きんちょう 金武町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 沖縄県 | ||||
郡 | 国頭郡 | ||||
市町村コード | 47314-6 | ||||
法人番号 | 5000020473146 | ||||
面積 |
37.93km2 | ||||
総人口 |
10,807人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 285人/km2 | ||||
隣接自治体 | うるま市、国頭郡恩納村、宜野座村 | ||||
町の木 | クバ | ||||
町の花 | サクラ | ||||
金武町役場 | |||||
町長 | 仲間一 | ||||
所在地 |
〒904-1292 沖縄県国頭郡金武町字金武1番地 北緯26度27分22秒 東経127度55分34秒 / 北緯26.45617度 東経127.926度座標: 北緯26度27分22秒 東経127度55分34秒 / 北緯26.45617度 東経127.926度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
金武町(きんちょう)は、沖縄県国頭郡にある町。沖縄本島中央部の東海岸に位置する[1]。
国頭郡最南端の自治体である。北側は恩納村と背接し、その境界にティーチュ岳(177m)、ブートゥ岳(214m)、ジャフン岳(250m)、恩納岳(363m)、屋嘉岳(202m)、石川岳(208m)が東西に連なる[1]。北東は宜野座村、南はうるま市に接する[1]。
金武湾に面し、対岸に勝連半島・平安座島・宮城島・伊計島を望む。面積の約60%を米軍用地(キャンプ・ハンセン)が占める。
いずれも町指定文化財である。[2]
2023年1月末日現在、人口11,467人(男5,739人・女5,728人)。世帯数5,638戸。[3]
65歳以上の人口比率は、本土復帰前の1970年には7.5%であったが[4]、2010年には23.1%に増加しており[5]、全国平均(25.1%)[6]とほぼ同様の高齢化傾向がみられる。
金武町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 金武町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 金武町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
金武町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
この節の加筆が望まれています。 |
金武 (標高8m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 26.1 (79) |
26.1 (79) |
28.5 (83.3) |
30.0 (86) |
31.7 (89.1) |
33.9 (93) |
34.3 (93.7) |
34.4 (93.9) |
33.8 (92.8) |
32.2 (90) |
30.2 (86.4) |
27.3 (81.1) |
34.4 (93.9) |
最低気温記録 °C (°F) | 6.9 (44.4) |
6.8 (44.2) |
6.7 (44.1) |
10.1 (50.2) |
13.9 (57) |
16.5 (61.7) |
20.9 (69.6) |
21.5 (70.7) |
18.4 (65.1) |
16.1 (61) |
11.0 (51.8) |
8.7 (47.7) |
6.7 (44.1) |
出典1:理科年表 | |||||||||||||
出典2:気象庁 (極値:1977年-2007年)[7][8] |
現在の金武町に該当する土地には貝塚時代から人間が暮らしていたことがわかっているが、「金武」の地名がいつごろ発生したのかは不明である。1501年に建てられた第二尚家の陵墓玉陵(たまうどぅん)の碑文に「きんのあんし(金武の按司)」という刻銘があることなどから、少なくとも15世紀末頃には支配者がいて金武間切があったものと推察される。1564年以降は第二尚氏王統5代尚元王の三男尚久を元祖とする金武御殿が当地を治めた。
間切時代の金武は、現在の金武町・恩納村・宜野座村・名護市の一部にまたがっており、間切番所は喜瀬武原(現在の金武町と恩納村にまたがる地域)に置かれていた。1673年に恩納・瀬良垣・安富祖・名嘉真の4集落が恩納間切として、久志・辺野古の2集落が久志間切として金武間切から分離した。これにより、古知屋・宜野座・惣慶・漢那・並里・金武・伊芸・屋嘉の8集落が金武間切の領域となった(古知屋・宜野座・惣慶・漢那は現在の宜野座村)。
議員定数16。
インターネットで議会のライブ中継および過去の議会(平成25年2月臨時会以降)の録画映像を配信している。[11]
町内に金武交番を置く。
金武地区消防本部管内
町内に高等学校はない。金武中学校を卒業した生徒の主な進学先は、沖縄県立宜野座高等学校、沖縄県立石川高等学校など。
金武町には金武・伊芸・屋嘉の3字に分かれている。これとは別に、金武区、並里区、中川区、伊芸区、屋嘉区の5行政区がある。
中川区・並里区・金武区の3行政区は、住所表記上は「字金武」に属し、したがって住所上ではいずれも「金武町字金武○○番地○○」となり、区別されない。
各行政区は、他市町村の町内会や自治会に相当する任意団体を組織しており、いずれも公民館等に「区事務所」を置いている。区民が選挙で選出する区長によって代表される。
町民は、自らの居住する行政区を基本単位として地域活動を行っており、子ども会・青年会・婦人会・老人会などの地域団体は行政区単位で組織される。
各区の下には、広報物の頒布などを目的として任意に分けられた単位である「班」がおかれる。班は「○○原(バル)」などの小字に必ずしも一致するものではない。「班長」は町や区などが発行する広報紙やチラシを班内の各世帯に配布する役割のほか、年1回行われる地域行事「腰(くし)ゆくい」が行われる地域ではその主催を担っている。
並里区と金武区の境界は住宅密集地にあり、また、両区の出身者が境界付近に移転することにより飛び地として認定されることもあるため、両区の境界は必ずしも明確でない。喜瀬武原(きせんばる)地区は金武町と恩納村にまたがるが、金武町部分は金武区に属する。
菊などの花卉類、さとうきび、マンゴーなどのフルーツのほか、豊富な水資源を活用して、田芋や米の栽培がさかんに行われている。紅茶・緑茶も生産されており、紅茶は株式会社沖縄ティーファクトリーにより「琉球紅茶」として販売されている。
町が出資する第3セクター・株式会社きのこセンター金武がぶなしめじの生産を行っている。
刺し網・一本釣り・はえ縄・定置網・海面養殖などの漁法により、マグロ類・ブダイ類・ハタ類・イカ類・タコ類・海藻類などが水揚げされる。金武漁港内にはモズクの種苗供給施設、同漁港近くには海ブドウの養殖場がある。
また、並里区の福花原地内にはウナギの養殖場もある。金武町産のウナギは蒲焼きとしてスーパーで販売されるほか、那覇市内の和食レストラン等で提供されている。
キャンプ・ハンセン第2ゲート(旧第1ゲート)の正面一帯は米兵向けの歓楽街「新開地」が栄えている。新開地の「パーラー千里」で生まれたタコライスは、沖縄を代表するB級グルメとして定着している。
豚肉に豚の血液を混ぜて炒めた料理「チーイリチャー」が地域行事や家庭の祝い事などで食される郷土料理として親しまれており、町内のいくつかの食堂などで提供されている。
近年は特産の田芋を利用したパイやチーズケーキなどの「田芋スイーツ」や、金武酒造の田芋焼酎など、加工品の生産も盛んに行われている。
金武町の総面積 (3,793ha) のうち、55.6% (2,109ha) が基地で占められ[12]、山側においても水域においても基地に囲まれた状態にある。町の北側の山林には、県内最大規模の実弾演習が行われる米海兵隊のキャンプ・ハンセンが広がる[13]。金武岬には、水陸両用車の訓練やヘリコプター着陸帯として使用される金武ブルー・ビーチ訓練場がある[14]。また、金武区(小字:浜田原)の海岸には金武レッド・ビーチ訓練場があり、乗船訓練等に使用されている[15]。メースbが配備されていた中川区(小字:源原)のギンバル訓練場は、1996年のSACO最終報告に基づき、2011年7月に返還されたが、それは同訓練場の機能を金武ブルー・ビーチ訓練場やキャンプ・ハンセンに移転することが条件の「条件付き返還」であった (参照 LZスワン問題)。またナイキが配備されていた恩納サイトは、航空自衛隊恩納分屯基地 (0.16㎢) に移管されており、金武町の軍事施設の占める割合は、59.4%となる。
現在ある金武町の米軍基地
施設番号 | 基地名 | 施設面積 | 内金武町 |
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FAC6011 | キャンプ・ハンセン | 48,723,000㎡ | 20,697,000㎡ |
FAC6019 | 金武レッド・ビーチ訓練場 | 14,000㎡ | 14,000㎡ |
FAC6020 | 金武ブルー・ビーチ訓練場 | 381,000㎡ | 381,000㎡ |
2020年時点での金武町における米軍基地面積 | 21,092,000㎡ |
既に返還された金武町の米軍基地
施設番号 | 米軍基地 | 返還状況 | |
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FAC6015 | 恩納サイト | 恩納ポイント陸軍補助施 | 空自恩納分屯基地に移管 |
FAC6016 | 屋嘉訓練場 | 屋嘉訓練場 | 1974年返還 |
FAC6017 | ギンバル訓練場 | ギンバル訓練場 | 2011年条件付き返還 |
嘉手納第3サイト | |||
FAC6018 | 屋嘉レスト・センター | 屋嘉レスト・センター | 1979年返還 |
杣山と分収金制度
キャンプ・ハンセンの大部分が1906年に各部落が政府から払い下げた杣山であり、その使用にかかる収入は「旧慣による金武町公有財産の管理等に関する条例」に基づき、各区の入会権者で構成する部落民会(並里財産管理会・金武入会権者会・伊芸財産保全会・屋嘉財産管理会)と町が「分収金」という名目で折半している。各部落民会に支払われた分収金は、各行政区の活動補助金に充てられるほか、所属する会員(入会権者)に配当される。会員資格は各部落民会の会則で定められているが、いずれもおおむね、杣山払下げ当時に当該地区に居住していた者と、現在も当該地区に居住するその子孫(世帯主)とされている。杣山の払い下げから40年後の1946年に並里区から分離して新設された中川区には、配当を受ける資格のある入会権者が存在しないとされ、部落民会がない[16]。分収金収入がない中川区とその他の行政区との財政格差を補うため、町は中川区に補助金を交付している[17][18]。また会は20歳以上の男性の正会員資格を認める一方、女性は50歳以上で、未婚または離婚した人は一代限りの準会員としたため、金武区では裁判に持ち込まれた[19][20]。
※BT=バスターミナル
系統 | 路線名 | 起点 | 終点 | 市町村 | 金武町内の主な経由地 |
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22 | 名護〜うるま線 | 名護BT | 中部病院 | うるま市 - 金武町 - 宜野座村 - 名護市 | 国道329号 屋嘉、伊芸、金武 |
77 | 名護東(辺野古)線 | 那覇BT | 名護BT | 那覇市 - 浦添市 - 宜野湾市 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市 - 金武町 - 宜野座村 - 名護市 | |
111 | 高速バス | 那覇空港 | 名護BT | 那覇市 - 南風原町 - 西原町 - 宜野湾市 - 中城村 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市 - 金武町 - 宜野座村 - 名護市 | 金武IC |
すべてが国道329号を経由する。町道を経由するのは旧64番のみ。
系統 | 路線名 | 起点 | 終点 | 廃止年 | 備考 |
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21 | 名護東線 | 具志川BT | 名護BT | 2008年 | 2003年に221番名護東おもろまち線が新設予定だった。 |
22 | 久志線 | 那覇BT | 久志BT | 1995年 | 久志バスターミナル廃止と同時に終点を安慶名駐車場まで短縮されたのに伴い、金武町の区間が廃止された。 |
26 | 名護こどもの国線 | 名護BT | 沖縄こどもの国 | 2006年 | 琉球バス交通へ譲渡に伴い廃止。21番に代替。 |
64 | 喜瀬武原線 | 具志川BT | 安富祖 | 1995年 | 運行開始時は石川BT-金武-中川入口-上祖入口-仲泊-嘉手苅-石川BTの循環路線だった。 |