長岡裕也

 長岡裕也 六段
名前 長岡裕也
生年月日 (1985-08-18) 1985年8月18日(39歳)
プロ入り年月日 2005年4月1日(19歳)
棋士番号 256
出身地 東京都八王子市
所属 日本将棋連盟(関東→関西[1]
師匠 米長邦雄永世棋聖
段位 六段
棋士DB 長岡裕也
2014年3月25日現在
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長岡 裕也 (ながおか ゆうや、1985年8月18日 -) は、将棋棋士米長邦雄永世棋聖門下。棋士番号は256。東京都八王子市出身。

棋歴

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少年時代は、羽生善治も通っていた八王子将棋クラブにて腕を磨く。

第33回(2003年度前期)より三段リーグに参加。初参加の第33回リーグでは6勝12敗と大苦戦したが、第34回(2003年度後期)では10勝8敗、第35回(2004年度前期)では12勝6敗と、コンスタントに成績を向上させ、4期目の第36回(2004年度後期)三段リーグにおいて、14勝4敗の成績を修めた結果、広瀬章人に次ぐ2位での四段昇段(プロ入り)を決めた[注釈 1][2]

プロ入り後

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初参加となる第64期(2005年度)順位戦では勝ち星に恵まれず2勝8敗と大敗し降級点を喫したが、順位戦における降級点が付いた時点の年齢(20歳)は最年少記録[注釈 2]で、第83期(2024年度)順位戦が終了した現在でも更新されていない。また、B級2組以下の順位戦が1期あたり10戦に定着した第27期(1972年度)以降の、初参加期順位戦における最少勝数記録(熊坂学竹内雄悟横山友紀と並ぶタイ記録)でもある。

第16期(2008年度)銀河戦の本戦(ブロック戦)で4連勝[注釈 3]。ブロック内最多連勝者として進出した決勝トーナメントでは1回戦で佐藤康光棋王(当時)と対戦し敗退。

第22期(2009年度)竜王戦6組で決勝進出。決勝で稲葉陽に敗れ本戦進出を逃すが、準優勝により5組へ昇級。初の5組で迎えた翌第23期(2010年度)竜王戦では準決勝で神崎健二に、3位決定戦(昇級者決定戦の決勝)で田村康介に、それぞれ敗れたものの、4組欠員[注釈 4]補充のための5位決定戦(2010年11月2日)で小倉久史に勝ち、4組へ昇級。竜王戦の昇段規定(竜王戦ランキングの2期連続昇級)により同日付で五段昇段。なお、同日時点での通算成績は178局89勝89敗とちょうど5割だった。しかし、4組では苦戦が続き、第24期竜王戦では残留決定戦で1勝したのみ、第25期竜王戦では開幕から3連敗を喫して、5組に降級。

順位戦では初参加期(上述)に降級点を喫して以降、第67期で7勝3敗と健闘したことはあるもののC級1組昇級には至らず、降級点1個を抱えたまま迎えた第70期(2011年度)順位戦では4回戦から6連敗して3勝7敗と大敗し、2個目の降級点を喫した[注釈 5]。フリークラス降級の危機に瀕した状況で迎えた翌第71期(2012年度)がでも中終盤で負けが込み、3勝6敗で迎えた最終局10回戦で西尾明に敗れた場合は3個目の降級点に伴いフリークラス降級となる所だったが、同対局に勝って降級を回避。翌第72期(2013年度)ではコンスタントに白星を重ね5勝4敗で迎えた最終局10回戦で佐藤和俊に勝った場合は降級点を1個抹消できる所だったが、同対局に敗れてチャンスは次期に持ち越す形となった。翌第73期(2014年度)では3回戦から6回戦まで4連敗を喫した以外は勝ち続け、4勝4敗で迎えた9回戦で田中悠一から不戦勝を挙げた時点で降級点を1個抹消[注釈 6]できることが確定、当期は最終局10回戦も佐藤紳哉に勝利し、6勝4敗と6期ぶりに勝ち越した。

第21期(2013年度)銀河戦の本戦(ブロック戦)で8連勝[注釈 7]。それにより進出した決勝トーナメントでは1回戦で豊島将之と対戦し敗退。銀河戦におけるブロック戦での8連勝は、第10期(2002年度)に現行の8ブロック(各12人)制になって以降、第14期の北島忠雄及び第31期の伊藤匠と並ぶ最多タイ記録として2024年度現在も更新されていない。

上述の降級点初抹消以降も順位戦の成績は一進一退を続けつつC級2組に留まり続けたが、第77期(2018年度)順位戦で2勝8敗と著しい不振に陥り再度降級点を2個累積。以降、2期連続で4勝6敗と負け越したもののフリークラス降級は回避、第80期(2021年度)で6勝4敗と6期ぶりに勝ち越し、再度降級点を1個抹消[注釈 8]。しかし翌第81期(2022年度)は2勝8敗に終わり、三たび降級点を2個累積。翌第82期(2023年度)も4勝6敗と負け越し、翌第83期(2024年度)も3勝6敗で最終局第10回戦で宮嶋健太に勝った場合はC級2組に残留できたが同対局に敗れフリークラス降級が確定した。奇しくも同対局は長岡がプロ入りしてから600局目の公式戦で、同時点の通算成績は264勝336敗(勝率0.440)、順位戦には延べ20年在籍し通算85勝115敗(勝率0.425)だった。

竜王戦においても、上述の連続昇級以降、昇級の実績は無く、5組に在位して迎えた第31期(2018年度)ではランキング戦(近藤誠也戦)・昇級者決定戦(堀口一史座戦)・残留決定戦(安用寺孝功戦)をいずれも敗北し、翌第32期(2019年度)以降は6組に在位している。

棋風

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プロ入り当初は振り飛車党で、特に三間飛車四間飛車を好んで指していた。特に三間飛車については、「後手番での石田流を成立させる」というコンセプトに基づいた2手目△3二飛戦法を2007年12月11日の竜王戦6組で佐藤天彦を相手に公式戦で初めて採用し、後述の棋書を出した程である。しかし、奨励会時代は居飛車党で、プロ入りから一定年数が経過して以降、再び居飛車党に転向し、横歩取り角換わりなどの最新形を好んで指す。

序盤の戦術に精通しており、その知識には羽生善治も一目置いているとされる。その縁か、羽生から誘われる形で研究会を行っている[3]。著作多数(後述)。

人物・エピソード

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  • 奨励会在籍中は、タイトル戦の記録係を務めることが多く、丁寧な文字と正確な仕事ぶりから「名記録係」と評されたこともある[4]。しかしこれは四段昇段にもたついていたことを意味するため、「定着したくない」と発奮したのが飛躍のきっかけとなった[4]
  • こころ絵作家みどり(イラストレーター絵本作家)は、長岡の妹である[5]
  • 2012年5月18日の棋王戦予選4回戦(及川拓馬戦)では、1976年以降の棋界関係者用データベースに記録されている範囲内で史上最短手数となる116手で持将棋が成立した[6]。指し直し局は長岡が制した。
  • 序盤の知識を買われて、2013年3月1日の順位戦A級最終日のニコニコ生放送中継、2013年11月2日に行われた将棋電王トーナメント予選リーグ(ニコニコ生放送で中継)では、タブレット端末を片手に進行・実況解説を務めた。

昇段履歴

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昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 1997年00月00日 - 6級 = 奨励会入会
  • 2001年00月00日 - 初段
  • 2002年10月00日 - 三段(第33回奨励会三段リーグ<2003年度前期>より三段リーグ)
  • 2005年04月01日 - 四段(第36回奨励会三段リーグ成績2位) = プロ入り
  • 2010年11月02日 - 五段(竜王戦連続2回昇級)
  • 2020年12月10日 - 六段(勝数規定 /五段昇段後公式戦120勝)

主な成績

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在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[7]
(出典)竜王戦
出典[8]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
2005 64 C245x 19 6組 --
2006 65 C242* 20 6組 --
2007 66 C223* 21 6組 --
2008 67 C225* 22 6組 --
2009 68 C213* 23 5組 --
2010 69 C230* 24 4組 --
2011 70 C227*x 25 4組 --
2012 71 C238** 26 5組 --
2013 72 C233** 27 5組 --
2014 73 C226*+ 28 5組 --
2015 74 C216* 29 5組 --
2016 75 C210* 30 5組 --
2017 76 C222* 31 5組 --
2018 77 C237*x 32 6組 --
2019 78 C244** 33 6組 --
2020 79 C238** 34 6組 --
2021 80 C236*+ 6-4 35 6組 --
2022 81 C220*x 2-8 36 6組 --
2023 82 C247** 4-6 37 6組 -- 1-2
2024 83 C247** 3-7 38 6組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

出演

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ウェブテレビ

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  • 電王戦×TOYOTA「リアル車将棋」(2015年2月8日、ニコニコ生放送)[9] 早稲田大学自動車部チーム・サポート棋士

著書

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注釈

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  1. ^ 最後に怒涛の7連勝をしたことに加えて、7連勝中に2位争いのライバルである伊藤真吾が2敗したことで成績が追い付き、順位の差による逆転の昇段となった。
  2. ^ 過去には21歳が3名、第24期(1969年度)のC級2組で滝誠一郎、第47期(1988年度)のC級2組で中田功、第55期(1996年度)のC級1組で北浜健介がそれぞれ記録。ちなみにこの3名は後に昇級を果たした。
  3. ^ 瀬川晶司阪口悟塚田泰明阿久津主税に勝利し、平藤眞吾に敗北
  4. ^ 前年度限りで中原誠が引退したことによる影響
  5. ^ 26歳になる年度でC級2組において2つ目の降級点を喫したのは、熊坂学と並ぶ最年少記録である
  6. ^ 29歳になる年度でC級2組における2個目の降級点を抹消したのは、池田修一の30歳(第29期、1974年度)を上回る最年少記録である
  7. ^ 安西勝一阪口悟中村亮介菅井竜也日浦市郎村山慈明安用寺孝功戸辺誠に勝利し、藤井猛に敗北
  8. ^ C級2組で2個累積した降級点の抹消を2回記録したのは北村秀治郎(第24期で1回目・第26期で2回目)以来史上2例目。

脚注

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  1. ^ 読売新聞(2023年4月26日)・竜王戦観戦記から
  2. ^ 第36回奨励会三段リーグ戦
  3. ^ 羽生善治の研究パートナーが見た「知られざる研究方法」と「オヤジギャグ」 - 長岡 裕也(文春オンライン 2019年2月1日)
  4. ^ a b [第25回朝日オープン将棋選手権予選第7局]
  5. ^ こころ絵作家みどり と勝又清和(将棋棋士)のTwitterでのやりとり”. Twitter (2014年8月18日). 2017年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月7日閲覧。
  6. ^ 「激闘、死闘であります」めったに起きない将棋の引き分け「持将棋伝説」を追う - 相崎修司(文春オンライン 2020年9月7日)
  7. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  8. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。
  9. ^ トヨタ自動車株式会社 公式企業サイト”. global.toyota. 2020年3月21日閲覧。

関連項目

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参考文献

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