別名 | FUJITSU MICRO 8、MB25020 |
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開発元 | 富士通 |
種別 | パーソナルコンピュータ |
発売日 | 1981年5月20日[1][2] |
標準価格 | 218,000円 |
OS | F-BASIC、OS-9、FLEX、UCSD Pascal、CP/M |
CPU | メイン 68A09 1.2MHz、サブ 6809 1MHz |
メモリ | RAM メイン64KB(32KBはF-BASIC Ver.1.0 ROMとスイッチで切替)、サブ5KB、VRAM 48KB、ROM F-BASIC Ver.1.0 32KB、ブートローダ 2KB、サブシステムモニタ 8KB、キャラクタ 2KB |
グラフィック | 640×200ドット 8色 カラー1プレーン |
サイズ | 490(W)×332(D)×110(H)mm |
重量 | 6.1kg |
次世代ハード | FM-7、FM-11 |
関連商品 | BUBCOM80 |
FM-8(エフ・エム・エイト)は、1981年に富士通が初めて発売した8ビットパソコンである。正式名はFUJITSU MICRO 8[1]。
モトローラ社のCPU MC6809をメインCPUとグラフィックを独立制御するディスプレイサブシステムへそれぞれ搭載する2CPUのアーキテクチャを採用。メインCPUとサブシステムは、ホストCPUとグラフィック端末の関係にあたり、サブプロセッサが、グラフィックス処理など、当時のハードウェアにとって大きな処理を肩代わりすることで、メインCPUの処理を軽減し、全体としてのパフォーマンス向上を目指した。このアーキテクチャは後のFM-7シリーズ、FM-11シリーズ、FM-16βシリーズまで引き継がれてゆく。
富士通の発表[1]によれば世界で初めてパソコンに当時の大型機並みの64KビットDRAMを採用し[* 1]、640×200ドット8色の表示機能、アナログ入力やRS-232Cの標準装備など当時としては画期的な機能を搭載し、218,000円という戦略的価格で発売した。オプションには漢字ROMやフロッピーディスクドライブ(5インチ、8インチ)、バブルカセット(32KB、128KB)などの補助記憶装置のほか、GP-IB(IEEE 488)ボード、I/O制御ボードなど計測機器との接続や外部機器制御を目的とした拡張ボードや、FM-8を大型コンピュータのオンライン端末やオフラインのデータ入力端末として利用するソフトも提供され、パーソナルユースに加え富士通の得意とするビジネスユースを強く意識した商品でもあった。またZ80カードを搭載することでCP/Mの動作も可能で、海外製の各種言語や開発ソフト、データベースを提供した事もコンピュータソフト開発関係者の需要を見込んだものである。後に8088カードと128KBの増設メモリーも発売された。Z80カードコネクタにはメインCPUのバスが接続されており、ここに接続するPSG音源カードがサードパーティから発表されている[* 2]。
内蔵する電源からの発熱が大きく、筐体の電源上部にあたる部分にスリットが設けられた事から、発表資料と製品カタログでは外観が異なる。また、製品が潤沢に供給されるようになったのは1981年末頃からであった。
マシン語でのゲーム開発においては、サブCPUでグラフィックス処理を行うシステムがかえって隘路になるものの、メインCPUとサブCPUとのインタフェースとしてYAMAUCHIコマンドなどが紹介され、FMシリーズでのゲーム開発に大きく寄与した。
後に、姉妹機種として一部機能を割愛、高速化した廉価版であるFM-7と、上位機種であるFM-11シリーズが発売された。FM-7発表後は、メインCPU・サブCPUの高速化やカードスロットの外付けなど、FM-7との互換性を確保する改造がホビーユーザを中心に流行した。
イメージキャラクターは伊藤麻衣子。女性アイドル起用の先駆けでもあった[3]。
なお、本機から始まった富士通製PCの製品名に付く「FM」は、2024年現在まで踏襲されており、他社では例が見られない。
ほか
同時期に、富士通の技術者だった渡辺昭雄が創業したベンチャー企業のシステムズ・フォーミュレート(PET2001の日本総代理店でもあった)が、FM-8と外観や磁気バブルメモリなど類似点が多い「BUBCOM80」を開発して、1981年9月から168,000円で発売。生産は富士通(須坂工場[4])が請け負っていた。BUBCOM80はZ80を搭載したCP/Mマシンで、意欲的な設計であったものの営業的には奮わず、1983年4月上旬の同社の自己破産とともに短命に終った[5][6]。