時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 元和8年3月10日(1622年4月20日) |
死没 | 承応2年7月19日(1653年9月10日) |
改名 | 尚嗣→大元(法号) |
官位 | 従一位、関白、左大臣 |
主君 | 明正天皇→後光明天皇 |
氏族 | 近衛家 |
父母 | 父:近衛信尋、母:家女房 |
兄弟 | 尚嗣、寛俊、長君、尋子、高慶尼、三時知恩寺尼 |
妻 |
正室:女二宮 瑤林院 |
子 | 好君、基熈 |
近衛 尚嗣(このえ ひさつぐ、旧字体:近󠄁衞 尙嗣)は、江戸時代前期の公卿。近衞家20代当主。
法号は大元。「尚」の字は室町幕府9代将軍・足利義尚から偏諱を受けた近衛尚通からとったもの。
後陽成天皇の男系二世子孫である。後陽成天皇の第四皇子で近衛家を継いだ近衛信尋の子。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。