えんがるちょう 遠軽町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 北海道地方 | ||||
都道府県 | 北海道(オホーツク総合振興局) | ||||
郡 | 紋別郡 | ||||
市町村コード | 01555-5 | ||||
法人番号 | 1000020015555 | ||||
面積 |
1,332.45km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
17,713人 [編集] (住民基本台帳人口、2024年10月31日) | ||||
人口密度 | 13.3人/km2 | ||||
隣接自治体 | 紋別市、北見市、常呂郡佐呂間町、紋別郡滝上町、湧別町、上川郡上川町 | ||||
町の木 | エゾヤマザクラ・藤 | ||||
町の花 | コスモス | ||||
遠軽町役場 | |||||
町長 | 佐々木修一 | ||||
所在地 |
〒099-0492 北海道紋別郡遠軽町1条通北3丁目1-1 北緯44度03分43秒 東経143度31分39秒 / 北緯44.06208度 東経143.52758度座標: 北緯44度03分43秒 東経143度31分39秒 / 北緯44.06208度 東経143.52758度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
遠軽町(えんがるちょう)は、北海道オホーツク総合振興局管内、紋別郡にある町。
なお現在の自治体としての遠軽町は、2005年(平成17年)に当時の遠軽町、生田原町、丸瀬布町、白滝村の紋別郡3町1村が対等合併して新たに設置された自治体であるが、本項では便宜上合併以前の旧・遠軽町、およびその前身の旧・遠軽村についても述べる。
オホーツク管内中部に位置する内陸の町で、上川管内と接している。人口は、市部を除いたオホーツク管内15町村の中で最も多く(2017年9月末現在[1])、北海道全体の町村の中でも6番目である(2017年1月現在[2])。面積の広さは「市町村」としては全国9位・道内5位(北方領土内の留別村を含む)、市を除いた「町村」としては留別村・足寄町(いずれも道内)に次ぐ全国3位である。
町の西端に道央圏とオホーツク海側とを結ぶ主要ルートの1つ・北見峠があり、中心の遠軽地区は道央方面と紋別・北見・網走の各方面との交通の結節点として栄えた。また西部の白滝地区は旧石器時代には国内有数の黒曜石およびそれを原材料にした石器の産地であり(白滝ジオパーク)、大正時代には合気道創始者の植芝盛平が入植し武術の道に入ったゆかりの地としても知られる。
1919年(大正8年)に、当時の上湧別村から分村して二級町村・遠軽村が設置された後、生田原村(のちに町)、丸瀬布村(のちに町)、白滝村がそれぞれ遠軽村(→町)から分村されたが、前述のとおり2005年(平成17年)に4町村が新設合併して(新)遠軽町が誕生。現在の遠軽町域は、1919年の遠軽村設置当初の領域と同じになっている。なお旧遠軽町は過疎地域の適用を受けていなかったが、他の3町村がいずれも過疎地域の指定自治体だったことから、新町発足後は基準によりすべての地域で過疎地域に指定されている。
現在の瞰望岩(がんぼういわ)を指していたアイヌ語の「インカルシ(inkar-us-i)」(眺める・いつもする・所)に由来する[3][4]。かつてはここで見張りをしたという[4]。
湧別村時代の1901年、郵便路線整備にともなう新郵便局設置のため現地視察した札幌郵便局管理課員が、瞰望岩を示すアイヌ語名称を意義深いとして、学田農場付近に設置した新局に「遠軽郵便局」と名付けたことが始まりで、のち新設された官公庁や学校などもこれにならい、地名として定着した[5]。
上川管内・上川町との町境にそびえる北大雪山系東麓から、湧別川およびその支流の流域にあたる東西47km、南北46kmの広い町域を持ち、その大半は山林であるものの河川沿いには農業・酪農に適した平地も多くある。最高所は上川町との境界に位置する武利岳(標高1,876m)で、これはオホーツク管内の最高峰でもある。市街地は旧4町村(遠軽、生田原、丸瀬布、白滝)のそれぞれにあり、市街地の標高はもっとも低い遠軽(町役場本所)で74m、もっとも高い白滝(白滝総合支所)で357mである。
ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候 (Dfb)に属する。夏は晴天の日が多く、内陸部のため日中の最高気温が30℃を超えることもよくみられるが、日平均気温は比較的低く湿度も低い。冬は最低気温が-20℃を下回ることが多いが、降雪量は道央の日本海側より少なく、雪質は軽い。
町内の気象庁アメダス観測地点は遠軽(東町、1977年10月24日観測開始)、白滝(白滝北支湧別、1993年1月27日観測開始[8])、生田原(生田原、1977年10月25日観測開始)、丸瀬布(丸瀬布武利、1984年10月5日観測開始)の4か所。いずれも有線ロボット気象計による観測で、遠軽、白滝、生田原は4種目(遠軽、白滝は積雪の深さも観測)、丸瀬布は降水量のみ観測している。以下は1981年から2010年までの30年間の観測データに基づく遠軽の気候表である。
遠軽 (1981年 - 2010年平均)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 9.2 (48.6) |
12.0 (53.6) |
17.1 (62.8) |
30.9 (87.6) |
32.7 (90.9) |
35.3 (95.5) |
36.4 (97.5) |
36.6 (97.9) |
33.3 (91.9) |
27.8 (82) |
22.8 (73) |
16.6 (61.9) |
36.6 (97.9) |
平均最高気温 °C (°F) | −2.7 (27.1) |
−2.1 (28.2) |
2.4 (36.3) |
10.6 (51.1) |
17.0 (62.6) |
20.3 (68.5) |
23.7 (74.7) |
25.5 (77.9) |
21.3 (70.3) |
15.3 (59.5) |
7.3 (45.1) |
0.3 (32.5) |
11.6 (52.8) |
日平均気温 °C (°F) | −8.3 (17.1) |
−8.1 (17.4) |
−2.9 (26.8) |
4.6 (40.3) |
10.4 (50.7) |
14.3 (57.7) |
18.2 (64.8) |
19.9 (67.8) |
15.3 (59.5) |
8.9 (48) |
2.1 (35.8) |
−4.7 (23.5) |
5.81 (42.45) |
平均最低気温 °C (°F) | −15.1 (4.8) |
−15.4 (4.3) |
−9.1 (15.6) |
−1.4 (29.5) |
4.0 (39.2) |
9.0 (48.2) |
13.6 (56.5) |
15.3 (59.5) |
9.9 (49.8) |
3.0 (37.4) |
−3 (27) |
−10.5 (13.1) |
0 (32.0) |
最低気温記録 °C (°F) | −29.2 (−20.6) |
−29.5 (−21.1) |
−26.2 (−15.2) |
−18.1 (−0.6) |
−5 (23) |
−0.6 (30.9) |
3.7 (38.7) |
5.6 (42.1) |
0.7 (33.3) |
−5.2 (22.6) |
−16.6 (2.1) |
−23.9 (−11) |
−29.5 (−21.1) |
降水量 mm (inch) | 49.5 (1.949) |
32.1 (1.264) |
34.4 (1.354) |
40.9 (1.61) |
54.8 (2.157) |
58.2 (2.291) |
97.7 (3.846) |
114.5 (4.508) |
113.7 (4.476) |
80.5 (3.169) |
51.1 (2.012) |
52.9 (2.083) |
794.5 (31.28) |
降雪量 cm (inch) | 162 (63.8) |
135 (53.1) |
120 (47.2) |
30 (11.8) |
2 (0.8) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
24 (9.4) |
117 (46.1) |
596 (234.6) |
平均月間日照時間 | 92.4 | 110.2 | 155.2 | 166.2 | 182.9 | 167.0 | 144.9 | 151.1 | 152.2 | 143.6 | 109.8 | 91.2 | 1,671 |
出典1:気象庁[9] | |||||||||||||
出典2:気象庁[10] |
遠軽町は1896年(明治29年)、プロテスタントの日本基督教会(現・日本キリスト教会)が、札幌で活動していた宣教師の信太壽之ら東北学院(仙台市)の神学部出身者を中心に創設した北海道同志教育会のキリスト教徒によって開拓が始まった道内でも珍しい歴史を持つ[12]。
当地にキリスト教主義の私立大学を設立することをめざして1897年、学田地と名付けた湧別村湧別原野第四小作地(のちの遠軽市街地周辺)に最初の集団入植を行い、現在の岩見通南二丁目1番地付近に「学田農場事務所」を設置したが、翌年にかけて冷害や大水害に見舞われ、最終目的の大学建学は果たせなかった。
しかし学田農場事務主任でのち遠軽郵便局初代局長を務めた野口芳太郎と入植者らが築いた基盤を元に1902年、日本基督教会遠軽教会が創設された。遠軽教会は1922年には国内純農村の教会としては初の独立自給教会となった。現在も日本キリスト教会遠軽教会として伝道活動を行っている[13]。
また学田の入植者らが基礎を築き、1913年に設立された救世軍北海道連隊遠軽小隊は国内最北の小隊である。学田の名は今も地名(遠軽町学田)として残っている。
主な産業は商業と農業、林業、木材加工業である。開拓期に学田農場入植者の手で始められたハッカ栽培が戦後にかけて盛んだったほか、1935年には農林省北見種馬所(のち遠軽種畜牧場)が設置された。1950年に設置された北海道農業試験場遠軽試験地(遠軽町福路、1997年廃止)では寒地向けニホンハッカ8品種が開発され、寒冷地のハッカ産業に貢献した。
遠軽駅はかつて、旧名寄本線と石北本線の接続駅として栄え、国鉄遠軽機関区などの現業機関が多く設置されていた。1951年には町が旧農林省遠軽種畜牧場跡に警察予備隊駐屯地を誘致し、陸上自衛隊遠軽駐屯地が置かれている。
2010年国勢調査における産業分類別就業者数の上位区分(500人以上)は次の通りである。
区分 | 人数 |
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医療・福祉 | 1,497人 |
卸売業・小売業 | 1,344人 |
公務 | 1,234人 |
建設業 | 1,008人 |
製造業 | 858人 |
農業・林業 | 844人 |
サービス業 | 548人 |
教育・学習支援業 | 506人 |
遠軽町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 遠軽町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 遠軽町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
遠軽町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている[16]。
かつて存在した駅は次の通り(路線の表記がないものは石北本線)
詳細は各記事を参照。
滝上町 | 紋別市 | 湧別町 | ||
上川町 | 佐呂間町 | |||
遠軽町 | ||||
(大雪山) | 置戸町 | 北見市 |