陳 建功(チン・ケンコウ、1893年9月8日 - 1971年4月11日)は、中国の数学者。杭州大学副学長、中国数学会副理事長などを務めた。日本への外国人留学生初の理学博士号取得者。
浙江省紹興市出身。杭州の両級師範学校を経て、1913年から日本に留学し[1]、1918年東京高等工業学校(のちの東京科学大学)色染科卒業[1][2]。並行して夜学に通い[1]、1919年東京物理学校(のちの東京理科大学)数学科卒業[3]。1923年東北帝国大学理学部数学科卒業[1]。
1924年国立武昌大学教授。1926年東北帝国大学大学院に進学[1]。外務省の対支文化事業の特選留学生に選定され[4]、1929年には外国人留学生として初めて理学博士(東北帝国大学)の学位を取得した[5][1]。
同年に帰国後、浙江大学教授を務め、高工及び大学の後輩である蘇歩青を教授に招聘し、多くの数学者を養成。陳蘇学派と称された。1947年プリンストン高等研究所研究員。1952年復旦大学教授。1958年杭州大学副学長。全国人民代表大会代表、中国数学会副理事長なども務めたが、文化大革命に巻き込まれ、1969年に解放されたが、1971年に死去した[1][6][1]。