を結ぶ路線を運行していた。能勢町への路線は2003年7月、亀岡市への路線は2005年4月に廃止された。
豊能町観光協会のサイトも参考のこと。
(2012年12月現在)
各郵便局にはゆうちょ銀行のATMが設置されており、豊能郵便局ではホリデーサービスを実施。
※豊能町内の郵便番号は以下の通り。
詳細は豊能町観光協会のサイトを参照のこと。
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
東西問題とは、本町が妙見山塊を境に東西両地区が大きく分断されている問題[要出典]である。東西両地区は道路では一度町域外に出なければ移動出来ないため、人口規模に関係なく両地区に主要な公共施設を設置する必要があるなど、非効率な二拠点行政を強いられる行政問題を宿命的に抱えている。
施設種別 | 東地区 | 西地区 |
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町役場 | ○本庁 | 吉川支所 |
消防署 | 東出張所 | ○消防本部 |
図書館 | 中央公民館図書館 | ○町立図書館 |
スポーツ施設 | 青少年総合スポーツセンター | ○シートス |
公民館 | ○中央公民館 | 西公民館・吉川公民館 |
○は本庁扱い、またはより規模が大きなもの。
1997年11月、豊能町と能勢町で共同運営するゴミ処理施設「豊能郡美化センター」(豊能郡能勢町内に所在した。北緯34度59分08.257秒 東経135度26分47.156秒 )内とその周辺で過去最高の濃度となるダイオキシン汚染が検出[1]された。
能勢町は汚染された周辺土壌(約9,000トン)を、豊能町は施設内の汚染物質(ドラム缶約4,300本に封入)の処理を分担することとなった。
当初、南殿利正町長(当時)は、豊能町木代地区にダイオキシン無害化処理施設の建設を予定していたが、木代に隣接する希望ケ丘地区の自治会(会長:湯浅光雄=後、町議会議員)を中心に猛烈な反対運動が巻き起こり、デモ運動も起こった。これに対して、南殿町長は「関係のない新しい住宅地の人が先に騒いでいる」と発言し、計画の白紙撤回を求めている希望ヶ丘自治会を批判した。
その3ヶ月後に行われた町長選挙で、処理計画の白紙撤回を公約に掲げる前町議会議員の日下纓子が反対運動の追い風に乗り当選した。「白紙撤回」には、能勢での現地保管・無害化処理を期待する者が多かったが、町長に就任した日下は、早々と豊能町内で木代以外の場所での汚染物質の保管・処理の道を模索しはじめた。これには、選挙で日下を支持した者を中心に「公約違反」との批判が噴出する結果となった。
2001年、日下町長(当時・以下同)が汚染物の保管計画の予定地に選定したのは、周りに民家がない西地区の初谷川源流域であった。しかし、これにも激烈な反対運動が起こり、反対の署名は約5,700名に上り、川尻自治会、野間口自治会より反対の請願が提出され、議会はこれを可決、住民訴訟まで起こった(代表:藤田隆=後、町議会議員)。これにより、日下は初谷源流域での汚染物保管計画を撤回し、汚染物無害化処理施設の建設を別地に求めることとなった。
2003年に入り、初谷川とは光明山を挟んで反対側に位置する川尻の共有林が処理施設の予定地に選定された。ところが、これも地元自治会に門前払いされ、早期に計画は挫折することとなった。次に日下が予定地に選んだのは余野であった。この建設予定地は教育施設に近く、子供たちの安全を脅かすなどとして地元でまたもや猛烈な反発が起こり、余野自治会会長が解任される騒ぎまで至った。
ここに至り、日下は豊能町内での汚染物の保管・無害化処理計画を諦め、能勢の現地での処理を模索する事となった。その後、旧美化センターのあった能勢町の山内地区との現地処理の和解調停が成立し、事態は解決に向け動き始めたが、最終処理までの技術を持たないクボタを処理業者に指名したため、さらに混迷は続くこととなる。
2008年に就任した池田勇夫町長は当初、県外処理を模索するが最終的に木代地区での処理を進める。
2012年に行われた町長選挙で田中龍一町長が誕生し、それまでの方針から再び変更される。
2015年、福岡県の三池製錬株式会社との間で約1億円で無害化処理をする契約が成立。同年8月9日にドラム缶198本が搬出されたが、12月になっても処理は進んでいなかった。その背景には、一度搬出された一般廃棄物を三池製錬から産業廃棄物として搬出すれば、基礎自治体に通知しなくても安く処理できるという話が浮上し、処理ストップがかかったことが理由とされている[誰によって?]。
2016年2月、豊能郡環境施設組合が三池製錬に廃棄物を引き取りに行き、新たに9650万円の処理費用を支払うも処理されず、関西環境建設株式会社とその関連会社で、産業廃棄物として処理したことが公表された。
2016年8月に、神戸市の許可を得ないまま、同市西区内の産業廃棄物最終処分場に持ち込まれ埋立処分されていたことが明らかとなり、神戸市は豊能郡環境施設組合に対し、抗議の上8月10日までに撤去するよう要請[3]。廃棄物はこのときに掘り起こした土も含めておよそ8倍の重さに膨れ上がった[4]。組合は、兵庫県の川西市に近い町西部の山林に仮置き場を設けたが、周辺住民らの反対で搬入を断念。期限を31日に延長してもらい、豊能町の町有地(旧双葉保育園ほか)を2カ月と期間を限定し、仮置き場とすることで町民の了承を得て、8月31日に搬出を完了させた。
その後、2023年現在まで6年に渡り仮置き場に保管されている。人口減少が続く豊能町は2022年4月、国が過疎法で財政支援する対象地域に指定された。国の財政措置などを見込んで公共施設の再編を計画しており、組合はこの再編に合わせて最終処分場所を探しているが、「旧保育所を含めた周辺」という方針があるだけでめどはたっていない[5]。