農商務省(のうしょうむしょう)は、かつて産業行政を推進するために設置されていた日本の中央官庁。このページでは、第二次世界大戦中に設置された農商省(のうしょうしょう)も併せて述べる。
農商務省 | |
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農商務省、1891年(設計新家孝正) | |
役職 | |
大臣 |
河野敏鎌(初代) 高橋是清(最後) |
概要 | |
設置 | 1881年(明治14年)4月7日 |
廃止 | 1925年(大正14年)4月1日 |
前身 | 内務省駅逓局・山林局・勧農局・博物局、大蔵省商務局 |
後身 | 農林省・商工省 |
農商務省(のうしょうむしょう)は、明治・大正期に存在した日本の中央官庁である。1881年(明治14年)に設立され、太政官制の下では農商務卿を長とし、内閣制度創設後は農商務大臣を長とした。所管分野は、主に農業・林業・水産業・商工業といった諸産業である[1]。
窒素肥料の研究のため、臨時窒素研究所が設置された。ここでは甲賀三郎と大下宇陀児が勤務していた。
1897年(明治30年)には、軍馬の当時の必要性から馬飼育業についてフランス法を翻訳し、フランドル地方の馬種改良規則などを研究した[2]。
工場法制定へ向けて全国工場労働者の実態調査をし、その報告書である「職工事情」を1903年(明治36年)に刊行した。
1925年(大正14年)に、農林省(現:農林水産省)と商工省(現:経済産業省)に分割された。
農商省 | |
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役職 | |
大臣 |
山崎達之輔(初代) 千石興太郎(最後) |
概要 | |
設置 | 1943年(昭和18年)11月1日 |
廃止 | 1945年(昭和20年)8月26日 |
前身 | 商工省の一部局、農林省 |
後身 | 農林省、商工省 |
第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)11月1日、農商省(のうしょうしょう)が設置された。明治から大正にかけて存在した「農商務省」と異なり、務の文字がないことに注意を要する。長は農商大臣である。
これは、商工省の主要部門が軍需省に移動したため、商工省の残存部門を農林省に統合して「農商省」としたものである。終戦後、軍需省という組織は存在意義を喪失したため、1945年(昭和20年)8月26日、再び農林省と商工省とに分離・復活した。
農商務卿 | ||
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1 | 河野敏鎌 | 1881年4月7日-1881年10月20日 |
2 | 西郷従道 | 1881年10月20日-1885年12月21日 |
農商務大臣 | |||||
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1 | 谷干城 | 第1次伊藤内閣 | 1885年12月22日-1887年7月26日 | ||
西郷従道 | 1886年3月16日-1886年7月10日 | 海軍大臣による兼任 | |||
山縣有朋 | 1886年7月10日-1887年6月24日 | 内務大臣による兼任 | |||
2 | 土方久元 | 1887年7月26日-1887年9月17日 | |||
3 | 黒田清隆 | 1887年9月17日-1888年4月30日 | |||
4 | 井上馨 | 黒田内閣 | 1888年7月25日-1889年12月23日 | ||
5 | 岩村通俊 | 第1次山縣内閣 | 1889年12月24日-1890年5月17日 | ||
6 | 陸奥宗光 | 1890年5月17日-1892年3月14日 | |||
第1次松方内閣 | |||||
7 | 河野敏鎌 | 1892年3月14日-1892年7月14日 | 1892年6月23日-1892年7月14日、司法大臣を兼任 | ||
8 | 佐野常民 | 1892年7月14日-1892年8月8日 | |||
9 | 後藤象二郎 | 第2次伊藤内閣 | 1892年8月8日-1894年1月22日 | ||
10 | 榎本武揚 | 1894年1月22日-1897年3月29日 | |||
第2次松方内閣 | |||||
11 | 大隈重信 | 1897年3月29日-1897年11月6日 | 外務大臣による兼任 | ||
12 | 山田信道 | 1897年11月8日-1898年1月12日 | |||
13 | 伊東巳代治 | 第3次伊藤内閣 | 1898年1月12日-1898年4月26日 | ||
14 | 金子堅太郎 | 1898年4月26日-1898年6月30日 | |||
15 | 大石正巳 | 第1次大隈内閣 | 1898年6月30日-1898年11月8日 | ||
16 | 曾禰荒助 | 第2次山縣内閣 | 1898年11月8日-1900年10月19日 | ||
17 | 林有造 | 第4次伊藤内閣 | 1900年10月19日-1901年6月2日 | ||
18 | 平田東助 | 第1次桂内閣 | 1901年6月2日-1903年7月17日 | ||
19 | 清浦奎吾 | 1903年7月17日-1906年1月7日 | 1903年9月22日まで司法大臣による兼任 | ||
1905年9月16日から内務大臣を兼任 | |||||
20 | 松岡康毅 | 第1次西園寺内閣 | 1906年1月7日-1908年7月14日 | ||
21 | 大浦兼武 | 第2次桂内閣 | 1908年7月14日-1911年8月30日 | ||
小松原英太郎 | 1910年3月28日-1910年9月3日 | 文部大臣による兼任 | |||
22 | 牧野伸顕 | 第2次西園寺内閣 | 1911年8月30日-1912年12月21日 | ||
23 | 仲小路廉 | 第3次桂内閣 | 1912年12月21日-1913年2月20日 | ||
24 | 山本達雄 | 第1次山本内閣 | 1913年2月20日-1914年4月16日 | ||
25 | 大浦兼武 | 第2次大隈内閣 | 1914年4月16日-1915年1月7日 | ||
26 | 河野広中 | 1915年1月7日-1916年10月9日 | |||
27 | 仲小路廉 | 寺内内閣 | 1916年10月9日-1918年9月29日 | ||
28 | 山本達雄 | 原内閣 | 1918年9月29日-1922年6月12日 | ||
高橋内閣 | |||||
29 | 荒井賢太郎 | 加藤(友)内閣 | 1922年6月12日-1923年9月2日 | ||
30 | 田健治郎 | 第2次山本内閣 | 1923年9月2日-1923年12月24日 | 1923年9月2日-1923年9月6日、司法大臣を兼任 | |
31 | 岡野敬次郎 | 1923年12月24日-1924年1月7日 | 文部大臣による兼任 | ||
32 | 前田利定 | 清浦内閣 | 1924年1月7日-1924年6月11日 | ||
33 | 高橋是清 | 加藤(高)内閣 | 1924年6月11日-1925年4月1日 | 1925年2月5日-1925年2月9日、司法大臣を臨時兼任 | |
農商大臣 | |||||
1 | 山崎達之輔 | 東條内閣 | 1943年11月1日-1944年2月19日 | ||
2 | 内田信也 | 1944年2月19日-1944年7月22日 | |||
3 | 島田俊雄 | 小磯内閣 | 1944年7月22日-1945年4月7日 | ||
4 | 石黒忠篤 | 鈴木(貫)内閣 | 1945年4月7日-1945年8月17日 | ||
5 | 千石興太郎 | 東久邇宮内閣 | 1945年8月17日-1945年8月26日 |