阿寒郡(あかんぐん)は、北海道(釧路国)釧路総合振興局の郡。
人口2,436人、面積571.8km²、人口密度4.26人/km²。(2024年9月30日、住民基本台帳人口)
以下の1村を含む。
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に釧路市の一部(阿寒町各町)を加えた区域にあたる。
江戸時代の阿寒郡域は、松前藩によって開かれたクスリ場所に含まれた。
江戸時代後期、阿寒郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年阿寒郡域は天領とされた。文化5年から文化7年にかけて白糠在勤の幕吏・大塚忽太郎によって白糠郡庶路から阿寒郡内の下辛太や阿寒湖西岸を通り網尻郡を経て北見国網走郡新栗履(にくりばけ、今の網走市藻琴)に至る46里(180.7km)の網走越(国道240号の前身)が開削され、留萌など西蝦夷地の各場所に馬を配置する際などに利用された。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して阿寒郡が置かれた。