ゆざまち 遊佐町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 山形県 | ||||
郡 | 飽海郡 | ||||
市町村コード | 06461-1 | ||||
法人番号 | 9000020064611 | ||||
面積 |
208.39km2 | ||||
総人口 |
11,752人 [編集] (推計人口、2024年12月1日) | ||||
人口密度 | 56.4人/km2 | ||||
隣接自治体 |
酒田市 秋田県:由利本荘市、にかほ市 | ||||
町の木 | クロマツ | ||||
町の花 | チョウカイフスマ | ||||
遊佐町役場 | |||||
町長 | 松永裕美 | ||||
所在地 |
〒999-8301 山形県飽海郡遊佐町遊佐字舞鶴202番地 北緯39度00分53秒 東経139度54分32秒 / 北緯39.01481度 東経139.90881度座標: 北緯39度00分53秒 東経139度54分32秒 / 北緯39.01481度 東経139.90881度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
遊佐町(ゆざまち)は、山形県の最北部に位置し、日本海に面する人口約1万2千人の町。飽海郡に属する唯一の自治体である。
庄内平野の北端に位置し、山形県の最北端に位置する自治体でもある。北には東北地方第二の標高を誇る鳥海山が聳え、中央部には肥沃な庄内平野が広がり、町全体をなだらかに横切るようにして月光川が流れる。町南部の海岸線には砂浜が広がり、夏には釜磯海水浴場、西浜海水浴場などで海水浴を楽しめる。北部海岸線は鳥海山から流れ込んだ溶岩による岩礁が広がっており、良い漁場となっている。
町内には湧水や自噴井戸が多く、1996年(平成8年)に国土庁(現国土交通省)「水の郷百選」に認定されている[1]。
遊佐の地名が歴史に登場するのは延長5年(927年)の『延喜式』二十八、兵部省、諸国駅馬の項にある出羽国駅馬「遊佐 十疋」という記述である[2]。また、承平7年(937年)の『和名類聚抄』にも「遊佐郷」とあり、千年以上前から文字も音もそのまま伝えられている珍しい例とされる[2]。
久安4年(1148年)には関白の藤原忠実が子の頼長に「遊佐荘」などを譲った記録があり、藤原摂関家の北限の荘園が立荘されていた[2]。その後、藤原基衡の荘園となった後、遊佐氏の荘園となり郡名に「遊佐郡」が用いられるようになった[2]。
戦国期になると砂越氏、板垣氏(石垣氏)、次いで大宝寺氏、上杉氏、最上氏がこの地を治めた。
江戸時代には庄内藩が置かれた。そして元和8年(1622年)に酒井忠勝が入部し、田川、櫛引、遊佐の三郡を統治した[2]。
期 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 小野寺喜一郎 | 1993年(平成5年)3月19日 | 2009年(平成21年)3月18日 | 元町議会議員 |
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1 | 時田博機 | 2009年(平成21年)3月18日 | 2024年(令和6年)2月10日 | 4期目途中で死去[5][6] |
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職務代行者 | 池田与四也 | 2024年(令和6年)2月10日 | 2024年(令和6年)3月23日 | 副町長 |
1 | 松永裕美 | 2024年(令和6年)3月24日 | 現職 | 元町議会議員 |
議会定数は12人である[7]。
なお、2003年から町の中高生が投票で「少年町長」と「少年議員」を選出する少年議会が行われている[8]。
なお、姉妹交流ではないが、英国ストラトフォード・アポン・エイヴォンと文化交流が盛んである[11]。
遊佐町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 遊佐町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 遊佐町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
遊佐町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
郵便番号は999-83XX, 999-84XX, 999-85XXであり、郵便番号の数字が最大の市町村である。なかでも遊佐町 菅里 (999-8531) の番号がもっとも大きい。