赤穂城断絶 | |
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The Fall of Ako Castle Swords of Vengeance | |
監督 | 深作欣二 |
脚本 | 高田宏治 |
原作 | 高田宏治 |
ナレーター | 鈴木瑞穂 |
出演者 |
萬屋錦之介 千葉真一 松方弘樹 西郷輝彦 渡瀬恒彦 近藤正臣 原田美枝子 丹波哲郎 芦田伸介 三田佳子 岡田茉莉子 三船敏郎 |
音楽 | 津島利章 |
撮影 |
宮島義勇 仲沢半次郎 |
編集 | 市田勇 |
製作会社 |
東映 東映太秦映画村 |
配給 | 東映 |
公開 | 1978年10月28日 |
上映時間 | 160分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
配給収入 | 6億円(推定値)[注釈 1] |
『赤穂城断絶』 (あこうじょうだんぜつ、The Fall of Ako Castle or Swords of Vengeance ) は、1978年公開の日本映画。監督:深作欣二、配給:東映。カラー、シネマスコープ、160分。
オールスターキャスト[2]による「忠臣蔵」の25回目の映画化作品である[3]。昭和53年度文化庁芸術祭参加作品。
大石内蔵助を演じた萬屋錦之介は、翌年の1979年にテレビ朝日系列で放送された連続テレビ時代劇『赤穂浪士』でも、同じ内蔵助役で主演している。
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1978年1月に公開された萬屋錦之介主演・深作欣二監督の時代劇映画『柳生一族の陰謀』の大ヒットを受け、東映社長の岡田茂は、錦之介を主役にした映画をもう1本、「忠臣蔵」を題材に製作するよう深作に指示した[4]。深作は従来通りの忠臣蔵か、実録調か、などと検討し、さらに脚本の高田宏治に「なんなら討ち入りもいらない。支度するシーンで終わってもいいじゃないか」と伝え、討ち入りよりも大石と吉良のスパイ合戦をメインに据えるという案も出した[4]。参考試写で戦前の『元禄忠臣蔵』を観た深作は、脱落していく浪士たちの物語に感銘を受け、これも盛り込もうとしたので、主人公の大石内蔵助の存在はどんどん希薄なものになっていった[4]。
また、深作と岡田は吉良上野介の視点からの忠臣蔵を描こうとし、当初は吉良を錦之介、大石を金子信雄という、公開時とは逆の配役を計画していた[4]。しかし東映京都撮影所で育ってきた錦之介にとって大石役は、これまで片岡千恵蔵、市川右太衛門ら「御大」たちの演じてきた「役者の本懐」であり、この計画を受け入れず、歌舞伎関係の周囲にも吉良役を反対され、従来通りの忠臣蔵を要望し、堂々たる大石像を演じさせるよう深作に求めた[4][5][6]。また、錦之介はクランクイン前にカメラマンの交代も求めている[5][6]。
深作と錦之介は、『柳生一族の陰謀』でも撮影時に対立しており( ⇒ 柳生一族の陰謀#撮影)、本作クランクイン後も、決して折り合うことはなかった[5][6]。深作は岡田へ降板を申し出るが説得され、撮影を続行した[5][6]。
変化のある作品を作りたかった深作は、これまで主君の無念を晴らす赤穂浪士と吉良家の対立による仇討ちと描写されてきた物語を単なる美談調の展開にせず、「公儀への反逆」と認識する幕府、討ち入りから脱落してゆく浪士や死にゆく者など、全編をドキュメンタリータッチに演出した[7][8][9]。また、討ち入りのシーンでは、不破数右衛門(千葉真一)と小林平八郎(渡瀬恒彦)のアクション感高い一騎討ちでドラマを盛り上げた[6]。
『柳生一族の陰謀』の半分にも満たない興行成績に終わった[5][6][7]。
本作で渡瀬恒彦がキネマ旬報賞助演男優賞と第21回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞した(『事件』との連名)。
錦之介の意向を汲んで仕上げられた本作の製作は、深作にとって窮屈さを感じる不本意なもので[7][10][11]、深作は16年後の1994年に再び忠臣蔵を題材にした映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』を作った。
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