雨竜郡(うりゅうぐん)は、北海道(石狩国)空知総合振興局・上川総合振興局管内の郡。
人口12,462人、面積1,496.06km²、人口密度8.33人/km²。(2024年9月30日、住民基本台帳人口)
以下の6町を含む。
空知管内
上川管内
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記6町に深川市の大部分(概ね石狩川以北)を加えた区域にあたる。
江戸時代の雨竜郡域は西蝦夷地に属し、石狩場所に含まれ松前藩領となっていた。江戸時代後期になると、国防上の理由から文化4年雨竜郡域は公儀御料(幕府直轄領)とされた。
文化5年には留萌支配人山田屋文右衛門によって留萌からニセバルマ(現増毛郡増毛町御料)、エタイベツを経て樺戸郡と雨竜郡の境界にあたるオシラリカに出る約25里(98.2km)の道が開削され、この道は雨竜越と呼ばれていた。
文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び公儀御料となり庄内藩が警固を行った。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して雨竜郡が置かれた。
場合によっては、深川市とともに道北エリアに属される場合もある。また、NTTの各電話帳のうち、タウンページは、雨竜町が滝川市や岩見沢市などと同じ「空知地方版」に掲載されている以外は、深川市とともに「旭川市・上川・北空知地方版」に掲載されている。ハローページ(企業名・個人名とも)は、雨竜町が「滝川地方版」、幌加内町が「士別地方版」に掲載されている以外は、「深川地方版」に掲載されている。また天気予報では、雨竜町が中空知エリアである他は、深川市とともに北空知エリアに属している。