黒田 剛(くろだ ごう、1970年5月26日 - )は、北海道札幌市出身の元アマチュアサッカー選手・現FC町田ゼルビア監督[1]。
1994年から28年間、青森山田高校を指揮し、2023年にFC町田ゼルビアの監督に就任、自身初のプロチームの指揮を執ることとなった。
登別大谷高等学校(現:北海道大谷室蘭高等学校)と大阪体育大学で選手としてプレーしたのち、一時ホテルマンとして勤務[2]。1993年から星野リゾートのコーチ[3]、北海道恵庭北高等学校と室蘭大谷高等学校の引率教員を経て、1994年に青森山田高等学校の監督に就任。数多くのサッカー選手を指導するとともに同校を全国高校サッカー選手権の強豪校に育て上げ、2005年度に監督として第40回高校総体で優勝。2016年度に監督として高円宮杯U-18サッカーリーグと第95回全国高校選手権でそれぞれ優勝するなど、同校を屈指の強豪クラブへと導いた。2006年に日本協会公認S級コーチライセンスを取得[3]。
2022年10月24日に青森山田の監督を退任し[4]、2023年シーズンより当時J2だったFC町田ゼルビアのトップチーム監督に就任することが発表された[1]。2023年5月度、J2の月間優秀監督賞を受賞[5]。10月22日のロアッソ熊本戦に勝利したことで2位以内を確定させ、就任初年度でチームをJ1昇格に導いた[6]。さらに10月28日にはJ2初優勝が決まった[7]。第10節以降首位を一度も譲らず、連敗は1度も無かった[8]。
2024年、クラブ史上初のJ1の舞台となった。J1での実績がほとんどない選手も多数いたが、J2を圧勝した戦術でまとまりは揺るがず、大方の予想通りの快進撃で首位に立った。2・3月のJ1最優秀監督賞を受賞した[9]。全公式戦通算で1度も連敗することなく、単独首位でリーグ前半を折り返した。シーズン後半戦も優勝争いの最前線を走っていたものの、徐々に勝ちから遠ざかり、天王山となった第32節のサンフレッチェ広島戦で負け、第33節も負けたことで公式戦初連敗、チームにとっては3年振り、自身にとってはプロ監督就任後初の公式戦連敗となった[10]。最終節まで優勝の可能性は残したが、3位で終えた。無失点試合17試合はJ1最多、年間失点数34はJ1最小だった[11]。
- 勝利と意思統一を徹底的に求め、勝利から逆算した現実的なサッカーを展開する[12]。また球際で競り合う事を徹底的に求める[8]。ゲーゲンプレスをベースに、攻撃ではロングボールとショートカウンターで縦に速く、守備ではボールを奪われれば即プレッシャーをかけるシンプルな戦術が特徴的[13]。ロングスローを明確な武器としており、多用する[14][15]。このロングスローについては辞めるべきなどといったSNS上の意見がネットメディアで取り上げられるが、他のチームも行っているうえに、ルール違反などでは無い。過去にはプレミアリーグでトニー・ピューリスがロリー・デラップの強肩に注目してロングスローを中心に据えた。元プロサッカー選手の内田篤人や中村憲剛は、「ロングスローは落下地点を読むのが難しい」「セカンドボールを拾える態勢を意図的に作っている。」「真似してやろうとしてもできない。別にファウルでも何でもないし。サッカーのひとつですから」「本当にそう。正しく使っているだけ」と述べた。またこれまでJ1でロングスローを明確な武器とするチームが無かっただけに対戦相手のロングスロー対策を期待した[16]。
- マネジメント力に長けており、黒田は「理想がある事は理解しますが、ミーティングでバルセロナやアーセナルを引き合いに出しても選手もピンとこない。現実を見る勇気や覚悟を持って、そこから目を背けることなく、細部にわたり精査していくことが重要だと思っています」と話し[17]、太田宏介は2023年に「9月になかなか勝てない試合が続いたとき(2位以下との)勝ち点差にまだ余裕があったのにもかかわらず『次の試合を落としたらもうJ1昇格はないぞ』とか強いネガティブワードを僕たちに投げ掛けてきた。みんな自信を失くしてしまわないかなとちょっと心配したけど、結局勝って結果を出すわけだから凄い。選手たちを奮い立たせる言葉を持っているのが黒田監督だなってあらためて感じた。」と話した[8]。昌子源は「黒田監督をはじめコーチの金明輝さん含めてテクニカルスタッフ全員が練習から勝負にこだわっているし、選手にこだわらせている。このクラブに携わっているすべての人がそうだなっていう印象。勝ちを求めてチームを率いて結果を出してきた監督ですし、負けることへのアレルギーが強烈だ」と話した[8]。
- 試合に向けての準備については、例えば週1度の試合が日曜開催の場合、翌月曜日が軽めのダウンで、火曜日がオフ。水曜日が次の試合に向けてのスタートとなる。その練習前、朝9時から黒田が20分程度話すことが恒例となっている。黒田は担当スタッフ2人とともにミーティングで見せる“反省ビデオ”の作成に携わる。さらに試合前の資料も自らパワーポイントで用意しているという。「週最初のミーティングでは前の試合の映像を見ながら、反省をとことんやります。ダウンと休みの1.5日分を使って、試合で反省すべき7、8シーンをピックアップしたビデオを作り、それを見せてレクチャーします。」「言うべきことは事前に箇条書きにしてまとめています。パワーポイントの資料を作るため、自宅のテーブルの上にはいつもパソコンが置きっ放し。ただ、パソコンと向き合ったからといって言葉は突然出てくるわけでもないですし、何かのタイミングで閃けばその都度メモしています。電車に乗れば常にチラシや広告に目をやりますし、どこかに人に響く言葉やキャッチフレーズがないかを探すのはもはや習慣として染みついていますね」と話した[18]。
- 2023年、町田ゼルビアの監督に就任した際には『プロでは無理』という批判を受けたが「そう思っている方がいるのは理解しています。プロで長く監督をやられてきた方にしたらプライドもあるでしょうし、プロ1年目の私に負けられないという思いもあるでしょう。ただ、町田も覚悟を持ってオファーをしてくれたわけで、やるからには絶対的な爪痕を残したい。」「高校サッカー界にも将来プロの指導者を目指している人がいるなか、私が成功例となることで後輩への道を作ることができるかもしれません。」と話し、公約通り大方の前評判を覆し圧倒的な強さでJ2優勝、J1初昇格という新たな歴史を作った[18]。
- 2024年に町田ゼルビアと初対決したマリウス・ホイブラーテンは「フィジカルが強く、ロングボールを多用し、セットプレーが脅威。町田のスタイルはわかっていたけど、やられてしまった。悔しいよ。初めて対戦して感じたのは、町田の選手は全員がチームのために最後まで走り抜き、戦い抜くこと。それは実に見事だった」と表現した[19]。
- 勝ちに厳しくこだわるが、その大衆イメージとは裏腹に、町田ゼルビアの原靖フットボールダイレクターは黒田について「風通しが良くて、オープンマインド。押さえつけるとか話しづらいとかが全くない。黒田監督やコーチ陣がうまく雰囲気作りをしてくれているから新しく来た選手も馴染みやすい。それとクラブ自体がそういう文化でやっている」と話した[20]。
- 大阪体育大学
- 青森山田高等学校
- FC町田ゼルビア
- J1リーグ月間優秀監督賞:1回(2024年2・3月)
- J2リーグ月間優秀監督賞:2回(2023年2・3月, 2023年5月)
- J2リーグ優勝監督賞 : 1回(2023年)
- 2010年 青森県特別優秀指導者賞
- 2014年 文部科学大臣優秀教職員表彰
- 2016年 青森県スポーツ指導者特別栄誉賞
- 2017年 青森市スポーツ指導者賞
タイトル・受賞歴 |
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1990年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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J1 - J2 - J3 |
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1995年-2016年は「最優秀監督賞」、1993年-94年,2017年-は「優秀監督賞」 | 最優秀/優秀監督賞 |
1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 |
- 20: 宮本恒靖, 小林伸二, 三浦文丈
- 21: リカルド・ロドリゲス, 曺貴裁, 秋田豊
- 22: ミヒャエル・スキッベ, 大木武, 須藤大輔
- 23: 長谷部茂利, 横内昭展, フリアン
- 24: ミヒャエル・スキッベ, 四方田修平, 寺田周平
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優勝監督賞 |
1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 |
- 20: 鬼木達, リカルド・ロドリゲス, 吉田謙
- 21: 鬼木達, 鈴木政一, 大木武
- 22: ケヴィン・マスカット, 松橋力蔵, 村主博正
- 23: 吉田孝行, 黒田剛, 石丸清隆
- 24: 吉田孝行, 秋葉忠宏, 長澤徹
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