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この項目では、奈良県にある真言宗寺院について説明しています。長野県にある天台宗寺院については「長岳寺 (長野県阿智村)」をご覧ください。 |
長岳寺(ちょうがくじ)は、奈良県天理市にある高野山真言宗の寺院。山号は釜の口山(かまのくちさん)。本尊は阿弥陀如来。開山は空海(弘法大師)とされる。関西花の寺二十五霊場第19番札所。日本最古の歴史の道といわれる山の辺の道のほぼ中間点に位置している。釜口大師の名で親しまれている。
天長元年(824年)に淳和天皇の勅願により空海(弘法大師)が大和神社の神宮寺として創建したという。盛時には48もの塔頭が建ち並んでいたが、鎌倉時代には興福寺大乗院の末寺となっている。
応仁の乱や文亀3年(1502年)の兵火によって衰退するが、慶長7年(1602年)に徳川家康の支援によって復興された。
境内の面積は約40000m2と広く、八十八箇所石仏道が竜王山中腹の奥の院まで巡らされている。
旧地蔵院庭園、右奥に延命殿
- 本堂 - 天明3年(1783年)再建。阿弥陀三尊像と多聞天・増長天立像を安置している。
- 庭園 - 池を中心とした浄土式庭園。
- 大師堂(奈良県指定有形文化財) - 正保2年(1645年)建立。空海(弘法大師)像が安置されている。
- 拝堂 - 大師堂の前に位置する。
- 十三重石塔 - 鎌倉時代の石塔。
- 大石棺佛 - 高さ2m、石棺に彫られた石仏。
- 鐘堂
- 新四国八十八箇所石仏群
- 楼門(重要文化財) - かつては上層に梵鐘が吊られていたために鐘楼門と呼ばれる、日本最古の鐘門である。下層は室町時代 - 安土桃山時代、上層は平安時代の築。寺伝では空海による創建当初から現存する建物というが、上層部分も空海の時代まではさかのぼらず、平安時代末期頃の建築とされる。
- 旧地蔵院 - 旧塔頭。かつて48もあった塔頭のなかで唯一残った旧地蔵院の遺構である。
- 延命殿(重要文化財) - 旧地蔵院の本堂。
- 庫裏(重要文化財) - 寛永8年(1631年)築であるが、室町時代の書院造の様式を伝えている。
- 庭園 - 池泉鑑賞式庭園。
- 大門 - 寛永17年(1640年)再建。
- 五智堂(重要文化財) - 境内から数百メートル離れた位置に建つ鎌倉時代の建造物。「堂」といっても方一間、全面吹き放し(建具、壁等を設けない)の小規模な建造物である。中央の心柱の上部に四仏の種子を表し、心柱を大日如来に見立て、全体で五智如来を表す。その形状から「傘堂」、四方どちらの面も正面に見えることから真面堂(まめんどう)の別称がある。
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大門
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楼門(重要文化財)
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拝堂
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旧地蔵院(庫裏、重要文化財)
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五智堂(重要文化財)
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大石棺佛
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十三重塔
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古い石垣が残る
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放生池
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石仏と紫陽花
- 楼門
- 五智堂
- 旧地蔵院 2棟
- 木造阿弥陀如来両脇侍像 - 胎内銘から平安時代末期の仁平元年(1151年)の作と判明する。本三尊像の堂々とした量感や写実的な表現は、この当時流行した定朝様(じょうちょうよう)の繊細優美な仏像とは異なった作風を示し、次の鎌倉時代の作風のさきがけをなすといわれる。両脇侍を片足を踏み下げた半跏像とする形式は奈良時代にその例が見られ、奈良時代の古典復興の意図があったとも見られる。本三尊像は、玉眼(像の眼の部分に水晶を嵌め込む技法)を用いた像で制作年代の判明する最古例としても知られる。
- 木造増長天・多聞天立像 - 平安時代中期の作。元は大神神社の神宮寺である大御輪寺(現・大直禰子神社)の仏像だったが、明治時代の廃仏毀釈によって大御輪寺が廃絶したためここに移す。
- 大師堂
- 刺繍阿弥陀如来立像 - 奈良国立博物館寄託。
- 黒漆彩色華形大壇
- 紙本著色六道絵(極楽地獄図) - 約400年前の安土桃山時代に狩野山楽が描いた9幅構成の地獄図である。図柄の精緻さ、各場面の描写は素晴らしい。
- 弥勒大石棺仏 - 古墳の石材を利用した2m近い石仏で、境内には鎌倉時代から江戸時代にかけての石仏が数多くある。
- 庫裏で賄われる寺料理のそうめんが名物として知られる。
- 関西花の寺二十五霊場
- 18 白毫寺 - 19 長岳寺 - 20 石光寺
- 大和十三仏霊場
- 3 安倍文殊院 - 4 長岳寺 - 5 矢田寺
- 大和北部八十八ヶ所霊場
- 79 観音寺(おふさ観音) - 80 長岳寺 - 81 平等寺