金武星 김무성 | |
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2015年 | |
生年月日 | 1951年9月20日(73歳) |
出生地 | 慶尚南道釜山市龍塘洞(現・釜山広域市南区龍塘洞) |
出身校 | 中東高等学校 漢陽大学校 |
所属政党 |
(統一民主党→) (民主自由党→) (新韓国党→) (ハンナラ党→) (セヌリ党→) (正しい政党→) 自由韓国党 |
サイン | |
公式サイト | 김무성 홈페이지 |
選挙区 |
(釜山広域市南区乙選挙区→) (釜山広域市影島区選挙区→) 釜山広域市中区・影島区選挙区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 |
1996年5月30日 - 2012年5月29日 2013年4月25日 - 2020年5月29日 |
その他の職歴 | |
セヌリ党代表最高委員 (2014年7月14日 - 2016年4月14日) |
金 武星(キム・ムソン、朝鮮語: 김무성、1951年9月20日 - )は、大韓民国の政治家。第15・16・17・18・19・20代韓国国会議員。
金泳三に師事して政界入りした。ハンナラ党(朴槿恵大統領の政権与党だったセヌリ党の前身)の院内代表や非常対策委員長などを務めた。2012年韓国大統領選挙では、セヌリ党の選挙対策委員会総括本部長を務め、朴槿恵の当選に貢献。2014年7月に行われたセヌリ党全党大会で第2代目の党代表に選出[1]されたが、2016年4月に行われた総選挙においてセヌリ党が第1党から転落する惨敗を喫した責任を取って代表を辞任した[2]。崔順実ゲート事件を理由とした朴槿恵大統領に対する弾劾訴追案では大統領と距離を置く「非朴派」の重鎮として弾劾訴追を主導[3]。同年12月に弾劾訴追案が可決された事をきっかけにセヌリ党を離党して新党・正しい政党の結成に参加した[4]。自由韓国党(セヌリ党が2017年2月に党名変更)が2017年11月3日に朴槿恵を除名した後の11月6日に正しい政党を離党し、自由韓国党に復党。議員引退後は国民の力常任顧問。2022年8月に民主平和統一諮問会議首席副議長内定者に選ばれるも、9月に固辞した[5]。
父親は実業家で元国会議員の金龍周、妻は明知大学校文化芸術大学院の教授で元国会議員の崔致煥の娘[6]、息子は映画俳優のコ・ユン[7]。また、龍文学園理事長の金文姫は姉、日本統治時代の銀行家の玄俊鎬の息子である実業家の玄永源はその夫、玄貞恩は姪である[6]。
釜山出身で選挙区も釜山であるが、浦項郷友会の行事に参加し、浦項人と自称したことがある。なお、長兄も初代浦項郷友会長を務めた[9]。
2009年10月5日、国会国防委員会の国政監査会場に発熱後に水蒸気がものすごく噴き上がるという欠陥のある戦闘食のパックを持ち込み、その場で開封した。その後は納品過程に不正または開発過程に瑕疵がある可能性を指摘した[10]。
2016年の第20代総選挙の前、セヌリ党代表であるにもかかわらず、一部の「親朴派」の同党候補者の公認推薦状に代表職印の押印を拒否したという特異な事件を起こした。メディアでは「玉璽闘争」「玉璽波動」などと呼ばれる[11][12][13]。
2016年にドナルド・トランプが米国大統領に当選した際、その14年前に家を「トランプタワー」に引っ越ししたことを取り上げて、「14年前にトランプが当選したことを予想した」と表現した[14]。
2020年の第21代総選挙の後、極右系のYouTuberたちを選挙の敗因の1つとして取り上げ、「腐った奴ら」と評した[15]。
党職 | ||
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先代 李完九 (非常対策委員長) |
セヌリ党代表最高委員 2014年7月-2016年4月 |
次代 元裕哲 (代行) |