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名前 | ||||||
愛称 | ジョン | |||||
カタカナ | キム・ジョンヤ | |||||
ラテン文字 | KIM Jungya | |||||
ハングル | 김정야 | |||||
基本情報 | ||||||
生年月日 | 1988年5月17日(36歳) | |||||
出身地 | 兵庫県神戸市[1] | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) / MF (DH) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2004-2006 | 神戸科学技術高校 | |||||
2007-2010 | 駒澤大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2011-2017 | ガンバ大阪 | 70 | (4) | |||
2013 | → サガン鳥栖 (loan) | 8 | (0) | |||
2016-2017 | → ガンバ大阪U-23 | 2 | (0) | |||
2018-2020 | ベガルタ仙台 | 41 | (0) | |||
2021 | 藤枝MYFC | 9 | (1) | |||
通算 | 130 | (5) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
金 正也(キム・ジョンヤ、1988年5月17日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。
小学生の頃に地元神戸市の夢野SCでサッカーを始める。また、父親の影響で幼稚園~小学校までは神戸ポートアイランドジェッツJr.その後中学3年まで 高槻市のクラブでアイスホッケーもプレーしていた。高校は神戸科学技術高校に進学。
2007年に駒澤大学に進学。1年次から激しいプレーとヘディングの強さを生かしたセンターバック[2] として出場機会を得て活躍し、3年次には豊富な運動量でボランチ(アンカー)の位置でもプレーし[3][4]、関東大学選抜にも選ばれた。4年次には主将を務め、チームを総理大臣杯優勝に導いた。
2011年、J1リーグ・ガンバ大阪に入団[2]。駒澤大監督(当時)の秋田浩一は「今年はスーパーな選手はいない」と語っていたが[5]、2011年に同大学からは6人がプロ入りした(金以外にGK岡大生、DF酒井隆介、MF金久保彩、MF佐光塁、FW棗佑喜)。シーズン前、前年のレギュラーであった中澤聡太と高木和道の怪我により、ACLグループリーグ第1節 vsメルボルン・ビクトリー戦で公式戦初出場を果たし、Jリーグ開幕戦となったセレッソ大阪戦もスタメンフル出場した。
2013年、サガン鳥栖に期限付き移籍[6]。鳥栖での出場はカップ戦が中心でレギュラー獲得には至らなかった。
2014年、ガンバ大阪に復帰[7]。この年もリーグ戦の出場はわずかだったが、カップ戦では安定したプレーを発揮した。
2015年は他のセンターバックに怪我人が相次いだことで前年よりも出場機会が増えた。ACL準々決勝第2戦の全北戦は1点リードした後半終盤に守備固めとして投入され、直後に同点に追いつかれてしまったが、後半ロスタイムに米倉恒貴の決勝ゴールをアシストしベスト4進出に貢献した。
2016年3月19日、J1・1stステージ第4節のヴィッセル神戸戦で公式戦初得点を決めた。この年は、リーグ戦で3得点を記録した。
2019年8月3日に行われたジュビロ磐田戦でJ1通算100試合出場を達成した。
2020年をもってベガルタ仙台との契約が満了[8]。
2021年2月4日に藤枝MYFCに移籍[9]。2021年12月、藤枝を契約満了となった[10]。
2022年8月15日、開設したばかりのインスタグラムで引退を表明した[11]。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 駒大 | 6 | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||
2011 | G大阪 | 3 | J1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 |
2012 | 7 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 | |||
2013 | 鳥栖 | 13 | 8 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 13 | 0 | |
2014 | G大阪 | 6 | 4 | 0 | 4 | 0 | 5 | 0 | 13 | 0 | |
2015 | 13 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 19 | 0 | |||
2016 | 28 | 3 | 5 | 0 | 1 | 0 | 34 | 3 | |||
2017 | 15 | 1 | 2 | 0 | 3 | 0 | 20 | 1 | |||
2018 | 仙台 | 39 | 13 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 17 | 0 | |
2019 | 13 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 17 | 0 | |||
2020 | 15 | 0 | 1 | 0 | - | 16 | 0 | ||||
2021 | 藤枝 | 32 | J3 | 9 | 1 | - | - | 9 | 1 | ||
通算 | 日本 | J1 | 119 | 4 | 27 | 0 | 18 | 0 | 164 | 4 | |
日本 | J3 | 9 | 1 | - | 0 | 0 | 9 | 1 | |||
日本 | 他 | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
総通算 | 128 | 5 | 27 | 0 | 20 | 0 | 175 | 5 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | 期間通算 | ||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
2016 | G大23 | 6 | J3 | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
2017 | 1 | 0 | 1 | 0 | |||||||
通算 | 日本 | J3 | 2 | 0 | 2 | 0 | |||||
総通算 | 2 | 0 | 2 | 0 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2011 | G大阪 | 3 | 3 | 0 |
2012 | 0 | 0 | ||
2015 | 6 | 7 | 0 | |
2016 | 5 | 0 | ||
2017 | 2 | 0 | ||
通算 | AFC | 17 | 0 |
その他の国際公式戦