駒川改心流 こまがわかいしんりゅう | |
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使用武器 | 日本刀、薙刀、鎖鎌 |
発生国 | 日本 |
発生年 | 戦国時代 |
創始者 | 駒川太郎左衛門尉国吉 |
源流 | 新陰流 |
主要技術 | 剣術、薙刀術、鎖鎌術 |
駒川改心流(こまがわかいしんりゅう)は、剣術表の中太刀の他、十手、小太刀、薙刀、両刀、三ツ道具、八重鎖鎌等を含む総合武術。
流祖は駒川改心(駒川太郎左衛門尉国吉)。長野業正に仕え上泉信綱より新陰流を得たとされる。第2代の桜田貞国(桜田次郎左衛門貞国)が二十年間諸国を武者修行し十手術、小太刀術、鎖鎌などを加え、流名を駒川改心流と称した。[1]のち貞国の末孫は竜王新村の郷士となり藤井三右衛門と称し、代々当流を指南した。この流儀が三右衛門の養子となった藤井右門の弟子、小島平吉が富山藩に至り、藩士加藤信吉に印可し同藩に伝えられた。[2]
一般には剣術流派として知られるが、江戸時代、富山藩の藩校・廣徳館では剣術流派としてではなく、柔術流派のひとつとして指導されていた。[3][注 1]
当流では、明和事件で磔刑にされた藤井右門が駒川改心流の小太刀術を修めていたため駒川改心流が各藩から疎まれ、流派名を新陰流としたこともあったと口伝されている。[4]
現在も幾人か継承者がおり、埼玉県では黒田鉄山が指導している。
元祖国吉は、母親が我が子を愛撫しながら、子の口から流れる涎れをすくう有様を見て閃きを感受し、刻苦精励悟得した技を「涎賺(ヨダレスカシ)」と称し、改心流とした。[5] 始祖貞国は、さらに十手術、小太刀術、鎖鎌術、三ツ道具、しころ、薙刀術等の術を加え、特に短い武器で剣の勝負に利ある秘法を悟得し、流名を駒川改心流と称した。[6]
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