趙樸初 趙朴初 | |
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生年月日 | 1907年11月5日 |
出生地 | 清 安徽省安慶市太湖県 |
没年月日 | 2000年5月21日(92歳没) |
死没地 | 中華人民共和国 北京市 |
出身校 | 蘇州大学 |
所属政党 | 中国民主促進会 |
配偶者 | 汪棣華,陳邦織 |
第六、七、八、九回中国人民政治協商会議副主席 | |
在任期間 | 1983年 - 2000年 |
中国仏教協会会長 | |
内閣 | 李鵬内閣 |
在任期間 | 1980年 - 2002年 |
趙樸初 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 趙樸初 |
簡体字: | 赵朴初 |
拼音: | Zhào Pǔchū |
英語名: | Zhao Puchu |
趙 樸初(ちょう ぼくしょ、1907年11月5日 - 2000年5月21日)は、中国の政治家、書道家、仏学家、作家、社会活動家[1][2]。
1907年11月5日、安徽省安慶市の書香門第の家庭に生まれる。父の趙恩彤はかつて県吏と塾師として勤めていた。母の陳慧は、敬虔な仏教徒であった。
1911年、両親に連れられ太湖県に引っ越す。蘇州市東呉大学(現在の蘇州大学)卒業。
1928年より後、上海江浙仏教連合会秘書、上海仏教協会秘書、仏教浄業社社長、四明銀行行長を歴任する。1938年より後、上海文化界救亡協会理事、中国仏教協会秘書兼主任秘書、上海慈聯救済戦区難民委員会常委兼収容股主任、上海浄業流浪児童教養院副院長、上海少年村村長を歴任する。
1945年に、馬叙倫、王紹鏊、周建人、許広平、林漢達、徐伯昕、雷潔瓊、鄭振鐸、柯霊などにより、中国民主促進会結党準備が始められた。1946年より後、上海安通運輸公司、上海華通運輸公司常務董事、総経理。1949年、上海臨時聯合救済委員会総幹事、中国人民保衛世界和平委員会常委、副主席、亜非団結委員会常委。
1950年より後、中国人民救済総会上海市分会副主席兼秘書長、華東民政部、人事部副部長、上海市人民政府政法委員会副主任を歴任する。1953年より後、中国仏教協会副会長兼秘書長、中国作家協会理事、中日友好協会副会長、中緬友好協会副会長、中国紅十字会副会長兼名誉副会長、中国人民争取和平と裁軍協会副会長を歴任する。1980年より後、中国仏教協会会長、中国仏学院院長、中国蔵語系高級仏学院顧問、中国宗教和平委員会主席、中国書法家協会副主席、中国民主促進会中央常委、民進中央參議委員会主任、副主席、名誉主席、全国政協副主席を歴任する。
1993年、西泠印社第五期社長に就任。
2000年5月21日、93歳で北京市にて死去。
仏教の称号 | ||
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先代 喜饒嘉措 |
中国仏教協会会長 1980年—2000年 |
次代 一誠 |