のじま けんじ 野島 健児 | |
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![]() 第31回東京国際映画祭にて(2018年10月) | |
プロフィール | |
本名 | 野島 健児[注 1] |
愛称 | のじのじ[2]、ノジケン[2]、ぴぴ[3]、けんちゃん[3] |
性別 | 男性 |
出生地 |
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出身地 |
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生年月日 | 1976年3月16日(49歳) |
血液型 | A型[2][4][5] |
職業 | 声優、歌手、ナレーター[6] |
事務所 | 青二プロダクション[7] |
配偶者 | あり[8] |
著名な家族 |
野島昭生(父)[9][10] 野島裕史(兄)[9][10] 野島智司(弟)[9][11] 野島透也(長男) |
公式サイト | 野島 健児|株式会社青二プロダクション |
公称サイズ(時期不明)[12] | |
身長 / 体重 | 163[5] cm / 54 kg |
靴のサイズ | 24.5[5] cm |
声優活動 | |
活動期間 | 1996年[4] - |
ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション |
デビュー作 | 『るぷぷキューブルプ☆さらだ』[4][13] |
野島 健児(のじま けんじ、1976年3月16日[14] - )は、日本の男性声優、歌手、ナレーター[6]。東京都杉並区、田無市(現:西東京市)出身[4]。青二プロダクション所属[7]。
父の野島昭生、兄の野島裕史は共に声優[9][10]。妻も声優である[8]。弟は作家の野島智司[9][11]。長男は俳優の野島透也[15][16]。長女はダンサー[17]。母はナチュラリスト[18]。
東京都杉並区の河北総合病院で誕生し、翌年に田無市(現:西東京市)に転居する[4]。
小学校入学までピアノ教室に通っていた[4]。物心つく前から父・昭生の声をテレビで見聞きし、ポスターに昭生の姿が写ってる情景を見て育ったため、役者というのが身近な仕事の一つという意識があった[8]。周囲の友人と明らかに違いを感じたのは、学校で人形劇などの教育放送を見ていた時である[19]。テレビから流れる声が父・昭生の声だった時には、誇らしい気分であったという[19]。自慢気に「あれ、パパの声だよ」と言いながら、「ああ、僕もいつかああいうのをやりたいな」とも思っていた[19]。家にも父の台本がたくさん置いてあり、それを見せてもらったり、実際に父が練習しているところも見ていた[19]。そのように父が真面目に仕事をしている姿を見るというのは子供の健児にとって「凄く良かった」と感じていた[19]。『平家物語』の冒頭部分から始まり、「あいうえお」から早口言葉まで一連を毎朝聞いていた[19]。子供心に「すごいな」と思い、『平家物語』を暗記し、早口言葉も覚えてしまうなど、すでに日常の遊びになっていた[19]。
子供の頃は古谷徹をはじめ、水島裕、小山茉美らが家に遊びに来たりしていた[3]。子供の頃は家庭内では「アニメ禁止」であったといい、あまりアニメを観てなかった[13]というが、それでも数少ないアニメ視聴時間中には父・昭生と親しい声優達を何度も目にする機会があったため、テレビでアニメを見ていても声を聞いて「ああ古谷徹さんだ!」、「古川登志夫さんだ!」など中の人が頭に浮かび、役者達に意識がいっていたかもしれないという[20]。一度、父・昭生に「『Dr.スランプ アラレちゃん』が好きだ」と話したところ、後に則巻千兵衛役の内海賢二が「おお! 健児かあ、元気かあ」と電話してきてくれたことがあった[20]。その時は、千兵衛と話しているが、それとは違うそのキャラクターの先にいる「人間」を感じていた[20]。「そこでアニメはこんなに温かい人達がやっているんだ」と感銘を受けた[20]。役者としての内海を強く感じ、ドキドキしており、職業としての声優は他の人物より早く認識していたと語る[20]。
当初は舞台、映画などに出演する役者志望だった[20]。元々出たがりの恥ずかしがり屋であり、人見知りはするが、物心ついた頃から目立ちたがり屋だったところもあったという[19][21]。「人前に出ることを面白い」と思ったきっかけは、小学1年生の時に学芸会でしていた舞台『ブレーメンの音楽隊』[21]。野島は「主人公よりもいろいろと自由に演じられる」と思い、盗賊役に立候補をしていたが、体が小さかったという[21]。立った時に小柄な野島が舞台を走り回って台詞に対する客席の反応、生で返ってくる感覚が新鮮であり、それが快感になって、「舞台を楽しい」、「これは楽しいぞ」と考えていたという[19][21]。その後は心の中で「いつか人前に立つ仕事をしたい」と思い続けていたという[21]。子供の頃から、自分で作品を書いて両親の前で発表したり、紙芝居を作って演じたり、ビデオで人形を撮影してアフレコしていた映像を見せたり、脚本を書いて近所の子供を集めた芝居をしていたりしていた[8][19][20]。そのため「子役をやりたい」と父親に話したことはあったが、母親の方が芸能活動に反対していた[8]。
小学校時代、兄・裕史が学校を中退する決断をしており、当時は「そんなの、ありなのか?」というショックな出来事だったこともあったが、「これでいいのかもしれない。周りに合わせる必要もなくなるんだ。」、「自分に合わない」と判断して小学校を中退[4][19]。学校を中退する決断は色々な意味で「たいへんな道」だったといい、両親にはめちゃくちゃ怒られていた[19]。野島家は兄弟3人[1]共、育った環境のせいなのか、元々DNDに備わった部分なのかはわからないが、少しアグレッシブな人生を歩いてきたという[19]。母は学校に行かない健児ら兄弟を積極的に色々な場所に連れて行ったといい、美術館にもずいぶん連れて行ってもらっていた[19]。一番印象的だったのは丸木美術館で、展示も聞いていた話にもとても衝撃を受けていた[19]。山の中にある美術館だったため、周辺の自然にも触れて、凄く楽しかったという[22]。その時、「自分は自然が好きなんだ」、「そういう生活をしていくうちに、会社員にならなくてもごはんが食べていける生活……山の中で自給自足する生活が、人間の究極の生き方なんじゃないか」と気付いた[22]。
中学時代に一家そろって大分県竹田市荻町[23]の山奥に移住し、自給自足の生活を送っていた[4][18]。当時は椎茸を栽培したり、米を作ったり、果樹を植えたり、野菜を作ったりしており、働いて得る報酬は食べ物だった[18]。中学生ぐらいから草刈り機を使用して、草刈りをして、耕運機で畑をならして、飯も作り、飽きないように週替わりで持ち場を交代して働いていた[18]。これが人生の大きなターニングポイントになったという[22]。通常の学校には通わず、アメリカ合衆国の通信制の学校を選択した[24]。当時は近所の友人とのコミュニケーションは少なかったが、特殊な環境の生活だったため、雑誌に掲載されたり、口コミでも広まり、全国から同世代の子供が月に数人は遊びに来ていた[22]。長い人物は1ヶ月ぐらいうちに滞在したりしており、フランス、ドイツなど世界各国から訪問者があり、ゲストハウスに滞在してもらうなど広く交流を持っていた[18][22]。その時は言葉は通じないが、皆一カ月ぐらい滞在していくため、コミュニケーションをとっていた[18]。また放課後に寄り道したり、学校行事を楽しんだりという、一般的な学生生活を経験したことがなかった[24]。山の生活について、自然の中では全てが楽しかったと語っている[22]。
10代の頃から動物の声が好きであり、山に住んでいた時には動物の鳴き真似ばかり練習していた[25]。当時、朝、日が昇る前に田んぼに見回りに行ったが、そこでそっと蛙の鳴き真似をしていた[22]。そうするとそれにつられて本物の蛙が鳴き始めた[22]。そのうち見渡す限りの田んぼ一帯が蛙の大合唱になり、自然と一体化する楽しみも覚えた[22]。2009年時点でも東京都に来てからも、野良猫と会話しているという[25]。
山の家では雷雲も眼下に見えており、物凄いエネルギーで光ったり落ちたりしている雷を見ていたところ、「自然界の流れの中で自分はぎりぎり生かされているんだな」とつくづく思っていた[22]。そんな、人間が人間としてあるべき「心」を育んだ場所、現在の健児を作った場所が九州での生活で、健児の原点であるという[22]。また仕事の合間に時間があると奥多摩に行ったりして、自然の中で健児自身をリセットしているという[22]。
テレビも民放は2チャンネルくらいしか映っておらず、農作業が忙しいことからテレビ自体ほとんど観ていなかった[26]。
その後は18歳の頃まで九州に在住し続けた[8]。漠然と、「このまま農業を続ける生活も悪くない」という気持ちと、それに抗いたいという気持ちが常に共存していた[22]。父・昭生は東京と九州を行き来しながら声優の仕事を続けていたことから家には相変わらず台本がいっぱいあった[22]。それらを借りて読んだり、自分でも台本を書いて芝居をしており、どこかで芝居の世界と繋がっていたかったのかもしれないと述べている[22]。
17歳の時に九州の自動車教習所に通っていた[22]。教習所には同世代の女子が多数来ており、仲良くなりたいとは思っていたが、免疫がないことから話かけられず、「これって男としてどうなんだろう」と思っていたという[22]。結局は最後まで話かけられず、その時の自分に対する悔しさが父・昭生に「東京に行って芝居をしたい」と話をする原動力になったという[22]。
進路について、このまま農業を続けていくか、もしくは他の職業にするか迷った末、父に「俳優やりたいんだけど、親父の力で映画の主役できないか?」と相談したところ「そんな簡単にできるわけねぇだろ、バカ野郎!」と叱られ、「役者になる勉強をしなくちゃいけない」、「まずは演技について勉強しなさい」と言われてコンスタンチン・スタニスラフスキーのスタニスラフスキー・システムを渡されるも放置[8][20]。しかし「俺もやっぱり出たい」という気持ちを父・昭生に相談して「じゃあもう一度、東京に出るか」ということになったという[22]。父から声優事務所最大手の一角を占める青二プロダクションが経営母体である俳優養成所・青二塾を「知り合いも教えているし、芝居も基礎から教えてくれる。試験を受けてみろ」と勧められ[8]、1995年に東京に戻り青二塾東京校で16期生としての1年制の本科へ通い始めた[4][7][26]。入塾するまで青二が声優事務所だったことは無知だったという[26]。同期に保村真、堀江一眞などがいる[26]。
青二塾に入りたての頃は、同世代の人物と会話が噛み合わなかったという[26]。その時は「もっと芝居について語るのか」と思っていたところ「どんなアニメ観てる?」など戦隊物のキメポーズの話ばかりであった[26]。レンタルビデオも、好きな洋画、海外ドラマばかり観ていたため、アニメの話をされてもわからなかったという[26]。「演技の話で熱いのが養成所だ」と思っていたため意外であった[27]。しかし人間的にいい人物が多く、クラス全員と仲よくなっていった[27]。30人も集まると派閥のようなものができるが、健児はオールマイティに、全部の会に顔を出していたという[27]。
健児は父・昭生の息子だと、青二塾の同級生には誰にも言わなかったという[28]。当初は、「隠していたほうが何かといいか」と思い黙っていたというが、後半は仲良くなったため、話の流れの中でポロポロ漏れていった[28]。青二塾には、ゲスト講師として神谷明といったベテラン声優が授業に来ており、物心着く前からの健児を知っていたため、名字ではなく「健児くん」と下の名前で呼んでいた[28]。親しく話しかけてくるため、そのたびにヒヤヒヤしていたが、特別扱いをされるわけでもないため乗り切った[28]。
青二塾時代は無遅刻無欠席、やる気のある真面目な生徒だったという[26]。ただし、青二塾の初めの頃は、慣れない人物の多いところで隠し事もしつつだったため、地味な子だった[28]。初めの半年くらいは、「おとなしい生徒」として認識されてたという[28]。同塾で勉強を始めたところ難しく自分が考えていた芝居と、声優の芝居が根本から違っていたせいもあった[26]。その時は同塾で声優の訓練を始めた際、あまりにも自分が出来ないことに驚き、初めの半年間は講師から「声が小さい」、「暗い」しか言われていなかったという[21][27]。しかし負けず嫌いだったため、講師とはよくぶつかっていたという[21]。週1回のレポートの提出については、学校に行ってなかった野島には初めての経験であり、最初はただの1枚も書けなかったという[27]。それまで周囲と同じような生活をしてこなかったため、ゼロから始めなくてはいけなかったことから、当初はクラスの皆に追いつくことだけでいっぱいいっぱいだったという[27]。「暗い」ということについては、友人と関わっていくうちに自然と解消されていったという[27]。一方、声が小さいということに関しては、自分が思っている以上に自分の声が小さいということを自覚するまでに少し時間がかかったという[27]。「繊細な表現をしたいタイプだから声が小さいのだ」と思っていたが、それは勘違いであり、「書道家が崩した字を書くのに、基礎となるちゃんとした字が書けてから」というのと同じことであり、「繊細な声の表現は、大きな声がきちんと出せるようになった上でやることだ」「そこの考え方を改めなきゃいけない」と気づいたという[27]。その時期にカラオケに行って、「歌うって楽しいな」と思い、何度か行くうちに自然と大きな声も出るようになってきたという[27]。『わが町』の冒頭の案内役のセリフを覚えて演じる授業で思い切りしていたところ、先生、同級生に「野島くんて、あんなにハッチャけた人だっけ?」と言われた[28]。演技をすることで、自分が思っていた自分との距離が近づき、「あ、俺はここにいたんだ」と、自分の殻を破ることができ、2009年時点でもその芝居のことは覚えているという[28]。
昔、父・昭生の芝居を見て、「なぜあんなに濃い、大げさな芝居をするんだろう? もっとナチュラルに演じられないのかな?」と不思議に思いすごく嫌で、聞いてても恥ずかしかった[26]。しかし、自分がしていたところ青二塾に入塾して初めて「声の世界というのは、ナチュラルな芝居をしていては伝わらないものがあるんだ」と気づいた[26]。舞台、テレビの芝居と声の芝居は全然違い、「声ならではの表現方法があるんだ」とわかってから、職業としての声優にもっとのめり込んでいった[26]。
そこに気づくまでは、職業としての声優にそれほど興味はなかった[26]。しかし同じ芝居でも舞台、テレビをしたかったが、「声の仕事のほうが合っている」というのもわかったという[26]。
卒業公演では創作SF時代劇をして源義経と戦う想定のストーリーで、樋口兼光役を演じた[29]。キャスティングはオーディションであり、「俺は絶対できる、やりたいと本気で思ったことは絶対できるんだ」という謎の自信があり、結局第一希望だった義経役は叶わなかったが、樋口兼光という大役を演じることができ、後年には「兼光役で本当によかった」と思っているという[29]。卒業公演は両親も見に来てくれたが、演じている時は誰が見に来ているといったことはあまり意識しなかったという[29]。舞台で自分の気持ちをどう動かそうかと考え、一方で演出の言うことは聞かなくてはならず、自分の中で色々葛藤しながら「いいものにしたい」とそれだけを考えていたという[29]。
公演の後に入所試験があったが、その日がちょうど誕生日の3月16日であり、「これはキタ!」と思っていたという[29][28]。「謎」の自信家だったことから、「絶対受かる」と思っており、オーディションの時からどこか確信があったという[29]。試験は仲が良かった友人が先であり、戻ってきて「どうだった?」と聞いたところ「実家の寿司屋を継げって言われた……」という[28]。そこで「テンション上げて行こう」と思い、「今日、僕の誕生日なんですよ!」という話から始めて、ナレーションと芝居の実技をしていた[28]。ただし、芝居で「普通に演じても面白くないよな」と思い、ふざけて演じて失敗したが、試験官にも「ナレーションはできるね」という言い方をされ、ナレーションだけ評価されて合格[29][28]。その時、無遅刻無欠席に助けられ、資料を見た試験官がその場で、「あぁ、無遅刻無欠席なんだね。もし1回でも遅刻があったら落とそうと思ってた」と述べており、「あ、じゃあ受かったと思っていいんですね!」と聞いたところ、「いや、それは……」と濁していたという[28]。結局、クラスの男子でも健児を含め4人しか受からなかったという[29]。健児が受かったのは、現場に入りやすいのは確かだったことから「親が声優で話題性があったからだ」だろうと語っている[29]。ただし、「使い物にならなかったら話にならない」ということで、最低限のレベルはクリアしていたことと、あとはやる気があったからだろうという[29]。卒業公演の練習の時にはかなり体調を崩していたが、それでも休まず、後で病院に行った時には「これは肺炎の治りかけですね」と言われたという[29]。「まあ、そういうやる気の部分が伝わって受かったんだな」、「本気でやってきてよかった」と思い、「それ以外、正直(実力は)大差ない」とのこと[29]。その後青二プロダクションに所属し、声優としての活動を始めた[20][28]。
1996年、ゲーム『るぷぷキューブルプ☆さらだ』で声優デビュー[4]。その時、場所はタバックスタジオであったが、終えた後、「飲みに行こう」と誘ってくれて、夜中の3時くらいまで飲んでいた[13]。そこで初めて、焼酎の梅干し割りを飲み「美味い!」と熱中し、その日からしばらく、飲み屋では焼酎の梅割りばかり頼むようになったという[4][13]。同年に『ゲゲゲの鬼太郎(第4作)』でアニメデビュー[13]。アニメなら『ゲゲゲの鬼太郎』に出演したいと心に決めており、水木しげるが好きなため、水木の『コミック昭和史』はバイブルであった[13]。2009年時点でも、引っ越しのたびに必ず捨てずに持っていく漫画のため、『ゲゲゲの鬼太郎』にはぜひ出たいと思い、それが初アニメで、嬉しかったという[13]。
デビュー後に外画の吹き替えにも出演しているが、前述の通りアニメも観ていなかったため、演技もろくに出来ていなかったという[13]。父・昭生のアフレコ現場に連れて行ってもらった記憶もなかったという[30]。
初レギュラー・初主役は『ロードス島戦記-英雄騎士伝-』のスパーク役[31]。
2000年に『スーパーロボット大戦α』で『超時空要塞マクロス』の主人公である一条輝役に、急逝した長谷有洋の後任として抜擢され、以降の「マクロスシリーズ」に関わるゲームでは輝の声を担当している。
2003年にNHKで放送された『ヤング・スーパーマン』では、地球人を凌駕する頑健な肉体と次第に様々な超能力が覚醒してゆき苦悩する真面目な主人公・クラーク・ジョゼフ・ケント役に抜擢され[32][33]、2013年のファイナルシーズンまでおよそ10年に渡り演じ続けた。
2004年、声優の沢口千恵、沢口の妹でミュージシャンの石橋優子、友人で同じくミュージシャンの鈴木利宗と4人で音楽と朗読のユニット「BELOVED」を結成している。この他に、菅沼久義と「COCO」というユニットを組んでいる[34][35]。
2006年に同じ青二プロダクションに所属する神谷浩史が交通事故により一時休業を余儀なくされた際、神谷の代役として『ハチミツとクローバーII』の最終回で竹本祐太役に急遽抜擢された。他にも神谷が演じていた『爆球Hit! クラッシュビーダマン』神岡テルマ役、『Kanon』久瀬役(テレビアニメ第2期)の代役・新キャストとして担当した。
音域は地声でG2 - G4、ファルセットでA4 - G7[36]。声優としては、多数のアニメ、洋画、ゲーム、CDドラマ等に出演している[6]。
役柄としては、元気な少年・青年役、クールな二枚目役、気の弱いキャラクターなど幅広く演じ分けている[37]。デビュー当時から二枚目の爽やかな役が多かったため、たまに悪役を演じる時は嬉しかったという[38]。入所試験を終えた時に、「その爽やかな感じをずっと忘れないで」と言われていたが、2009年時点では爽やかだけではない二面性のある役がずいぶん増えてしまったと語る[28]。
テレビアニメ『ギャラクシーエンジェル』の人造人間ダーリン役では初の三枚目役を演じた[38]が、当時は「やるしかないから思い切って」と思い、現場で「ここに何か面白いアドリブを入れてください」と言われることもあったが、偶々あった出来事であり、100ある役柄のうちのひとつと思っていたという[39]。『GEAR戦士電童』では、ヘタレなオカマキャラを演じることになり、「あぁ、こういう役って面白いかも?」と思い始め、その気持ちを決定的にしたのが、『デ・ジ・キャラットにょ』の面茶やすし役であり、好き放題やらせてもらい、三枚目の楽しさがようやくわかったという[39]。
それまでは、父・昭生が三枚目役を演じることが多かったことから三枚目が嫌いであった[39]。父・昭生は戦隊モノ5人でいうとグリーンかイエローのポジションを演じることが多く、もし父・昭生と同じ職業に就いたら「だから僕は、絶対ブルーかレッドをやる!」というのが心の中にあった[20][39]。また小さい頃は「なんで、古谷徹さんみたいにレッドとかブルーじゃないの?」と聞いており、その頃からなんとなく、役者になりたい意識はあったのかもしれないという[20]。一方、父・昭生は「グリーンやイエローは楽しいんだよ」と健児に語っていたが、当の健児はグリーンやイエローのどこがどう楽しいのか、当時は全然わからなかったという[20]。同じく健児が声優を始め、実際にレッドやブルーといったキャラクターを演じた時は満足したものの、「(レッドやブルーは)絶対キャラクターを壊してはいけない分、制約が多い」「キャラクターを裏切ってはいけない」という緊張感だったり、責任感だったりがあったという[39][20]。一方で、「イエローやグリーンは自由にやってください」という役が多く、テクニカルで役者の人間力にかかっており、「やりがいや楽しさは、確かにイエローやグリーンにはあるな」と声優になってから感じていたという[39][20]。そのため一度三枚目を演じた時に「あぁ、親父がやってたのはコレなんだ! 俺も同じ道を歩むんだ」とひとつの転機になり、その後は、『出撃!マシンロボレスキュー』のハザード大佐を演じて、「どこまでやって良いんだろう? どこまで楽しいキャラクターにできるだろう?」と考えながら、ギリギリのコースのストライクを狙う芝居に挑戦した[39]。たまにギリギリボールになってしまうこともあるが、その綱渡りも楽しいという[39]。
健児的には、二枚目は、ストーリーの中でどうキャラクターを魅力的に深めていくかに集中するが、三枚目はアドリブが多いため、キャラクターから少し外れた自分自身のパーソナリティを出し、「どう自分を少しずつ出していこうか?」ということも考えながら演じているという[39]。青二塾時代も、出し物をする機会には、全部脚本を書きコント的な芝居をし、2009年時点で、「僕はもともとそういう人だったんだな」と気が付いたという[39]。
2009年時点でも三日坊主なため、色々な役ができるからこそ、声優の仕事を続けられてると語っている[25]。
転機になった仕事については、1つの現場に行くだけで、1年間養成所に通ったのと同じくらいの経験が得られることから、どれもひとつひとつが転機であるという[30]。名前の付いた役をもらうごとに、鼻が高くなっては折られ、高くなっては折られの日々を過ごしていたという[30]。
テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』では平岡秀章役などを演じている[40][41]が、『ちびまる子ちゃん』自体、仕事を始めようと思う前から観ており、フジテレビの日スペシャルのゲスト主人公で初めて出演してもらい、嬉しかったという[30]。ただしその現場については厳しく、現場に行くまでの電車でも、途中の駅で降りては吐いて、降りては吐いていたという[30]。
役作りは現場で周囲の人物と一緒に演じて初めてわかることが多い[39]。最低限の骨格は事前に作っていくが、肉付けは現場に入ってからでディレクターとのディスカッションだったり、周囲の役者のセリフの影響だったりしている[39]。そこはナマモノのため、現場を一番大事にしている[39]。ラッキーな現場だとキャラクター表を事前に貰えるが、現場に行き初めてキャラの絵を見ることもあった[39]。そういう場合はかなりの想像力が必要となるが、慣れてくると上のコマ割りの説明で映像が掴めるため、いきなり現場で画を見ても予想的中率のようなものが上がってくるという[39]。だいたいセオリーはあるが、それを掴めるまで5年くらいかかったという[25]。よく早口言葉がテクニックのように言われているが、ゆっくり喋りながら感情を保つ作業のほうが非常に難しいという[25]。
演技の参考にした役者は、2009年時点ではないという[25]。ただし、将来的に「ああいうポジションに辿り着きたい」といった人物はおり、先輩後輩関係なく「この人いいな」と思う人がいれば、「それを何とか盗んでやろう」と意識している[25]。若い人物からも教わることはたくさんあるが、「その人の人間そのものがいい」ということが多いため、大半は真似できないという[25]。
2009年時点では、自分の悪い癖やアクをどうそぎ落としていくかのほうが重要で、これまでは自分の中で作っていく作業をしていたが、これからは削っていく作業とし、未だその途中であるという[25]。声も七色の声を出すのは無理があるため、ひとつひとつ台本に書かれたセリフや、キャラクターに心を乗せて演じることだけ考えているという[25]。
出演作品の世界観や演じる役にのめりこみやすいタイプであり、悲しい役やひどい目に合う役を演じると、心がドキドキハラハラしたまま電車に乗り、気がついたところ2〜3駅通り過ぎている、ということがあった[25]。スタジオを出ていたところ「あえて役を忘れる作業が必要だ」と思うようになった[25]。ただし、忘れ過ぎると前回のあらすじすらうろ覚えになってしまうため、気をつけている[25]。アニメは毎週のように収録があるため、大丈夫だが、ゲームだと時々困ることがあり、資料がどこかに行くと、困るという[25]。原作を読むと先読み芝居になるため、テレビアニメ版『強殖装甲ガイバー』(2005年)の主人公・深町晶、ドラマCD『篁破幻草子』の禁鬼の長・雷信(小野筱)などのようにあえて原作を読まずに演技に臨むこともある。なお、雷信(筱)については『篁破幻草子』第1巻のブックレットによれば、収録日当日に「自分が演じる雷信には、実は主人公の双児の兄という秘密がある」と初めて知り、急遽プランを練り直したとのこと。劇場版『CLANNAD -クラナド-』で初めて劇場映画作品で主役を張った野島は、実際に劇場へ見に行って感動し、号泣したというエピソードがある。
それまでは役者を目指していたため、あまり声優に詳しくなかったので、当初は「どういう仕事なんだろう」「父があれだけ楽しそうにしている仕事はどんなだろう?」と興味を持ちながら、他の人物とは違った気持ちで取り組んでいったという[20]。声優になったばかりの頃は、「とにかくもらった役を全うしよう」と必死になっていた[42]。声の仕事をしていたところ、声だけの演技とは制限されているように見えて、無限大の可能性や表現の広がりがあることに気付き、一つ一つ役を作り上げていくごとに「これは深い世界だな」と実感していったという[20]。強く憧れ続けたわけでも、声優になりたくてなったわけでもないが、「すごく自分に向いてたな」と感じていた[20]。2017年時点も「ああ、声優になってよかったな!」と思える時がたくさんあるという[20]。
一方、プロになった直後はアフレコが話にならないぐらい難しく、プレッシャーで心が折れることだらけだったという[21]。仕事を始めた最初の2年間くらいは、厳しい現場も多かったため、ストレスと緊張の連続で、吐きすぎて出てくるものがなくなると血を吐いていたという[18][30]。デビュー当時の現場ではよく居残り、「そこで見て勉強していてください、みんなが終わったあとにやります。迷惑がかかるから」と言われるような毎日だったという[29]。新人の頃は「はい、できない。はい、ダメ」しか言われてなかったことから先輩に「いつになれば楽に仕事ができるのか?」と聞いたところ、「一生ならない」と言われて、ショックを受けたほどだったという[21]。そのため仕事を辞めたいと思ったこともあり、台本をビリッと破ったことも何回もあった[18][30]。そんな中でも声優業を続けることができた理由として、他人にも自分にも絶対負けたくないという「負けず嫌い」だったことを挙げている[16]。小さい頃から負けず嫌いだったことから「ここで辞めてなるものか」という意地もあり、「家から出られなくなってたまるもんか」という意識もあったため、現場に行っては震えながら仕事し、「終わったら、美味い酒が楽しく飲める!」を心の支えにし、「この苦しい時間は一生続くわけじゃない」と思いながらの2年間だったという[18][30]。
プロとして仕事をするようになって、声が世の中にオンエアーされることについては単純に嬉しかったが、収録自体は、はじめの5年間ぐらい楽しいことはこれっぽっちもなく、養成所時代とは違って責任も大きく大変であり、「どうやってこの役をやればいいんだろう」といつも悩んでいたという[29]。必死にやって「すごくいいよ」と褒められることもあったが、不安でいっぱいだったことから自分で自分の演技を認めることができなかったという[29][43]。主役を演じるようになってからも「自分はまだまだ」、という思いが常にあったという[43]。「完璧な理解よりも、好意的な誤解って素敵じゃないか」と本でこの言葉を知った時、「そうか、自分にとっての完璧な演技ってエゴかもしれない。芝居って受け取る側の心の中で何百倍にも膨らんで全然違うものに生まれ変わっていくこともあるんだ」と劇的に変わったという[43]。そこにたどり着くまでにはずいぶん時間がかかったが、それまではずっと背伸びしており、息が詰まっており、自分の身の丈を知り地に足をつけて、「今ある自分を認めてやらなきゃ自分がかわいそうだ」と思うことができたという[43]。そこに至るまでの苦しかった5年間、父・昭生に「どうしたらいいんだろうね?」ぐらいは言っていたが、真剣に相談はしてなかったという[43]。
『ちびまる子ちゃん』については憧れの作品に出られることが、唯一の楽しみであり、その嬉しさと、現場が終えた後で皆と楽しく酒を飲むことで、乗り越えられた感じだったという[30]。そのオンエアを父・昭生が観てもらい、「いいじゃないか」「そのまま行きなさい」「全然、遜色ないよ。自信を持ってやりなさい」と評価され、「認められた。これなら声優を続けられる」とその言葉に救われたという[30][43]。
『美少女戦士セーラームーン』の新作アニメ版『美少女戦士セーラームーンCrystal』シリーズでは地場衛/タキシード仮面役を担当することとなった。90年版シリーズで地場衛/タキシード仮面役を演じていた古谷徹とは、父・昭生がバンドを組んでいて家によく訪れて面識があったことから縁を感じられており、エールを送られている。
自信を持って言えるハマリ役は『ヤング・スーパーマン』のクラーク・ケント役を挙げている[32]。小さい頃は映画『スーパーマン』を観て、「自分がスーパーマンなんだ」と思い込み、風呂敷をつけて屋根から飛び降りたことがあった[33]。隣は畑であったが、飛び降りたところ痛かったという[33]。当初は憧れていたスーパーマンになれるという楽しみはあったが、スーパーマンの“ス”の字も出てこなかった[33]。健児がクラークの立場だったら、能力に自惚れて有項天になり自分を見失うと思い、健児自身も似たような経験があり、彼の能力で同じ失敗をしたらと思うとすごく恐くなった[33]。クラーク・ケントがスーパーマンになるまで、どういう生き方をしてきたのか気になり2006年時点では見るのではなく自分で演じれるのが、すごくうれしく楽しかった[33]。クラーク役を演じてたトム・ウェリングに対して、最初の頃は意識して合わせていたが、2006年時点では呼吸が自然に合っている[33]。その時に一緒に息を吸い、同じタイミングでセリフが出てきて、「もう彼はパートナーだ」と勝手に思い込み、クラーク以外の役も見てみたく、吹き替えるなら健児が演じたいという[33]。無意識に空を飛んでしまったら、高所恐怖症だったなど、映画で観ていたスーパーマンって「若い頃こんなだったんだ」と意外な部分が多く楽しいという[33]。
趣味はドラム、三線[36]、料理[44]。資格・免許は普通自動車免許[36]。
子供の頃はメイク、竹細工職人、家具の修理を行う職人、物書き、漫画家といった色々なクリエイティブな職業に憧れを抱いていたという[42]。ものを作ることが好きで、2017年時点では彫り物したり、アクセサリー作ったり、時間があれば絵を描いたりしており、「そういった仕事もいいな」と思っているという[42]。趣味の範囲で色々しながら、「こういう仕事したらどういう気持ちなんだろう」と想像して過ごしていた分、「アルバイトをやっとけばよかったな」と思いはあったという[42]。
アルバイトの経験はなかったが、色々な友人の話を聞いたところ、「大変そうだな」と思う反面、「楽しそうでうらやましいな」と思っていたという[18]。どういったモチベーションでアルバイトをしているか興味があり、「夢のために一生懸命働いてお金を作っている人物もいるだろう」、「夢はないが、いつか夢ができた時のためにお金を貯めている人物もいるだろう」、「バイトが将来進みたい方向性に近く、勉強のために働いている人物もいるだろう」、「なんの当てもなく始めたが、自分にあっており、バイトを極めてそのまま就職する人物もいるだろう」といったことが気になるという[18]。
やってみたいアルバイトとしてパン屋を希望しており、パン屋は小さい頃から好きだった[42]。東京に在住していた頃は、お金握りしめて6枚切り2斤の食パンを買いに行ったりしていた[42]。その場でカットしてくれた食パンと、「余ったパンもどうぞ」とおまけのパンを貰っており、食パン1斤に、菓子パンをだいたい3、4個を付けてくれたという[42]。もしパン屋になれるとしたら、食べ物は「究極の愛情表現だ」と思っている[42]。食べるものは栄養として吸収され、直接その人の体になると考えていると、食べ物を作ることは、直接その人の体を作るのと同じなため、「どうやったらその人の体に合うものができるだろうと」考えなければいけないと語る[42]。食べ物を食べる時も「今僕の体が欲しているものはなんだろう?」と考えており、体と対話をして食べる物を決めているという[42]。そういった意味で客の「体にいいものは何だろう」と考えながらパン屋で「働きたいな」と思っているという[42]。特に前述の通り、子供の頃からものを作るのが好きだったことから今日の体にいいパン、今日の気候に合ったパン、少し奇抜なパン、子供が喜びそうなニンテンドースイッチパンなどを作って売ってみたいという[42]。2017年時点でもパン屋には憧れているという[42]。
九州にいた時はパソコンをいじるのが好きであり、兄と共にゲームのプログラムを組んだり、自作プログラムを使用しモニターの一画面の中でどれだけの表現ができるか挑戦していた[26]。「限られた世界でどこまでの物が作れるかが楽しい」とのことで、制限のある中でギリギリの表現をするのが好みであり、それは声だけの表現に近いものがあったという[26]。プログラミングから離れた理由は、「パソコンが16ビットに進化したから」だという[26]。それまで8ビットという限られた容量の中で総意工夫をするのが面白かったが、16ビットになり何でも自由に表現できるようになり、つまらなくなってしまったという[26]。
2007年時点のインタビューによるとドラム教室に通い始めたという[24]。バンド活動をしているが、一切楽器の演奏ができず、ロックなどの音楽に合わせて、歌うように語りをしていた[24]。2007年時点でイベントを8年間くらい続けている中で、だんだんと「僕も楽器の演奏をしてみたい」と思うようになった[24]。ただし、小さい頃に習っていたピアノを始め、ギター、トランペット、サックスなど、色々な楽器に手を出したりはしていたが、どれも結局長続きしなかった[24]。それで、「いかがなものか」と思っていた時に、パーカッションの楽器のカホンに出会った[24]。それを、ライブで演奏していたところ、今までで1番しっくりきたという実感があり、「もしかしたら、自分には音階がある楽器じゃなくて、こういうリズムを刻む楽器のほうが合うのかもしれない」と思ったのがきっかけで、ドラム教室に通うにようになったという[24]。
初めて買ったCDは1980年代の半ば頃に出始めたゲームミュージック[32]。その頃、裕史はシンセサイザーをしていたため、音楽はその影響が大きく、ゲームミュージック以外でも、裕史が持ってきたZABADAKを聴いたりしていた[32]。
洋楽はスティング、U2、親も好きであるレゲエが好きであった[32]。あとは、竜童組、RCサクセションなど、そういう音楽はよく家でかかっていたという[32]。
遊佐については、CMで聴いていた『地図をください』で知った[32]。その後、バンド仲間がラジオ番組を始めて、ゲストに遊佐を呼ばれたことを聞いて、「いいなぁ」と思ったという[32]。
宮沢との出会いはけっこう遅くキリンビールの「冬仕立て」CMソング『帰ろうかな』[45]からである[32]。2009年時点では宮沢については、ニアミスはあるが、会ったことはないという[32]。過去に2回、宮沢の詩を読むイベントをしたことがあり、本番中に宮沢が会場に来て、受付にシャンパンを差し入れしてくれた[32]。それを知り、「ますます素敵な方だ」と思った[32]。もし宮沢に会いにいくとすれば、何かのチャンスが来て「僕に曲を書いてください」とお願いに行く時ではないかと語る[32]。
LINDBERG、米米CLUBも好きで、カラオケで、5時間くらい米米だけを歌っていたことから青二塾時代の友人からは、「のじ=米米クラブ」と言われるという[32]。
事務所の先輩の島田敏と龍田直樹とは一緒にする機会が多く、2人とも見ている野島まで楽しくなるほど生き生きと仕事をしており、「本当にこの仕事が好きなんだな」とありありと感じたという[43][42]。一緒にお酒を飲んでいた時に龍田からは「野島くんの技量やカラーは十分わかったから、これからは仕事を楽しみな」とアドバイスをもらい、それからは「楽しむって方法があるんだ」と知り楽しさを基準にモノを考えられるようになったという[43][42]。
龍田直樹からは「野島くん」と呼ばれている[43][42]。一方、他の皆からの呼称は特に統一されておらず、「ノジ」、「ノジノジ」、「健ちゃん」、「ケンジ」、「ケンジ君」、「ノジケン」と様々である[43]。先輩が「ケンジ」と呼んでくれる時は凄く嬉しく、「愛情を持ってくれているんだな」と思った[43]。また同世代から「ノジ」と呼ばれるのはもう慣れており、親しい仲だからこそ言ってくれる呼び名だと思っているため、凄くリラックスし、嬉しいという[43]。健児自身は気に入っているのはその二つかなと語っている[43]。
将来こうなりたいな、と思う先輩は関俊彦を挙げている[43]。感覚的に健児自身に近いと思える部分があり、「役者としての実力、言葉の選び方であったり美しい立ち居振る舞い、所作、そういうところに共感している」といい、「僕の目標です」と語っている[43]。
一番仲が良いのは菅沼久義で、仲良くなったきっかけは、神楽坂にあった青二ミュージアムで1人でトークショーをやろうと考えていたが、トークが苦手で、当時はまだ歌の仕事もしていなかったため、1人で2時間は無理であった[35]。その時、ポッと頭に浮かんだのが「肌が合いそうだ」と菅沼であった[35]。特に菅沼とは共演もしてなかったが、一緒にやってみたところ、バランスがよかったという[35]。菅沼とは深いところにはお互い立ち入らず、いい友人だが、プライベートで会うことはほとんどないという[35]。
職業としての声優は時間が決まってないため、幼少期は父・昭生が仕事に行くたびに「今日は、何時に帰ってくるの?」と聞いていた[20]。健児が「今日は遅くなるから、先に寝ちゃってるよ」と言って、父・昭生は「今日は早いから、おみやげ買って帰るよ」と答えたりして、父・昭生が帰ってくるのを楽しみにしていた[20]。父・昭生はイベント、吹き替えの仕事が行われることが多い日曜日になるべく休み、健児達を遊びに連れていってくれたという[20]。
青二塾時代には父・昭生の言っていることが全然わからなかった[27]。父・昭生はそれを理解したのか、何も言わなくなった[27]。唯一言われたのは「ちゃんと栄養のあるものを食べなさい」、「自己管理をちゃんとしなさい」、ということだけだったという[27]。
父とは『BLOOD THE LAST VAMPIRE』、『マージナルプリンス〜月桂樹の王子達〜』、『イヴの時間』、『篁破幻草子』で親子役で共演している。兄とは『エンジェル・ハート』で双児の兄弟や『灼眼のシャナ』でクラスメイト、『WORLD DESTRUCTION 世界撲滅の六人』では瓜二つのキャラクター、『バンブーブレード』などで共演している。息子とは『しょうぐん 天晴れェド!』で息子の役柄の家臣役で共演している[16]。
『スケアクロウマン』第4話では父共々ゲスト(シュタインという名のゲストキャラクターの過去と現在)として、主役である兄と共演した。『スケートリーディング☆スターズ』でも兄と双子の兄弟役で共演し、更にその父親役である昭生も含めて親子三人での共演を果たしている。
父・昭生との共演の機会には「芝居のアプローチが僕とは全然違うんだな」と感じていた[43]。健児は「その場で生まれること、その瞬間瞬間の感情を生かせれば」と思い、わりと統一した芝居にならなかった[43]。その時の芝居の流れで、同じ台詞でも違う芝居になったという[43]。一方、父・昭生の芝居のアプローチは絶対真似できないことであり、「すごいな」と思った[43]。小さい時から父・昭生の仕事を見てきたが、そういうことは共演してはじめてわかったという[43]。
父・昭生は声優デビューを果たした健児に、「ここからが始まりだからな」「新人だからといって、新人づらをするな」と言っていたという[30]。「新人はできなくて当たり前なんだから、萎縮せずに堂々として、できないことは真摯に学べ」という意味だったが、当時の健児はそういう意味だとはわからなかった[30]。とりあえず堂々とした態度を取っていたが、年上の人物からは話しかけられやすく、コミュニケーションが取れたため、「ナイスアドバイス!」と思っていた[30]。しかしあまりにも「ハイ! ハイ!」とかしこまられると、「面倒くさいからいいや……」と思われ、逆に話しかけなくなるという[30]。「先輩すみません、ドア開けます」のようにせず、ひとりの人間として「そこにいなさい」と父・昭生が言ってたのはそういう意味だと後で気がついたという[30]。
8歳の頃、兄・裕史と一緒に北海道をヒッチハイクなどで旅していた経験がある[4]。また、兄弟3人でコンピュータ雑誌『MSX・FAN』において、ペンネーム「F.I.S」で常連として投稿していたことがある[4]。
昔は兄・裕史とは喧嘩ばかりだったが、17歳の時に裕史が大分県で放送制作会社の会社員[46]に就職したことで一気に尊敬するようになったという[18]。その頃、父・昭生が九州のローカル局でアナウンサーの講師、兄・裕史が番組を制作しながら地方局のCMナレーションを読んだりしており、テレビをつけていたところ父か兄の声ばかり聞こえており、兄を尊敬する反面「すごく悔しいな、負けてるな」と思っていたという[22][18]。当時、兄・裕史は電車で1時間ぐらい離れたところに住んでいたが、そこまで遊びに行って「どういう仕事してるの?」、「会社ってどうなの?」、「番組ってどうやって作るの?」と聞きに行っていたという[18]。「働いている!一人暮らししてる!社会人すげえ!」と思っていた瞬間から、兄との喧嘩はなくなったという[18]。兄・裕史はその仕事があるため、九州に残ったが、父・昭生は何か思うところがあり、「農業からもう一度、本腰を入れて役者の仕事をやりたい」と、健児と大学受験を目指していた弟・智司を連れて一緒に上京したという[8]。
弟・智司は皆から可愛がられており、健児とも仲が良かったという[18]。一方、幼少期の智司とは裕史とともに当初は仲良く遊んでいたが、その後は健児たちが帰ってくると智司は大喜びで飛び込んでいき、ひとかたまりになり喧嘩していたという[1]。
声優デビューを果たした息子・透也に対しては「とにかく役者を続けろ。続けた先に見えた景色をいつか僕に教えて欲しい。色んなものを吸収した彼から刺激をいっぱいもらいたい。そうすることで僕も新しい世界を知りたいし、僕の中で新たに生まれてくるものがあるはず」とアドバイスを送っている[16]。
太字はメインキャラクター。
※はインターネット配信。
※はインターネット配信。
発売日 | タイトル | 規格品番 | オリコン最高位 |
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2010年4月28日 | Gift | PAGC-2 | |
2014年11月12日 | Any Day Shuffle | EM2R-00010 | 86位[308] |
発売日 | タイトル | 規格品番 | 備考 |
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2010年2月24日 | 新しい世界へ | KNHS-001 | COCO(菅沼久義とのユニット)名義 |
2018年10月9日 | あぶく | COC-0001 | COCO(菅沼久義とのユニット)名義 |
発売日 | タイトル | |
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1st | 2015年3月21日 | いつかどこかの僕について |
2nd | 2016年5月2日 | Between the lines |
3rd | 2017年9月27日 | Don’tWorry〜モノタリナイ物語〜 |
発売日 | 商品名 | 歌 | 楽曲 | 備考 |
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1999年 | ||||
12月3日 | ときめきメモリアル2 オリジナルサウンドトラック Vol.1 | 穂刈純一郎(野島健児)、坂城匠(増田ゆき) | 「向日葵」 | ゲーム『ときめきメモリアル2』関連曲 |
2000年 | ||||
5月10日 | ときめきメモリアル2 ボーカルトラックス2 | 穂刈純一郎(野島健児) | 「心のままに」 | ゲーム『ときめきメモリアル2』関連曲 |
10月4日 | 妖しのセレス ドラマアルバム 天女の歌声〜The Hevenly Voice〜 | GeSANG[メンバー 1] | 「無限の風」 | テレビアニメ『妖しのセレス』挿入歌 |
2002年 | ||||
7月25日 | 好きなものは好きだからしょうがない! -HEAVENLY BREATH- | 羽野義広(野島健児)、市川学(私市淳) | 「エナジーエナジー」 | ゲーム『好きなものは好きだからしょうがない!!』関連曲 |
10月2日 | キン肉マンII世 歌と音楽集「キャラクターソングと映画の激伴!!」 | ジェイド(野島健児) | 「ジェイド! 〜ジェイドのテーマ〜」 | テレビアニメ『キン肉マンII世』関連曲 |
2003年 | ||||
4月25日 | バラエティCD 君主サマの恋は勝手! | 藤緒隆也(鈴村健一)、黒巴織人(野島健児) | 「Before The True Love」 「Before The True Love〜Remix Ver.〜」 |
ドラマCD『君主サマの恋は勝手!』関連曲 |
2005年 | ||||
9月1日 | Marginal Prince Songs 1 | アンリ=ユーグ=ド=サン・ジェルマン(野島健児) | 「アメジストの夢」 | ゲーム『マージナルプリンス〜月桂樹の王子達〜』関連曲 |
Marginal Prince Songs 2 | 「虚像、真実、そして愛」 | |||
2006年 | ||||
11月22日 | Saint Beast Others Coupling CD Series "Others" #1 ユリウス×オーディン | ユリウス(野島健児) | 「ぼくの迷路」 | ドラマCD『セイント・ビーストOthers』関連曲 |
2007年 | ||||
4月25日 | ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Kiss ドラマ&イメージソングアルバム vol.1 | 赤城一雪(野島健児) | 「Ever rain」 | ゲーム『ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Kiss』関連曲 |
8月31日 | Over Drive キャラクターソングシリーズ Vol.2 | 寺尾晃一(野島健児) | 「風の詩」 | テレビアニメ『Over Drive』関連曲 |
9月5日 | 緋色の欠片シリーズオリジナルサウンドトラック | 重森晶(野島健児) | 「運命(さだめ)」 | ゲーム『翡翠の雫 緋色の欠片2』関連曲 |
10月24日 | ナデプロ!! キャラソン!?シリーズ Vol.2 〜南雲&甲斐&人見編〜 | 南雲健太(野島健児) | 「夢のロード」 | 『ナデプロ!!』関連曲 |
南雲健太(野島健児)、甲斐由直(甲斐田ゆき) | 「DREAM GENERATION!!」 | |||
11月28日 | 翡翠の雫 緋色の欠片2 キャラクターソングシリーズ Vol.1「重森晶&高千穂陸」 | 高千穂陸(伊藤健太郎)、重森晶(野島健児) | 「守るべき者」 | ゲーム『翡翠の雫 緋色の欠片2』関連曲 |
重森晶(野島健児) | 「OATH〜誓い〜」 | |||
2008年 | ||||
5月28日 | ラスト・エスコート2 〜深夜の甘い棘〜 ドラマCD 〜ナゼに白薔薇? 艶街九月の夜の夢〜 & キャラクターソング | マコト(野島健児) | 「I know」 | ゲーム『ラスト・エスコート2』関連曲 |
2009年 | ||||
8月5日 | VitaminZ キャラクターソングCD 方丈慧&方丈那智編 | 方丈那智(野島健児) | 「DeviL」 「LiveD」 |
ゲーム『VitaminZ』関連曲 |
10月29日 | ナデプロ!! 〜キサマも声優やってみろ!〜 | 人見克也(小西克幸)、南雲健太(野島健児)、甲斐由直(甲斐田ゆき) | 「precious world〜トビラの向こうへ〜」 | ゲーム『ナデプロ!! 〜キサマも声優やってみろ!〜』オープニングテーマ ※初回限定版同梱特典 |
2010年 | ||||
9月23日 | 会長はメイド様! Virtual Live Album U×ミシ -ナツコイ☆物語- | U×ミシ[くぅが(野島健児)] | 「ナツコイ☆物語」 「ユメノハナ」 「茜」 |
テレビアニメ『会長はメイド様!』挿入歌 |
「ガール」 | テレビアニメ『会長はメイド様!』関連曲 | |||
12月4日 | ネオ アンジェリーク&ラブφサミット B&R 〜ベルナール&リヒャルト〜 | リヒャルト(野島健児) | 「JOY×HOLIC」 | ゲーム『ラブφサミット』関連曲 |
2011年 | ||||
5月25日 | 真・三國無双6 王覇・響歌乱舞 | 陸遜(野島健児) | 「Crimson Wings」 | ゲーム『真・三國無双6』関連曲 |
9月28日 | カイメイ・ロック・フェスティバル | ザ・生徒会バンド[榛葉道流(野島健児)] | 「Aegis 〜君を守る盾〜」 「Aegis 〜君を守る盾〜(LIVE MIX ver.)」 |
テレビアニメ『SKET DANCE』挿入歌 |
12月16日 | キャラット・ダンス♪ | 榛葉道流(野島健児) | 「君が好き」 | テレビアニメ『SKET DANCE』関連曲 |
2012年 | ||||
8月15日 | VitaminZ Character Song CD 百歌繚乱 其の参 〜慧/那智〜 | 方丈那智(野島健児) | 「罪(ハイド)」 | ゲーム『VitaminZ』関連曲 |
8月22日 | VitaminZ Character Song CD 百歌繚乱 其の禄 〜VitaminZのテーマ〜 | A4+P2[メンバー 2] | 「愛してるZ!!!!!!」 | |
8月29日 | 世界は屋上で見渡せた | 開盟学園生徒会執行部[メンバー 3] | 「世界は屋上で見渡せた 〜合唱 ver.〜」 | テレビアニメ『SKET DANCE』エンディングテーマ |
12月19日 | テレビアニメーション「探検ドリランド」キャラクターソング&ミュージック I | ウォーレンス(野島健児) | 「Voice of the Heart」 | テレビアニメ『探検ドリランド』関連曲 |
2013年 | ||||
3月27日 | 下天の華 キャラクターソング集 | 明智光秀(野島健児) | 「秘密の唇」 | ゲーム『下天の華』関連曲 |
真・三國無双7 キャラクターソング集II 〜呉〜 | 陸遜(野島健児) | 「Blaze of Mind」 | ゲーム『真・三國無双7』関連曲 | |
4月24日 | 究極のダミーヘッド官能ソング SEVENTH HEAVEN vol.1 アキラ | アキラ(野島健児) | 「Love Delight」 | ドラマCD『SEVENTH HEAVEN』関連曲 |
11月6日 | マイナスエイト 主題歌「キミ専用(ONLY)HERO!!!」 | -8[メンバー 4] | 「キミ専用(ONLY)HERO!!!」 | ゲーム『-8』オープニングテーマ |
「Beginning of Love」 | ゲーム『-8』エンディングテーマ | |||
2014年 | ||||
1月29日 | マイナスエイト キャラクターソング+ドラマ | 佐伯郁沙(野島健児)、樹茉莉男(宮田幸季) | 「シーラカンス」 | ゲーム『-8』関連曲 |
3月14日 | Photograph Journey 〜in Miyazaki〜 | 柚木崎凪(野島健児) | 「雨とあまがえる」 | ドラマCD『Photograph Journey』関連曲 |
3月19日 | EXIT TUNES PRESENTS ACTORS | 鑑香水月(野島健児) | 「威風堂々」 「サリシノハラ」 |
『ACTORS』関連曲 |
丸目千熊(木村昴) + オールキャスト[メンバー 5] | 「十面相」 | |||
11月5日 | ACTORS - Extra Edition 2 -feat.颯馬、燎、水月 | 鑑香水月(野島健児) | 「ヴェノマニア公の狂気」 | |
12月17日 | 男遊郭の艶寝 第五夜 かげろう | かげろう(野島健児) | 「七日之音」 | ゲーム『男遊郭』エンディングテーマ |
2015年 | ||||
3月4日 | ACTORS - Deluxe Duet Edition - | 鑑香水月(野島健児)、一乗谷羚(緑川光) | 「カンタレラ」 | 『ACTORS』関連曲 |
3月18日 | EXIT TUNES PRESENTS ACTORS3 限定盤 | 円城寺三毛(小野友樹)、秋月甲斐(江口拓也)、丸目千熊(木村昴)、鑑香水月(野島健児)、臼杵 鷲帆(竹内良太) | 「千本桜」 | |
鑑香水月(野島健児) | 「虎視眈々」 | |||
4月29日 | 美少女戦士セーラームーンCrystal キャラクター音楽集Crystal Collection | 地場衛(野島健児) | 「君の瞳のMoonrise」 | テレビアニメ『美少女戦士セーラームーンCrystal』関連曲 |
5月27日 | バラエティCD 下天の華 〜夢結び〜 | 明智光秀(野島健児) | 「月影の夜露」 | ゲーム『下天の華』関連曲 |
12月2日 | EXIT TUNES PRESENTS ACTORS4[309] | 鑑香水月(野島健児) | 「マーシャルの嬌声」 | 『ACTORS』関連曲 |
臼杵鷲帆(竹内良太)、鑑香水月(野島健児) | 「サンドリヨン」 | |||
2016年 | ||||
6月22日 | ニュームーンに恋して/永遠だけが二人を架ける | タキシード仮面(野島健児) | 「永遠だけが二人を架ける」 | テレビアニメ『美少女戦士セーラームーンCrystal Season III』エンディングテーマ |
8月21日 | ネオロマンス フェスタ 下天の華 〜星見の宴〜 | 織田信長(松風雅也)、明智光秀(野島健児)、森蘭丸(島﨑信長) | 「光射す未来へ」 | ゲーム『下天の華』関連曲 |
明智光秀(野島健児) | ||||
8月24日 | 新テニスの王子様「THE BEST OF U-17 PLAYERS X Tsukimitsu Ochi & Jusaburoh Mori」 | 越知月光(川上貴史)、毛利寿三郎(野島健児) | 「勝利への花道」 「勝利への花道 -Remix-」 |
テレビアニメ『新テニスの王子様』関連曲 |
9月28日 | FORBIDDEN★STAR BLACK VERRY 1st | BLACK VERRY[メンバー 6] | 「優シイ果実」 「Stupid Collection」 |
『FORBIDDEN★STAR』関連曲 |
10月12日 | 腐男子高校生活キャラクターソングアルバム | 中村俊明(野島健児) | 「my school life」 | テレビアニメ『腐男子高校生活』関連曲 |
12月21日 | あんさんぶるスターズ! ユニットソングCD 2nd Vol.08 Switch | Switch[メンバー 7] | 「Temptation Magic」 「Knockin' Fantasy」 |
ゲーム『あんさんぶるスターズ!』関連曲 |
2017年 | ||||
1月25日 | バレンタイン・キッス | 越知月光(川上貴史) with U-17[毛利寿三郎(野島健児)] | 「バレンタイン・キッス」 | テレビアニメ『新テニスの王子様』関連曲 |
FORBIDDEN★STAR BLACK VERRY 2nd | BLACK VERRY[メンバー 6] | 「MISTAKE Wah NOISY」 「浮名 SILENT MINORITY」 |
『FORBIDDEN★STAR』関連曲 | |
3月15日 | ACTORS - Deluxe Delight Edition - | 鑑香水月(野島健児)、東本桂士(杉山紀彰) | 「共犯者」 | 『ACTORS』関連曲 |
12月6日 | あんさんぶるスターズ! ユニットソングCD 3rd Vol.09 Switch | Switch[メンバー 7] | 「イースター・カーニバル」 「Galaxy Destiny」 |
ゲーム『あんさんぶるスターズ!』関連曲 |
2018年 | ||||
5月23日 | Over the Limit | ROUTE85[メンバー 8] | 「Over the Limit」 | テレビアニメ『弱虫ペダル GLORY LINE』エンディングテーマ |
黒田雪成(野島健児) | テレビアニメ『弱虫ペダル GLORY LINE』関連曲 | |||
弱虫ペダル GLORY LINE BD・DVD第1巻特典CD | 真波山岳(代永翼)、黒田雪成(野島健児) | 「Turn It Around」 | ||
7月18日 | 弱虫ペダル GLORY LINE BD・DVD第2巻特典CD | 真波山岳(代永翼)、泉田塔一郎(阿部敦)、黒田雪成(野島健児)、葦木場拓斗(宮野真守)、銅橋正清(小野大輔)、新開悠人(内田雄馬) | 「箱根学園 校歌」 | |
10月24日 | あんさんぶるスターズ!アルバムシリーズ Switch | Switch[メンバー 7] | 「エメラルドプラネット」 「I "Witch" You A Happy Halloween!」 |
ゲーム『あんさんぶるスターズ!』関連曲 |
五奇人[メンバー 9] | 「Eccentric Party Night!!」 | |||
逆先夏目(野島健児) | 「Secret Gravity」 | |||
12月26日 | Free!-Dive to the Future- キャラクターソングミニアルバム Vol.2 Close Up Memories | 桐嶋夏也(野島健児)、芹沢尚(日野聡) | 「Yell for the Future」 | テレビアニメ『Free!-Dive to the Future-』関連曲 |
2019年 | ||||
8月14日 | Stars' Ensemble! | 夢ノ咲ドリームスターズ[メンバー 10] | 「Stars' Ensemble!」 | テレビアニメ『あんさんぶるスターズ!』オープニングテーマ |
10月2日 | EXIT TUNES PRESENTS ACTORS7 | 鑑香水月(野島健児) | 「君の体温」 | 『ACTORS』関連曲 |
EXIT TUNES PRESENTS ACTORS7 初回限定盤 | 鑑香水月(野島健児)、葛野大路颯馬(置鮎龍太郎)、光司陽太(保志総一朗)、東本桂士(杉山紀彰)、五月女燎(坪井智浩) | 「神のまにまに」 | ||
10月30日 | INAZUMA SHOCK | 歌唱部[メンバー 11] | 「INAZUMA SHOCK」 | テレビアニメ『ACTORS -Songs Connection-』エンディングテーマ |
11月27日 | あんさんぶるスターズ! EDテーマ集 VOL.04 | Switch[メンバー 7] | 「Magic for your "Switch"」 | テレビアニメ『あんさんぶるスターズ!』エンディングテーマ |
2020年 | ||||
1月8日 | ACTORS -Songs Connection- キャラクターソング Vol.10 鑑香水月 | 鑑香水月(野島健児) | 「白いアネモネ」 | テレビアニメ『ACTORS -Songs Connection-』関連曲 |
「虎視眈々[リアレンジ]」 | テレビアニメ『ACTORS -Songs Connection-』挿入歌 | |||
5月20日 | ACTORS -Singing Contest Edition- sideA | 「ジッタードール」 | 『ACTORS』関連曲 | |
8月26日 | BRAND NEW STARS!! | ESオールスターズ[メンバー 12] | 「BRAND NEW STARS!!」 | ゲーム『あんさんぶるスターズ!!』主題歌 |
「Walk with your smile」 | ゲーム『あんさんぶるスターズ!!』関連曲 | |||
2021年 | ||||
1月6日 | ACTORS – Deluxe Dream Edition – | 鑑香水月(野島健児)、秋月甲斐(江口拓也) | 「ゴーストルール」 | キャラクターCD『ACTORS』関連曲 |
1月27日 | あんさんぶるスターズ!! シャッフルユニットソングコレクション vol.01 | √AtoZ[メンバー 13] | 「デートプランA to Z」 | ゲーム『あんさんぶるスターズ!!』関連曲 |
2月10日 | 劇場版「美少女戦士セーラームーンEternal」 キャラクターソング集 Eternal Collection | タキシード仮面(野島健児) | 「Ray of light」 | 劇場アニメ『劇場版 美少女戦士セーラームーンEternal』関連曲 |
5月26日 | あんさんぶるスターズ!! ESアイドルソング season1 Switch | Switch[メンバー 7] | 「オモイノカケラ」 「BRAND NEW STARS!!」 |
ゲーム『あんさんぶるスターズ!!』関連曲 |
6月9日 | あんさんぶるスターズ!! FUSION UNIT SERIES 01 Switch × Eden | Switch[メンバー 7]、Eden[メンバー 14] | 「Majestic Magic」 | |
Switch[メンバー 7] | 「FUSIONIC STARS!!」 | |||
6月23日 | FUSIONIC STARS!! | ESオールスターズ[メンバー 12] | 「FUSIONIC STARS!!」 | |
8月18日 | スケートリーディング☆スターズ キャラクターソングミニアルバム② | 石川一(野島裕史)、石川二(野島健児) | 「陽と陰」 | テレビアニメ『スケートリーディング☆スターズ』関連曲 |
2022年 | ||||
5月11日 | あんさんぶるスターズ!! ESアイドルソング season2 Switch | Switch[メンバー 7] | 「Brilliant Smile」 「A little bit UP!!」 |
ゲーム『あんさんぶるスターズ!!』関連曲 |
2024年 | ||||
6月26日 | Stars' Ensemble![注 2] | 夢ノ咲ドリームスターズ[メンバー 15] | 「Stars' Ensemble!」 | ゲーム『あんさんぶるスターズ!!』関連曲 |
BRAND NEW STARS!![注 2] | ESオールスターズ[メンバー 16] | 「BRAND NEW STARS!!」 「Walk with your smile」 | ||
あんさんぶるスターズ!! シャッフルユニットソングコレクション vol.01[注 2] | √AtoZ[メンバー 17] | 「デートプランA to Z」 | ||
FUSIONIC STARS!![注 2] | ESオールスターズ[メンバー 16] | 「FUSIONIC STARS!!」 |
発売日 | 商品名 | 歌 | 楽曲 | 備考 |
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2000年8月5日 | Party | GAYA![メンバー 18] | 「BREAK! CHANCE DREAM」 | |
2008年1月23日 | 百歌声爛 男性声優編Ⅱ | 野島健児 | 「魔弾戦記リュウケンドー」〜 「とんちんかんちん一休さん」〜 「ワンワン三銃士」〜 「ミッドナイト・サブマリン」〜 「ガンモ・ドキッ!」〜 「歓送の歌」〜 「美しさは罪」〜 「時代が泣いている」〜 「いろは詩」〜 「ひとりぼっちじゃない」 |
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2011年5月31日 | EVER SMILE | SHOW & KENN with ALL FRIEND(小野大輔、菅沼久義、野島健児、前野智昭、三浦祥朗、代永翼) | 「EVER SMILE」 | 東日本大震災 乙女チャリティソングプロジェクト『Brand New Love』 |
2012年12月12日 | Platinum Voice〜届けたい歌がある〜 | 野島健児 | 「キセキ」 | |
諏訪部順一、松風雅也、内田夕夜、井上和彦、置鮎龍太郎、野島健児、古谷徹、KENN | 「少年時代」 | |||
2015年9月1日 | 天に届け 陸前高田 奇跡のオルガンat 東京国立博物館 | 中村由利子、松井五郎、白鳥英美子、紺野美沙子、野島健児 | 「空から、そして海から」 | 震災復興支援CD 朗読 |
2017年12月20日 | POWER | 野島健児 | 「冒険者たち」 「ミュンヘンへの道」 |
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2019年5月22日 | ネヴァーランド/Voice Actor×売野雅勇 | 「すべての愛しきRunaways」 | ||
2020年12月9日 | VOICE〜声優たちが歌う松田聖子ソング〜 Male Edition | 「一千一秒物語」 「ガラスの林檎」 |
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梶裕貴、野島健児、松岡禎丞、古川慎、石川界人 | 「瑠璃色の地球」 | |||
2021年12月8日 | 以声伝心〜DUAL VOICES〜 野島健児x野島透也 | 野島健児 | 「君と出会うとき -Kenji Nojima ver.-」 「くだらないの中に」 |
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野島健児、野島透也 | 「君と出会うとき -Dual Voices ver.-」 | |||
2022年7月27日 | [Re:collection] HIT SONG cover series feat.voice actors 〜90's-00's EDITION〜 | 野島健児 | 「サウダージ」 |