駒形丸事件(こまがたまるじけん)とは、日本船籍の「こまがた丸」(駒形丸)に当時イギリス帝国統治下のインド臣民360人が乗ってカナダへ移民を企てて、1914年にヴァンクーヴァーに到着したが、24人だけは上陸が許されたが、他は追い返されてインドに戻った事件[1]。北アメリカでのアジア人移民排斥の代表的例として歴史に残った。
シーク教徒のビジネスマンであるグルディット・シング (Gurdit Singh)が「英帝国の臣民は帝国内を自由に移動できなければならない。」という原則に反する規則に挑戦するために、私財を投じて日本船籍の汽船「こまがた丸」をチャーターしたもので、1914年4月初旬に165名の乗客で香港を出発して、途中上海、横浜によって乗客を増やして航海し、結局インド人の乗客はシーク教徒が340人、イスラム教徒が24人、ヒンドゥー教徒が12人に上った。こまがた丸は同年5月末にヴァンクーヴァーに到着したが、ごく少数を除いては上陸が認められず、いくつかの悶着の末に、大多数を載せた船は7月末にアジアへ向けて出発して、9月末に西ベンガル州カルカッタへ到着して、バッジ・バッジで投錨している。
最近になって、2012年にヴァンクーヴァー会議場西ウィング(Vancouver Convention Centre's West Wing)前に駒形丸事件の記念碑が開幕した。
2014年にはカナダ郵便公社が駒形丸事件の記念切手を発行している[2]。
2016年5月、カナダ政府はその違法性を認めて、下院議会で謝罪した[3]。