ざいぜん なおみ 財前 直見 | |
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![]() 成田山大阪別院明王院の節分祭(2014年) | |
生年月日 | 1966年1月10日(59歳) |
出生地 |
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身長 | 165 cm[1] |
血液型 | AB型 |
職業 | 女優 |
ジャンル | テレビドラマ、映画 |
活動期間 | 1984年 - |
活動内容 | 1984年:東亜国内航空キャンペーンガール |
配偶者 | 本間欧彦(2003年 - 2012年) |
事務所 | 研音 |
公式サイト | プロフィール |
主な作品 | |
テレビドラマ 『お金がない!』 『スチュワーデス刑事』 『お水の花道』 『QUIZ』 『こころ』 『義経』 『おんな城主 直虎』 『光る君へ』 | |
財前 直見(ざいぜん なおみ、1966年1月10日 - )は、日本の女優。研音所属の女優第1号とされる[2][注釈 1]。女優として、シリアスからコメディーに至るまで幅広いジャンルでドラマ・映画に出演している[3]。
大分県杵築市で生まれた後、幼い頃は父の仕事の関係で兵庫県姫路市で育ち、小学4年生の頃に大分市に引っ越した[4]。ほどなくして市内の一軒家を財前の実家として暮らし始めた[4]ため(詳しくは後述)、媒体によっては「大分市出身」とする場合もある。大分高等学校卒業。[要出典]
1984年(昭和59年)、日本エアシステム・JAS(現・日本航空・JAL)の沖縄キャンペーンガールに選ばれて芸能界デビュー、同年には初出演したドラマ、『六本木天使』で主演を務めた。『11PM』のアシスタントをしたこともある。
角川映画15周年を記念した1990年の映画『天と地と』に武田信玄の側室・八重役として出演し、本人にとって「役者人生の分岐点」と位置づける作品となった[5]。
1994年(平成6年)、織田裕二主演のコメディドラマ『お金がない!』で、貧乏ながら明るく生きるヒロインぶりが話題になった[4]。ドラマ『お水の花道』(1999年・フジテレビ系)及び『新・お水の花道』(2001・同系)などで主演[2]。また、1997年(平成9年)の主演作である2時間ドラマ『スチュワーデス刑事』はシリーズ化され、2006年までに全10作が放送されるヒット作となった[4]。
2003年(平成15年)7月11日、『スチュワーデス刑事』のプロデュース・演出も手がけた本間欧彦[注釈 2]と結婚。
2006年(平成18年)12月7日、午後0時18分、都内の病院で第1子となる男児を出産した。財前は所属事務所を通し「ずっと待ちわびておりましたので、喜びもひとしおでございます」とコメントした。これを機に2007年(平成19年)に郷里の大分市に移住、長男、両親と同居[6]。以来、仕事の度に上京する生活を続けている[7][8][9][10]。また、長男誕生後の4年あまりは単発作品などへ限定的に出演していたが、2011年(平成23年)冬季に連続ドラマ2本[注釈 3]への同時レギュラー出演で本格復帰を果たした。
2012年(平成24年)8月7日に離婚したことを明らかにした[11]。
大分移住後、家族と共に畑で40種類もの野菜や果実を収穫し、それらを使って料理を作るなどしてきた[3]ところ、2022年にその田舎暮らしの様子がテレビで紹介されて話題になった[5]。2023年、築100年以上の古民家だった生家を洋風家屋に建替え[4]、その様子は「有吉ゼミ」(日本テレビ)の「田舎暮らし芸能人」コーナーで放送された(建替えについては後述)。
鉄鋼メーカーに勤める父、主婦をする母、1つ上の姉と共に育った[4]。財前が生まれる前から両親と姉は兵庫県姫路市の社宅に住んでおり、財前を妊娠中の母は父の実家(財前の生家となる)がある杵築市で“里帰り出産”し、その後は姫路で家族4人で暮らした[4]。小さい頃は、母親のスカートのすそを持って後ろに隠れているような、大人しい性格だった[2]。
小学4年生(または3年生[2])で父の転勤により大分市の社宅に引っ越し、半年後に市内の一軒家を購入してそこで暮らし始めた(以降財前の実家となる)[4]。大分市で暮らしながら、以降一家は杵築市の生家で時々寝泊まりしていた[注釈 5]ため、財前にとっては第二の実家のような場所となった[4]。
中学では、「他の運動部に比べてキツいトレーニングがなさそうとの理由から卓球部に所属[4]。高校では、吹奏楽部に所属してクラリネットを担当[4]。10代の頃は、男性アイドルのたのきんトリオ[注釈 6]に憧れていた[4]。
高校3年生の頃に地元の歯科医院への就職が決まったが、卒業前に知らぬ間に友達が財前の写真を、航空会社の沖縄キャンペーンガールのオーディションに応募[4]。ある日突然、東京からの電話で最終審査の四人に残ったため東京に来るよう告げられ、東京でオーディションを受けてキャンペーンガールに選ばれた[4]。
卒業後に上京し、港区のシンプルなアパートで暮らしながら、いくつものオーディションを受けては落ちるという日々を過ごす[4]。当時なんとなくオーディションを受けていたが、20歳頃にマネジャーに発破をかけられたことで気持ちを入れ替えると、少しずつ役をもらえるようになった[注釈 7]。ほどなくして人気女優となったが、20代後半に多忙すぎて自分を見失いそうになった時期があるが、ある人から「可能性は無限にある。自分で有限にするな」と言われ、我に返ることができたという[2]。その後高輪のアパート、代々木や下北沢などのマンションを転々とした[4]。
映画『天と地と』の八重役は口数の少ない役柄だった[注釈 8]が、女騎馬隊のリーダー的な役だったため、自身初の乗馬に苦労もしながらも騎馬隊の皆を引っ張る役を演じた。他にも「チャレンジすること」、「人が生きるということ」、「仲間との絆」など様々なことを教わり、この作品は女優業をする上での転機となった[5]。
ドラマ『お金がない!』は、当初シリアスな内容になる予定だったが、撮影前にテレビ局から「すみません、内容がコメディドラマに変わりました。財前さんは貧乏な役です」と告げられた。しかし、それまでの出演作品でお嬢様役や陰のある役が多く、本人は「役の幅を広げたい」と思っていたため、役の変更を内心ガッツポーズするほど喜んだという[4]。本作の出演により、演技の面白さに開眼した[2]。
2時間ドラマ『スチュワーデス刑事』では、1990年代後半頃はバブル崩壊後であったがテレビ業界ではまだ景気が良かったため、様々な国での海外ロケが行われた。またイタリアのロケでは、空の移動には役者・スタッフ陣は全員ビジネスクラスで搭乗し、ロケの空き時間にブランド店を貸し切りにして皆で買い物を楽しんだという[4]。
『お水の花道』では、出演者みんなで毎回アイディアを出し合い、コメディ演技を楽しむことができた[注釈 9]。それまでの出演映画やドラマの撮影現場では、基本的に職人気質のスタッフさんたちから厳しく演技や撮影現場での立ち振舞いを求められたため、緊張することも多かったが、本作辺りから撮影現場を楽しめるようになったとのこと[2]。
仕事が軌道に乗り出したあと、渋谷などに引っ越し、その後目黒の一軒家を借りて転居[4]。30代半ばに両親を呼び寄せるつもりで世田谷の3階建ての中古の一軒家を購入したが、「大分を離れたくない」と言われたため、結局1人で暮らすことになった[4]。その後2003年に結婚し、世田谷の自宅で夫婦で暮らした[4]。
2006年に40歳で長男を出産すると、以前から「子供が4歳になるまでは育児に専念する」と決めていたため、仕事を休業して翌年に息子を連れて故郷の大分で暮らし始めた[4]。以後実家に居候し、世田谷の家は賃貸に出し、息子が小学校に上る前から両親の協力を得て、役者業などの仕事がある時だけ上京する形で少しずつ仕事を再開[4]。
離婚の翌年である2013年、大分市の実家近くに二世帯住宅を建ててそこで両親と息子と4人で暮らすようになり、実家は賃貸にした[4]。古民家である杵築の生家は倉庫と母屋があり、財前が生まれた母屋は築100年以上の古いもので[4][注釈 10]コンクリートで基礎を作らない時代に建てられた。この為に岩が基礎となっていたり、床下の木材がシロアリに食われたせいで床が弛んで危ないため、取り壊して立て替える決意をし、柱を残して立て替える事にした。この母屋や小屋の物の仕分けから立て替え完了までの行程が、先述の「有吉ゼミ」で放送された。
建替え後の杵築の家は、財前たちは時々ここで寝起きしながら農作業や収穫した野菜で料理をするなど、別荘のように利用している[4]。その後NHK大分放送局制作のローカルニュースの1コーナーで財前の田舎暮らしの様子が取り上げられた[3]。好評を博したことで、2022年からEテレで「財前直見のおおいた暮らし彩彩」と題して全国放送され、著書「財前直見の暮らし彩彩」の出版に繋がった[3]。また、同年11月7日に放送された「家事ヤロウ!!!」では建て直した新築を公開、レギュラーメンバーの三人(バカリズム・カズレーザー・中丸雄一)が訪問、更に畑仕事の他に養蜂をやりたいということで、財前の長男と中丸が携わった。