選挙権(せんきょけん、英語: Suffrage)とは、政治における参政権の一種であり、国や地域での選挙に参加できる資格またはその地位を指す。これは選挙において投票する権利(投票権)のみならず、選挙人名簿への登録や選挙の公示を受ける権利や、議員定数に著しい不均衡が生じた際に選挙人がその是正のための立法措置を求める権利なども含まれる。
広義では、被選挙権を含める場合がある。
今日では国民主権の原則から、国民は主権者としての主権行使の一環として選挙に参加できるとする選挙権権利説(せんきょけんけんりせつ)が有力であるが、古くは選挙人団(選挙人の集団)の一員としての公務の一環として選挙に参加する選挙権公務説(せんきょけんこうむせつ)も有力であった。前者の解釈をとった場合には、全ての国民は主権者としてそれぞれが平等の権利を保つために普通選挙が原則となるが、後者の解釈では公務を執行するに相応しいと認定された者にのみ、選挙権の付与を限定しても良いとする制限選挙の肯定を導き出すことも可能であった[注 1]。
その選挙の立候補者であっても、選挙権を有しているために他の候補者に投票することは一応可能である(例外はある)。選挙権を有している者のことを有権者とも呼ぶ。
一般社団法人長野医師会は、少子化高齢化を現代の日本社会の病巣とし、有権者の多数派を占める高齢者層に対して、18歳未満には選挙権が無い日本の現行選挙制度そのものが少子高齢化を助長させてきたと指摘している。対策として、未成年を扶養する親に未成年の数だけ選挙権を付与することが「少子化のない民主国家創設への近道」としている[1]。
日本においては、1889年に大日本帝国憲法及び衆議院議員選挙法が公布され、直接国税15円以上納める25歳以上の男子に選挙権が与えられた。第2次山縣内閣の時(1900年)に直接国税10円以上を納める25歳以上の男子に緩和され、さらに原内閣の時(1919年)に直接国税3円以上を納める25歳以上の男子に再び緩和された。その後1925年に第2次護憲運動がおこり、普選断交を掲げて衆議院選挙に勝利した加藤高明内閣によって25歳以上の男子全員に選挙権が与えられた[2]。 ただし、第二次世界大戦終戦前までは、女性や破産者、貧困により扶助を受けている者(例外として、軍事扶助法による扶助がある)、住居のない者、6年以上の懲役・禁錮に処せられた者、華族当主、現役軍人、応召軍人には選挙権は与えられていなかった[2]。
終戦後の1946年に日本国憲法が公布され、これを受けて新たに制定された公職選挙法で20歳以上の男女と定められた。以来、選挙権は長らく20歳以上であったが、後述する公職選挙法の改正(2015年6月17日成立 同年同月19日に公布後、翌年6月19日施行)で「満18歳以上の男女」に変更されて18歳選挙権が認められるようになった。
日本のような既に高齢者有権者数が「20〜35歳未満の有権者数」の比率が3倍以上と圧倒的多数では少子高齢化対策・「現役子育て世代を向いた政治」を民主主義体制下では政治家がしにくいため、選挙権付与年齢未満の未成年国民の数だけ選挙権を現役子育て中の親に追加付与する「ドメイン投票制度」構想がある[3]。まだ投票年齢未満の子どもを持つ家庭は、子どもの分まで投票出来ることで、政治の中心を若者世代にすることが出来、政治家側も長期的視点の政策を行い、長期の国益に沿った判断が可能になる[4]。アメリカ合衆国の人口統計学者ポール・ドメインが提唱し、現役子育て世代、特に合計特殊出生率に貢献している多子世帯の声ほどが国の施策へ反映されやすくなり、少なくても未導入の際よりは合計特殊出生率を根本的にあげると指摘されている。もちろん、選挙権は各国家規定の選挙権付与年齢になった時点で、子女に返還される(2014年以降の日本ならば18歳になった以降の初選挙)。今まで現役子育て世代向けの政治をしたくても当選を考えると高齢者を比較的優先してしまっていた政治家を法的に支援するとともに、少子化への歯止めをかけることが目的である。日本ではこれまで学者の議論が中心だったが、平成26年衆議院議院における参考人質疑で「ドメイン投票法」として紹介されている[3]。日本で導入された場合、18歳未満の子どもが3人いる子育て中の世帯ならば、更に3票の投票権を持つことになるため、政治家は「子育て世帯の声に耳を傾けざるを得ない」状態に出来る[5]。日本で選挙制度導入時にはここまでの少子高齢化が想定されていなかったため、現役世代の社会保障負担の増大、年金負担の世代間不公平への不満が起きている。解決策として、中若年層(現役世代)の選挙権パワーウエイトの引き上げのため、義務教育終了年齢である「16歳から成人未満への選挙権拡大(選挙権付与年齢の16歳化)」と共に、義務教育終了前の0歳- 15歳の国民にも選挙権付与・親権者が代理執行という方策も提案されている[6]。国民民主党の近藤和也青年局長は、自分たちが若い頃は世代的多数派であることで選挙に行けば世の中を動かすことも出来る感覚があったと振り返り、現代では若い世代が世代的少数派なことが投票棄権に繋がっていると指摘している。0歳選挙権制度導入すれば「夫婦と子供2人いる家族」は4票となり、幼稚園・保育園などは大票田と化することで、「政治家は目を向けざるを得なくなる」とし、少子化対策として導入賛成している[7]。「高齢者重視の政治」のために膨張を続ける日本の財政は、「世代別の生涯純負担」で比較すると、深刻なまでの世代間格差が発生しており、特に「投票権を有しない0票世代(18歳未満の現在世代、現時点では未出生世代)」で生涯純負担が最大となっている。0票世代では生涯純負担額3740万円、生涯所得比の25.8%にも達している。現行投票制度のままだと「0票世代」は投票権行使は出来る18歳以上の「若者世代」よりも、平均5158万円も追加負担を負うことになっている。「選挙棄権のコスト」を試算すると世代間投票率1%下がると、若者世代で44万円、中年世代で18万円の損となる。一人当たりの年額損失額を試算すると、40代12.4万円、20代17.5万円、30代12.7万円、40代2.7万円、50代0.3万円となっている[8]。
選挙権年齢のデータがある192の国・地域のうち、170の国・地域が選挙権年齢が18歳以上となっている[9][10]。
世界、地域における選挙権年齢[11][注 2](2020年7月現在)
(☆のあるものはサミット参加国、太字はOECD参加国)
2007年6月にオーストリアが国政レベルの選挙権年齢を18歳から16歳に引き下げており、ドイツのように一部の州が地方選挙の選挙権年齢を先行的に16歳としている例もある。イギリスやドイツでは16歳への引き下げが議論されている。また韓国は選挙年齢を20歳から18歳に引き下げる段階的措置として、2005年6月に19歳に引き下げた[13]。日本では2015年6月に18歳選挙権を認める改正公職選挙法が成立し[14]、2016年6月19日に施行されたことにより、不在者投票・期日前投票を含めれば第24回参議院議員通常選挙(公示日:6月22日・投票日:7月10日)の公示日翌日から18歳・19歳選挙権が行使できるようになった[15](投票日では6月26日告示日・7月3日投票日の福岡県うきは市長選挙が参院選より1週間早く、初の18歳・19歳選挙権となった)。
日本では例外的に選挙権を有しない者については、公職選挙法第11条1項・第252条、政治資金規正法第28条、電磁記録投票法第17条に規定がある。
イギリスでは、かつてコモン・ローの下で知的障害者及び心神喪失者には選挙権が認められなかったが、2006年の選挙管理法73条でこれらの選挙権の欠格条項は全廃された[16]。
フランスでは、かつて成年被後見人は欠格条項とされていたが、2007年の法改正では後見措置を受けたり更新したりする場合に裁判所の判事が選挙権の維持・停止を判断することとなった[16]。
カナダでは、かつて選挙法で「精神疾患により行動の自由を制限されている者又は自己財産の管理を禁じられている者」が欠格要件となっていたが1993年に欠格条項は削除されている[16]。
オーストリアでは、1971年国民議会選挙法で行為能力を剥奪された者は選挙権を有しないと規定されていたが、1984年の代弁人制度導入により代弁人を付された者が欠格事由となっていた[16]。しかし、1987年に憲法裁判所が欠格条項を憲法違反としたため1988年に削除された[16]。
オーストラリアでは、1918年連邦選挙法で「精神疾患の状態にある者」が欠格要件とされていたが、1983年の法改正を経て、1989年の法改正で医師の証明書を添えることで異議を申し立てることができるようになった[16]。
日本でも2013年(平成25年)までは、成年被後見人も欠格者であったが、同年3月に東京地方裁判所で違憲判決が出されたことを受け、同年5月に改正公職選挙法が成立し、2013年(平成25年)7月1日から選挙権を回復した[17][18][19]。
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アメリカでは、メーン州とバーモント州を除く全ての州が収監中の重罪犯の投票を禁じているが、大半の州は釈放後あるいは保護観察中に選挙権を回復させている。フロリダを含む少数の州は、元重罪犯が選挙権を回復するまでに追加の待機時間や措置を義務付けており、貧困層やアフリカ系住民が狙い撃ちされていると指摘する声が上がっていた[20]。
かつて、破産やその前身制度の身代限、家資分散の手続き中の者は、以下の規定により議員の選挙権を有しないものとされた。
しかし、これらの議員の欠格条項はいずれも、以下のとおり戦後まもなく削除された。