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名前 | ||||||
カタカナ | キン ミョンヒ | |||||
ラテン文字 | KIM Myung Hwi | |||||
ハングル | 김명휘 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 韓国 | |||||
生年月日 | 1981年5月8日(43歳) | |||||
出身地 | 兵庫県伊丹市[1] | |||||
身長 | 186cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1997-1999 | 初芝橋本高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2001 | ジェフユナイテッド市原 | 0 | (0) | |||
2000 | → ヴァンフォーレ甲府 (loan) | 5 | (0) | |||
2002 | 城南一和天馬 | 0 | (0) | |||
2003-2006 | 佐川急便大阪SC | 52 | (3) | |||
2006 | バンディオンセ神戸 | 0 | (0) | |||
2007 | アローズ北陸 | 25 | (3) | |||
2008-2010 | カターレ富山 | 46 | (3) | |||
2011 | サガン鳥栖 | 0 | (0) | |||
通算 | 128 | (9) | ||||
監督歴 | ||||||
2014-2015 | サガン鳥栖U-15 | |||||
2016-2018 | サガン鳥栖U-18 | |||||
2018 | サガン鳥栖 | |||||
2019-2021 | サガン鳥栖 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月4日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
金 明輝(キン ミョンヒ、김명휘、1981年5月8日 - )は、兵庫県伊丹市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。在日韓国人。現役時のポジションはディフェンダー。
幼稚班と初級部は伊丹朝鮮初級、中級部は尼崎朝鮮中級に通った。初級部の頃からプロのサッカー選手を目指しており、全国高校サッカー選手権大会への出場を強く望むようになった。中学3年生の時、朝鮮高校に選手権への出場が認められることが決まったが、高校3年生まで出場できるかは不透明だった。迷った末、「どうしても選手権に出たい」との思いを貫き、初芝橋本に進学することにした。[2]
2000年にジェフユナイテッド市原でプロサッカー選手としてのキャリアを開始。数クラブを渡り歩いたのち、2011年シーズンをもって現役を引退[3]。翌年サガン鳥栖のスクールコーチに就任し指導者の道に進んだ。U-15のコーチと監督を計3年間務めた後、2016年にU-18監督に就任。2017年・2018年とプリンスリーグ九州連覇に導いた[4]。2018年8月よりトップチームコーチを兼任していたが[5]、10月18日にマッシモ・フィッカデンティが辞任したことを受け、後任としてトップチーム監督に就任すると[6][注 1]、就任後から最終節までの5試合で3勝2分と無敗の成績を残し、チームをJ1残留に導いた[7]。朝鮮学校卒業生として初めてJ1クラブの監督に就任した。
2019年は監督の座をルイス・カレーラスに譲り、再びトップチームコーチに就任した。5月4日の大分トリニータ戦でカレーラスに代わって指揮を執り[8]、5月7日に正式に監督に就任した[9]。 チームを見事に再建し、またも残留に導いた。
2020年8月12日、チーム内で新型コロナウイルスのクラスター感染が発生、自らも陽性判定を受け[10]、チームは2週間の活動休止を余儀なくされた[11]。活動再開後間もなく迎えた9月中の8連戦で、3勝2分3敗という成績を残したことが評価され、同月度の月間優秀監督賞を受賞した[12]。
2021年には限られた戦力を最大限に活かし、クラブを4年ぶりの一桁順位である7位まで導いたものの、同年12月20日、監督を退任した[13]。
同月30日、Jリーグは以前に複数の告発を受けて、金による選手・スタッフに対するハラスメントの調査を行った結果を報告し、金について「鳥栖U-18を指揮していた2016年から18年にかけて、同チームおよびトップチームの選手やスタッフに対し、暴力行為や暴言を繰り返していた。その結果、多数のチーム関係者が深刻な精神的ダメージを受けるなどの被害が生じた」とパワーハラスメント行為を認定。そのうえで金に対し「JFA指導者に関する規則」第20条第7号の「暴言・暴力及びハラスメント行為を行わない」行為に違反したとして、公式試合への出場資格停止8試合、又は8試合に相当する期間の経過(公式試合に参加する立場の役職に就いていない場合は、公式試合8試合に相当する期間(2022年2月19日から3月26日まで)の経過をもって公式試合8試合の出場の資格停止を消化したものとみなす)と譴責処分を決定した[14]。
2022年3月10日、日本サッカー協会(JFA)からの処分として、JFA 公認S級コーチからA級コーチジェネラルへの降級が発表された。パワーハラスメントによる暴行の回数や未成年へ被害が及んでいたことを勘案したもので、S級からA級への降格は制度初の処分。また、JFAの定める研修、社会奉仕活動を科すことを発表した[15]。
2022年11月14日、FC町田ゼルビアのヘッドコーチに就任した[1]。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | 初芝橋本高 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |||
1999 | 5 | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
2000 | 市原 | 30 | J1 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | 2 | 0 | |
甲府 | 27 | J2 | 5 | 0 | - | 0 | 0 | 5 | 0 | ||
2001 | 市原 | 25 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | 城南一和 | 37 | Kリーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 佐川大阪 | 15 | JFL | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 | ||
2004 | 6 | 1 | - | - | 6 | 1 | |||||
2005 | 25 | 1 | - | - | 25 | 1 | |||||
2006 | 20 | 1 | - | - | 20 | 1 | |||||
2006 | B神戸 | 29 | 関西1部 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2007 | 北陸 | 5 | JFL | 25 | 3 | - | 2 | 1 | 27 | 4 | |
2008 | 富山 | 4 | 14 | 2 | - | 1 | 0 | 15 | 2 | ||
2009 | J2 | 15 | 1 | - | 1 | 0 | 16 | 1 | |||
2010 | 17 | 0 | - | 0 | 0 | 17 | 0 | ||||
2011 | 鳥栖 | 5 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
通算 | 日本 | J1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | |
日本 | J2 | 37 | 1 | - | 2 | 0 | 39 | 1 | |||
日本 | JFL | 91 | 8 | - | 3 | 1 | 94 | 9 | |||
日本 | 地域 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
日本 | その他 | - | - | 3 | 0 | 3 | 0 | ||||
韓国 | Kリーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
総通算 | 128 | 9 | 2 | 0 | 9 | 1 | 139 | 10 |
年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ルヴァンカップ | 天皇杯 | |||
2018 | J1 | 鳥栖 | 14位 | 11 | 5 | 3 | 2 | 0 | - | - |
2019 | 15位 | 32 | 25 | 9 | 5 | 11 | 予選敗退 | ベスト8 | ||
2020 | 13位 | 36 | 34 | 7 | 15 | 12 | GS敗退 | - | ||
2021 | 7位 | 59 | 38 | 16 | 11 | 11 | GS敗退 | ベスト16 |