道昭 | |
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舒明天皇元年(629年) - 文武天皇4年3月10日(700年4月3日) | |
生地 | 河内国 |
宗派 | 法相宗 |
寺院 | 飛鳥寺 |
師 | 玄奘 |
弟子 | 行基、道賀ほか |
道昭(どうしょう、道紹や道照とも、舒明天皇元年(629年)- 文武天皇4年3月10日(700年4月3日))は、河内国丹比郡船連(ふねのむらじ)(現・大阪府堺市)出身の法相宗の僧である。父は船恵尺。
『続日本紀』には、道昭が没した年の条に、昔、玄奘に贈られた言葉として、いくつか記録が残されている。それによると、玄奘は特に可愛がって同じ部屋に住まわせたとされ、以下のような話をしたとされる。
「私が昔、西域に旅した時、道中飢えに苦しんだが、食を乞う所もなかった。突然一人の僧が現れ、手に持っていた梨の実を私に与えて食べさせてくれた。私はその梨を食べてから気力が日々健やかになった。今お前こそはあの時の梨を与えてくれた法師と同様である」と述べたと記されており、道昭を大切にしていたのは、過去に出会った恩人たる僧侶と道昭を重ねていたためとしている。
「経論は奥深く微妙で、究めつくすことは難しい。それよりお前は禅を学んで、東の国の日本に広めるのがよかろう」と禅宗の修行をすすめ、道昭はそれを守った。帰朝の際、玄奘から舎利と経論を授けられ、また、西域を旅した際に手に入れた霊験あらたかな鍋を与えた(『論語』から引用して、「道を弘める」という言葉も贈っている)。この鍋で病人に食を与えて治療したが、帰路の船上において、なかなか船が進まないのは海神竜王が鍋を欲しているからだといわれ、「玄奘から与えられた鍋をどうして竜王が欲するのだ」と文句を言いながらも、やむなく海中に投げ入れている(そのため、鍋については現存していない)。