金重浹 김중협 | |
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生年月日 | 1938年 |
出生地 | 日本統治下朝鮮咸鏡南道 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2010年3月8日 - 2019年3月10日 |
最高指導者 |
金正日(1994年 - 2011年) 金正恩(2011年 - ) |
在任期間 | 2016年5月6日 - |
朝鮮労働党文書整理室長 | |
在任期間 | 2016年5月6日 - |
労働新聞責任主筆 | |
在任期間 | 2007年2月 - 2010年1月 |
朝鮮労働党中央委員会委員候補 | |
在任期間 | 1992年12月10日 - 2010年9月28日 |
金重浹 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 김중협 |
漢字: | 金仲狹 |
発音: | キム・ジュンヒョプ |
金 重浹(キム・ジュンヒョプ、朝鮮語: 김중협、1938年 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の政治家。朝鮮労働党中央委員会委員、朝鮮労働党文書整理室長。労働新聞責任主筆、科学百科事典出版社社長兼責任主筆などを歴任した。
1938年に日本統治下の咸鏡南道で生まれた。1992年12月10日に開催された朝鮮労働党中央委員会第6期第20回総会で党中央委員会委員候補に選出された[1]。1994年7月8日に金日成主席が死去し国家葬儀委員会が組織されると、同委員会委員に選ばれた[1]。2003年9月に科学百科事典出版社社長兼責任主筆に就任し[1][2][3]、2007年2月に労働新聞責任主筆に任命されていたことが判った[1][2]。2008年5月6日には人民日報の招待により中国を訪問し、李長春中国共産党中央政治局常務委員と会談した[4]。
2009年3月9日に実施された最高人民会議第12期代議員選挙で代議員に選出されたが[1][5]、2010年1月に労働新聞責任主筆を解任され、同年9月28日に開催された朝鮮労働党第3回党代表者会で党中央委員会委員候補に選出されなかった。
2014年3月9日に実施された最高人民会議第13期代議員選挙で代議員に再選された[1][6]。2016年5月9日に開催された朝鮮労働党第7次大会で朝鮮労働党中央委員会委員に選出され[7]、党部長級である朝鮮労働党文書整理室長に任命された[8]。
朝鮮民主主義人民共和国
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