鹿島槍ヶ岳 | |
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大町市から望む鹿島槍ヶ岳 双耳峰(左:南峰、右:北峰) | |
標高 | 2,889.08[1] m |
所在地 |
日本 富山県黒部市・立山町 長野県大町市 |
位置 | 北緯36度37分28秒 東経137度44分49秒 / 北緯36.62444度 東経137.74694度座標: 北緯36度37分28秒 東経137度44分49秒 / 北緯36.62444度 東経137.74694度[2] |
山系 | 飛騨山脈(後立山連峰) |
種類 | 褶曲・隆起 |
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プロジェクト 山 |
鹿島槍ヶ岳(かしまやりがたけ)は、富山県黒部市、中新川郡立山町および長野県大町市にまたがる後立山連峰(飛騨山脈)の標高2,889 mの山[注釈 1][3]。中部山岳国立公園内にある[注釈 2][4]。後立山連峰の盟主とされる[5][6]。
山頂は南峰(標高2,889 m)と北峰(標高2,842 m)からなる双耳峰で、吊尾根と呼ばれるなだらかな稜線で繋がっている[3][7]。山頂部は森林限界を越える高山帯で、1922年(大正11年)10月12日に多くの高山植物が自生する白馬岳や五竜岳を含む周辺の西面は「白馬連山高山植物帯」の特別天然記念物に指定された[8][9]。剱岳・立山・唐松岳と並び、日本では数少ない氷河の現存する山である[10][11]。
日本百名山[7]、花の百名山[12]、新・花の百名山[13]の一つに選定されている。旧北安曇郡にあった旧美麻村[14]を代表する山として鹿島槍ヶ岳の眺望が『信州ふるさと120山』の一つに選定されている[15]。
古い異名では、越中の奥山廻り御用がこの山を後立山(ごりゅうざん)と呼び[7]、江戸時代後期の国境見回りの記録絵図には祖母谷を経由する登路を記している。
鹿島は平家の落武者が住んだと伝えられている麓の集落の地名である[3][7]。その鹿島は周辺の地域を襲った大地震や水害を避けるため鹿島明神を勧請したことに由来している[3]。
大正初期に陸地測量部が、この鹿島集落にある尖った山頂の山を飛騨山脈南部の槍ヶ岳に対して「鹿島槍ヶ岳」と呼ぶようになった伝えられている[3][16]。信州側では、双耳峰であることに由来する「背比べ岳」や、大冷沢の源頭部に現れるツルとシシの雪形の模様に由来した「鶴ヶ岳(ツル岳)」と「シシ岳」と呼ばれていた[3][5][6][7][16]。北東斜面の谷部の「カクネ里」は平家の落武者の隠れ里が転訛したものと伝えられている[5][6][16]。
フォッサマグナに西縁に位置し、隆起により山脈が形成された[16]。山頂部はアダメロ斑岩からなり、大部分の山体は角閃石黒雲母花崗岩からなる[3]。東面は日本海の北西から季節風により大量の積雪があり、氷期の氷河により氷食作用で急峻な斜面が形成された[3]。西面は東面と比較するとならだかで非対称山稜となっている[16]。北峰から延びる天狗尾根の北側の鹿島川の支流である大川沢源流部のカクネ里には万年雪が見られる[3][25]。カクネ里に氷河が現存するのか立山カルデラ砂防博物館の研究員により調査が行われ、2018年1月にカクネ里雪渓が国内4例目の氷河であることが確定した[10]。
山の上部は森林限界のハイマツ帯で、オヤマノエンドウ、シナノキンバイ、タカネツメクサ、タカネマツムシソウ、タカネミミナグサ(学名:Cerastium rubescens Mattf. var. koreanum (Nakai) E.Miki f. takedae (H.Hara) S.Akiyama)、チングルマ、トウヤクリンドウ、ハクサンフウロなどの多くの高山植物が自生し[12][13]、ライチョウやホシガラスなどが生息している。周辺は豪雪地帯であり、東側にはいくつかのスキー場がある。
飛騨山脈(北アルプス)の北部に位置し、後立山連峰中央部の主稜線の富山県と長野県の県境上にある[16]。山頂(南峰)の約0.5 km東北東に北峰がある[26]。北峰から南東に東尾根が延び、その途中から北東に天狗尾根が分岐する[26]。天狗尾根の北側には「カクネ里」と呼ばれカール地形のU字形の谷部があり[16]、遅くまで雪渓が残る。南峰からは南東に鎌尾根が分岐し、西側の牛首山方面に尾根が延びる[26]。南側の連なる稜線の布引山の南面には線状凹地(荒沢奥壁)があり、小さな池塘の池の「冷池」がある[5]。
後立山連峰の西側には黒部川を挟んで剱岳と立山などの立山連峰が対峙し、両者は南側へ稜線が延び三俣蓮華岳で合流する。
山容 | 山名 | 標高 (m)[1][2] |
三角点等級 基準点名[1] |
鹿島槍ヶ岳からの 方角と距離(km) |
備考 |
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五竜岳 | 2,814 | 北 3.8 | 日本百名山 | ||
鹿島槍ヶ岳 | 2,889.08 | 二等 「鹿島入」 |
0 | 日本百名山 氷河が現存 | |
布引山 | 2,683 | 南南西 1.0 | [注釈 4][6] | ||
牛首山 | 2,553 | 西 1.7 | |||
爺ヶ岳 | 2,669.82 | 二等 「祖父岳」 |
南 4.0 | 種池山荘・冷池山荘 日本三百名山 | |
剱岳 | 2,999 | (2,997.07 m) (三等「剱岳」) |
西 11.6 | 日本百名山 | |
立山 | 3,015 | (雄山2,991.59 m) (一等「立山」) |
南西 12.6 | 富山県の最高峰 日本百名山 |
深田久弥は1965年(昭和39年)に第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞した『日本百名山』の著書で、鹿島槍ヶ岳の山容を
北槍と南槍の両峰がキッとせり上がっていて、その二つをつなぐ、やや傾いた吊尾根、その品のいい美しさは見倦きることがない。 — 深田久弥『日本百名山』
遮るものがない山頂(南峰の本峰)からは、西に黒部川を挟んで対峙する立山連峰、北には後立山連峰、東には頸城山塊、浅間山、八ヶ岳、富士山、南アルプスなどの山並み、南に飛騨山脈南部の山並みを望むことができる。
近代登山の対象になったのは明治の終わりで、大正末期から昭和初期にかけて大学の山岳部により登攀ルートが開拓された[3][16][5]。信州側の岩壁と沢筋などの登攀ルートは、吉田二郎により『鹿島槍研究』にまとめられた[7][28]。赤岩尾根の登山ルートの麓の鹿島集落の民宿には近代登山以降の登山者の登頂記録帳が保存されている[3][5]。
扇沢からの柏原新道を利用して1泊2日で往復するか、後立山連峰縦走時に登頂されることが多い。積雪期には赤岩尾根や遠見尾根からのルートが利用されることがある[29]。
五竜岳と鹿島槍ヶ岳の間の八峰キレットは後立山連峰の登山道(一般ルート)で最も難所とされていて[16]、鎖や梯子のかけられている岩場であり通過には十分注意が必要である[30][22]。大キレット(南岳と北穂高岳との間)と不帰キレット(鑓ヶ岳と唐松岳の間)とともに「日本三大キレット」とされている。山頂から西に延びる牛首尾根には登山道はなく、松本清張の小説『遭難』で遭難ルートのモチーフとされた[30]。
稜線の鞍部などの登山道には、山小屋とキャンプ指定地がある[27][31]。登山シーズン中の一部期間に有人の営業を行っている。最寄りの山小屋はキレット小屋と冷池山荘で、柏原新道の登山口周辺(扇沢駅周辺)には一般の宿泊施設がある。積雪量の多い地域であり、営業期間外には閉鎖される[32]。
名称 | 所在地 | 標高 (m) |
鹿島槍ヶ岳からの 方角と距離 (km) |
収容 人数 |
キャンプ 指定地 |
備考 |
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五竜山荘 |
白岳の南側の主稜線鞍部 | 2,490 | 北北東 4.5 | 300 | テント30張 | 1951年開業 |
キレット小屋 |
八峰キレット | 2,470 | 北北東 1.1 | 100 | なし | 1932年建造[注釈 5][33] |
冷池山荘 |
布引山と爺ヶ岳との鞍部 | 2,410 | 南 2.4 | 250 | テント40張 [注釈 6] |
1929年開業 夏山診療所 |
種池山荘 |
岩小屋沢岳と爺ヶ岳との鞍部 | 2,450 | 南南西 4.2 | 200 | テント20張 [注釈 7] |
1919年建造 |
立山黒部アルペンルートの関電トンネルトロリーバス扇沢駅の北北東7.6 kmに位置する。南東山麓(爺ヶ岳の東山麓)の鹿島川右岸に長野県道325号白馬岳大町線が通る。西山腹を黒部トンネルが貫通している。