金泉寺 | |
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本堂と左に護摩堂 | |
所在地 | 徳島県板野郡板野町大寺66 |
位置 | 北緯34度8分50.77秒 東経134度28分6.76秒 / 北緯34.1474361度 東経134.4685444度座標: 北緯34度8分50.77秒 東経134度28分6.76秒 / 北緯34.1474361度 東経134.4685444度 |
山号 | 亀光山 |
院号 | 釈迦院 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 伝・天平年間(729年 – 749年) |
開基 | 伝・行基、聖武天皇(勅願) |
中興年 | 延宝2年(1674年) |
中興 | 南山国師 |
正式名 | 亀光山 釈迦院 金泉寺 |
札所等 |
四国八十八箇所3番 阿波西国三十三観音霊場(東部)第23番 阿波北嶺薬師霊場9番 |
法人番号 | 9480005003826 |
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金泉寺(こんせんじ)は、徳島県板野郡板野町にある高野山真言宗の寺院。亀光山(きこうざん)釈迦院(しゃかいん)と号す。本尊は釈迦如来で、脇侍に薬師如来・阿弥陀如来を安置する。四国八十八箇所第三番札所、阿波西国三十三観音霊場(東部)第23番札所、阿波北嶺薬師霊場9番札所。
寺名が金(きん)の泉(いづみ)の寺ということで金運上昇の御利益があるとされる。なお、所在地である大寺の村名は、当寺に由来する。板野郡は、板東と板西に分かれていたが、その境は当寺の堂の扉板をもって境としていたとされる[1]。
寺伝によれば天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅願により行基が本尊を刻み、金光明寺と称したという。弘仁年間(810年 – 824年)に、空海(弘法大師)が訪れた際に、水不足解消のため井戸を掘り、黄金井の霊水が湧出したことから寺号を金泉寺としたという。
亀山法皇(天皇在位1259年 – 1274年)が法皇になって弘法大師の霊跡を巡拝の折、当地にもしばらく滞在し、その間に京都の三十三間堂を倣した堂を建立、千躯の千手観音を祀り、背後の山を亀山と名付け山号を亀光山と改めた。また、『源平盛衰記』には、元暦2年(1185年)に源義経が屋島に向かう途中本寺に立ち寄ったとの記載がある。[2]
1582年(天正10年)には長宗我部元親による兵火にて大師堂以外の大半の建物を焼失したが、建物はその後再建され現在に至る。境内からは奈良時代の瓦が出土しており、創建は寺伝のとおり奈良時代にさかのぼると推定される。[3]
朱塗りの山門を入り小さい橋(ごくらくばし)を渡ると左手に手水鉢がありその後に鐘楼・慈母観音がある。向かいに観音堂がありその前に修行大師像が立つ。正面に本堂が建ちその左に護摩堂が、手前右手に大師堂がある。大師堂の右奥に黄金の井戸と閻魔堂がある。手水鉢の場所から奥へ入ると納経所があり、その手前に弁慶の力石が置かれている。なお、熊蜂(クマバチ)が季節になると飛びまわるので要注意。
旧撫養街道を東より