高駢(コウベン、コウヘン、字は千里、821 - 887年9月[1])は幽州出身。元和初の功臣南平郡[2]王に封じられた高崇文(中国語版) [3]の孫で、代々禁衛に仕えた家柄の出で、若い時から文芸に秀で儒者たちと交遊し理・道を語りあった。 憲宗皇帝時代の名將として知られる。
また晩唐の詩人として『山亭夏日』などの作品で知られる[4]。
高駢の伝記を含む文献は、正史『旧唐書(945年成立)[5]』『新唐書(1060年成立)[6]』、『旧五代史』(974年成立)、『資治通鑑』(1084年完成)、『唐詩紀事』などがある[7]。