高橋郁郎 | |
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生誕 |
1892年??月??日 静岡県賀茂郡岩科村雲見 |
死没 | 1981年 |
国籍 | 大日本帝国 |
研究分野 | 農学 |
研究機関 | 静岡県柑橘試験場(初代場長) |
出身校 | 静岡県立農学校 |
命名者名略表記 (植物学) | Ik.Takah. |
プロジェクト:人物伝 |
高橋郁郎(たかはし いくろう、1892年 - 1981年)は、日本の柑橘類の栽培における功績者。特に静岡県での「柑橘の父」といわれる。
静岡県立農学校を卒業後、国が開設した農商務省の農事試験場園芸部の見習生制度で技術を習得、のちにその後身である園芸試験場で技師として任務。静岡県柑橘試験場初代場長(1940年)。代表著作『柑橘』。「果実日本」誌の主筆・編集長。
サンボウカンの学名(Citrus sulcata hort. ex Ik. Takah.[1](またはhort. ex I. Takah.[2])は、高橋郁郎の命名による。
柑橘類の栽培において土壌改良(肥料の影響)、病虫防除や消毒法、剪定など数々の技術法を実践、検証。分野の執筆は膨大で、講演やにおいてもそれを広める活動に従事した[3][4]。アメリカのオレンジ産業事情や海外技術の紹介もおこなっている。栽培技術のみにとどまらず、国際価格や競争[5][6]、ミカン缶詰やジュースの将来性、などの経営論・経済論にも筆や弁をふるい、出荷組合の必要を提唱し[7]、さらには課税制度など行政のありかたにもふれている[8]。
戦時中は、芋・麦の増産のためミカン園を伐採せよとの国策に抵抗。戦後は全国のミカン園の復興に尽力した。
長男、高橋裕は工学者・東京大学名誉教授。長女、高橋百合子は愛知県立看護短期大学教授[3][4]。