赤祖父俊一 | |
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生誕 |
1930年12月4日(94歳)![]() |
居住 |
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国籍 |
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研究分野 | 地球物理学 |
研究機関 | アラスカ大学フェアバンクス校 |
出身校 |
東北大学(学部) アラスカ大学フェアバンクス校(大学院) |
主な業績 | オーロラの研究 |
主な受賞歴 | 日本学士院賞(1977年) |
プロジェクト:人物伝 |
赤祖父 俊一(あかそふ しゅんいち、1930年12月4日 - )は、日本出身の地球物理学者。アラスカ大学フェアバンクス校名誉教授、国家基本問題研究所客員研究員、星槎大学共生科学部客員教授、日本地球惑星科学連合特別栄誉フェロー。オーロラの研究で知られている。
小惑星(4949) Akasofuは赤祖父に因んで命名された[1]。
長野県佐久市生まれ。1953年、東北大学理学部地球物理学科卒業。1957年同大学院修士課程修了、1961年アラスカ大学大学院修了。1964年にアラスカ大学地球物理研究所教授に就任。1986年から1999年までアラスカ大学地球物理研究所の所長。2000年から2007年までアラスカ大学国際北極圏研究センター(International Arctic Research Center of the University of Alaska Fairbanks; IARC)の所長を務めた。アラスカ大学は赤祖父の退職にあたり、国際北極圏研究センター・ビルを赤祖父俊一ビルと命名した。
科学的業績はオーロラの研究に関するものが主体[2]。公的な受賞(#受賞等の節を参照)もあり、特に被引用数が多いのは1964年頃のオーロラ嵐に関する研究[3][4]である。The History of Auroral Substorms[1]
地球温暖化について懐疑論を展開し、現在観測されている温暖化が異常ではない[5]、地球温暖化は主に自然要因である[6]、温暖化の研究は純粋に学問にとどめておくべき[7]などの主張を行っている。それらの主張は誤った認識に基づいていると他の科学者達に指摘され[8][9][5]、反論を受けている[8][9][10]。