白洲正子(日语:しらす まさこ、1910年1月7日—1998年12月26日)是日本的隨筆家。因東奔西走之姿,而有「韋馱天阿正」的外號。二度獲得讀賣文學賞。
- 1910年(明治43年)1月7日 - 作為父樺山愛輔和母・常子的次女生於東京府東京市麴町區(現:東京都千代田區)。祖父是樺山資紀(海軍大將、伯爵),外祖父是川村純義(海軍大將、伯爵)。
- 1914年(大正3年) - 開始學習能樂。
- 1924年(大正13年) - 首位女性登上能樂堂舞台。於學習院女子部初等科肄業,後赴美留學。
- 1928年(昭和3年) - 畢業。聖心語學校(現・聖心國際學校)中退。
- 1929年(昭和4年) - 和白洲次郎結婚。
- 1942年(昭和17年) - 購入東京府南多摩郡鶴川村能谷(現・東京都町田市能谷)的古農家。此時師從細川護立習古美術。
- 1943年(昭和18年) - 移居鶴川村。
- 1947年(昭和22年) - 盟總時期的日本政府根據日本國憲法,華族等貴族制度被廢除,華族令也隨之被廢止。。
- 1964年(昭和39年) - 以隨筆『能面』獲得第15回讀賣文學賞。
- 1973年(昭和47年) - 以隨筆『隱里』獲得第24回讀賣文學賞。
- 1997年(平成9年) - 町田市榮譽市民[1]。
- 1998年(平成10年) - 因肺炎過世[2]。
- 『白洲正子著作集』 (全7巻) 青土社 1984-85
- 『白洲正子全集』 (全14巻別巻1) 新潮社 2001-02
- ^ 名誉市民/町田市ホームページ. 町田市. [2018-10-23]. (原始内容存档于2021-01-17).
- ^ 国文学研究資料館. 国文学年鑑 平成10年. 至文堂. 2000年: 514.