文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真 | |
人物情報 | |
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生誕 |
1933年4月24日 日本・東京 |
死没 | 2015年11月26日 (82歳没) |
出身校 | 東京大学文学部 |
学問 | |
研究分野 | 歴史学(東洋史) |
研究機関 | 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、東京大学、大正大学 |
学位 | 文学博士 |
辛島 昇(からしま のぼる、1933年4月24日[1] - 2015年11月26日[2][3])は、日本の歴史学者。博士(文学)(東京大学)。東京大学名誉教授、大正大学名誉教授。
1933年、東京で生まれた。神奈川県立湘南高等学校を卒業し[要出典]、東京大学文学部に入学。東洋史学科で学び、1958年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科に進み、1961年に修士課程を修了、1964年に博士課程を単位取得退学[4]。
同年、東京大学文学部助手に採用された。1967年、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所講師となった。1971年、同助教授に昇格。1974年、東京大学文学部助教授となり、1981年より同教授[4]。1993年、学位論文『ヴィジャヤナガル王国支配下の南インド社会 - 新しい体制の成立へ』を東京大学に提出して 文学博士号を取得[4][5]。1994年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は大正大学文学部教授として教鞭をとった[4]。1995年からは放送大学客員教授も兼任した。2008年、大正大学を退職し、名誉教授となった。
学界では、1985年にインド刻文学会会長[1]。1989年に国際タミル学会会長に推挙された[1]。
2015年11月26日に死去。
漢学者の家系に生まれ、父の辛島驍、母方の祖父塩谷温は漢文学者。