ピエールフランチェスコ・キリ | |
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2009年 ミラー・スポーツパークにて | |
グランプリでの経歴 | |
国籍 | イタリア |
活動期間 | 1986年 - 1995年 |
チーム | スズキ, ホンダ, アプリリア, ヤマハ, カジバ |
レース数 | 102 |
チャンピオン | 0 |
優勝回数 | 5 |
表彰台回数 | 11 |
通算獲得ポイント | 691 |
ポールポジション回数 | 5 |
ファステストラップ回数 | 4 |
初グランプリ | 1986年 500cc スペインGP |
初勝利 | 1989年 500cc ネイションズGP |
最終勝利 | 1992年 250cc イギリスGP |
最終グランプリ | 1995年 500cc イタリアGP |
ピエールフランチェスコ・キリ (Pierfrancesco Chili, 1964年6月20日 - ) は、イタリア・ボローニャ出身の元モーターサイクル・ロードレースライダー。愛称は "フランキー" (Frankie)。ロードレース世界選手権、スーパーバイク世界選手権で長年活躍し、2006年シーズンをもって現役を引退した。
キリは1982年にレースを始める。1985年にロードレースヨーロッパ選手権125ccクラスのチャンピオンを獲得する[1]と、翌1986年にはロベルト・ガリーナ率いるハーベー(HB)・スズキチームに抜擢され、いきなりロードレース世界選手権の最高峰500ccクラスにデビューすることになった。スズキは当時ワークス活動を休止しており、ヤマハ、ホンダが優位に立っていたが、キリはスズキ勢トップとなるシリーズランキング10位に入る活躍を見せた。
1987年からチームはマシンをホンダにスイッチした。最新型のV型4気筒マシン・NSR500ではなく、V型3気筒のNS500だった。パワー不足に苦しみながらも、開幕戦鈴鹿で4位入賞、第8戦ル・マンでは2位表彰台に立つなどの活躍を見せ、47ポイントを獲得、シリーズランキングでは8位に食い込んだ。
翌1988年にはNSR500を手に入れ、コンスタントに上位入賞が望めるようになった。表彰台の獲得こそ叶わなかったものの、110ポイントを獲得、シリーズランキングは9位だった。
1989年はキリにとって500ccクラスのベストシーズンとなった。第5戦ミサノで初優勝を飾ったが、これは複雑な状況下で得た勝利だった。
レース前、ライダーたちはミサノの路面が非常にスリッピーであり、雨が降れば非常に危険だと述べていた。路面はドライだったが暗雲が立ちこめる中、ケビン・シュワンツをポールポジションにレースはスタートした。キリはうまくスタートを決めてホールショットを奪ったが、その後はシュワンツ、ウェイン・レイニー、クリスチャン・サロンの3名がリードする展開となった。間もなく雨が降り出したため、シュワンツは手を挙げてアピール、レースは中断された。
トップライダーたちはミーティングを開き、ウェットコンディションでのレース再開の前にプラクティスセッションが必要だとの結論を出した。しかしオーガナイザーはこの要求を受け入れなかったため、ワークスライダーはほぼ全員がレースをボイコットすることになった。地元イタリアのキリは他のライダーを説得したが出場を得られず、キリの所属するハーベー・チームだけはレースへの出場を決定した。
ハーベー・チームと、下位のプライベーターによる2ヒート目のレースが再開された。どしゃ降りのコンディションの中、スタンドからはエディー・ローソンが皮肉たっぷりに声援を送り、クリスチャン・サロンが投げキッスを送るという奇妙な状況となったが、キリは後続に30秒以上の差を付けて優勝を遂げた。
この年の表彰台はこのレースだけとなったが、上位での完走をコンスタントに続け、シリーズランキングでは6位に入った。
翌1990年はLa Cinq ROCチームに移籍し、第2戦ラグナ・セカでは3位表彰台を獲得するなど活躍していたが、第9戦スパでの転倒で腕を骨折し、シーズン後半に長期欠場を余儀なくされ、シリーズランキングは11位に終わった。
1991年シーズンより、キリは250ccクラスに戦いの場を移し、バレージ・レーシングチームでアプリリアを駆ることになった。第9戦アッセンでクラス初優勝を遂げ、シリーズランキングでは7位に入った。
翌1992年はキリにとってGPでのベストシーズンとなった。新たにマッシミリアーノ・ビアッジをチームメイトに迎えたこのシーズン、キリはシーズン3勝を挙げ、ルカ・カダローラ、ロリス・レジアーニに次ぐシリーズランキング3位の成績を収めた。ちなみにチームメイトのビアッジは1勝でシリーズ5位だった。またこの年の第4戦ヘレスでは、レースが残り1周の時点でキリは2位を走行していたが、周回数を勘違いしてしまい、ファイナルラップなのにスローダウンしてガッツポーズを見せてしまった。この痛恨のミスによって、キリはほぼ手中に収めていた表彰台を逃してしまうことになった。
1993年、チームはマシンをヤマハにスイッチし、チームメイトには前年の全日本ロードレース選手権チャンピオンのルーキー、原田哲也を迎え、チーム名は「テルコール・ヤマハ・バレージ」として、TZ250Mを駆ってシーズンを戦った。原田が4勝を挙げてチャンピオンを獲得した一方、キリは安定してポイント圏内での完走を続けたものの、比較的下位でのフィニッシュが多く、シリーズランキングは10位に終わった。
1年間の休養の後、1995年にはワイルドカード枠でムジェロでの1戦のみ、カジバを駆って500ccクラスのレースに参戦した。3番グリッドからスタートし、10位で完走を果たしたこのレースが、キリのGPでの最後のレースとなった。
また1995年からは、スーパーバイク世界選手権に、Gattoloneチームでドゥカティ・916を駆って参戦を開始した。デビューイヤーには、第4戦モンツァの第2レースで初優勝を果たし、シリーズランキングでは8位に入った。1996年には2勝を挙げてシリーズ6位、1997年は3勝でシリーズ7位となった。
1998年にはワークスチームのドゥカティ・コルセに移籍を果たし、この年がキリにとってのSBKベストシーズンとなった。シーズン5勝を挙げ、シリーズランキングでは4位を記録した。またこの年の第9戦アッセンでの第2レースでは、ファイナルラップに同じドゥカティ(チームは別)のカール・フォガティにコーナーでインに飛び込まれ、キリは転倒してしまった。これに腹を立てたキリはレース後にピットでフォガティに殴りかかる騒動を起こしてしまった。
1999年からはアルスター・スズキチームに移籍し、GSX-R750を駆ることになった。キリはシリーズ2勝を挙げ、スズキとしては過去最高となるシリーズ6位という成績を残した。翌2000年にはさらに成績を伸ばし、自身2度目となるシリーズ4位となった。2001年にはライバル勢とのマシンのパフォーマンスの差に苦しみながらも、1勝を挙げてシリーズ7位となった。
2002年にはNCRチームに移籍し、再びドゥカティのマシンを駆ることになった。シーズン前半は怪我による欠場などでノーポイントのレースが続き、中盤には持ち直してなんとかランキング8位には入ったものの、デビュー以来初めてとなる1勝もできなかったシーズンとなった。
2003年にはPSG-1チームに移籍したが、マシンは前年と同じドゥカティ998RSだった。移籍初年度はシリーズ7位、2004年にキリは40歳を迎えたが、1勝を挙げてシリーズ5位という安定した成績を残した。
2005年にはKlaffiホンダチームに移籍し、20歳年下のルーキー、マックス・ノイキルヒナーをチームメイトにCBR1000RRを駆ることになった。安定してトップ10圏内での完走を続け、チームメイトより上位となるシリーズ10位でシーズンを終えた。
2006年には D.F.X. Treme チームに移籍。マシンは引き続きCBR1000RRで、ミシェル・ファブリツィオのチームメイトを務めた。4月にミサノで行われた公式テストで、キリは骨盤と肋骨を折る重傷を負ってしまった[2]。3戦欠場した後にレース復帰を果たしたが、第8戦ブランズハッチで、42歳のキリはこのシーズン限りでの現役引退を発表した[3]。
20年以上の間、キリは世界の第一線で戦い続け、スーパーバイク世界選手権で樹立した276レース出走という記録は、引退当時の最多記録だった(のちにトロイ・コーサーが記録を更新している)。
2009年現在、キリはガンダリーニ・レーシングのスポーティングディレクターを務め、マシンはドゥカティ・1098R、ライダーにヤコブ・シュムルツとブレンダン・ロバーツという体制でスーパーバイク世界選手権に参戦している[4]。
順位 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
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ポイント | 15 | 12 | 10 | 8 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
順位 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ポイント | 20 | 17 | 15 | 13 | 11 | 10 | 9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
1993年以降のポイントシステム
順位 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
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ポイント | 25 | 20 | 16 | 13 | 11 | 10 | 9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
(key) (太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
年 | クラス | チーム | 車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | 順位 | 勝利数 |
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1986年 | 500cc | HB-スズキ | RG500 | ESP 14 |
NAT 7 |
GER 16 |
AUT 9 |
YUG NC |
NED - |
BEL 6 |
FRA NC |
GBR - |
SWE - |
RSM - |
11 | 10位 | 0 | ||||
1987年 | 500cc | HB-ホンダ | NS500 | JPN 4 |
ESP 11 |
GER 6 |
NAT 7 |
AUT 10 |
YUG 6 |
NED 9 |
FRA 2 |
GBR 12 |
SWE NC |
CZE 9 |
RSM NC |
POR 7 |
BRA 9 |
ARG 9 |
47 | 8位 | 0 |
1988年 | 500cc | HB-ホンダ | NSR500 | JPN 14 |
USA NC |
ESP 7 |
EXP - |
NAT 6 |
GER 6 |
AUT 5 |
NED 6 |
BEL 8 |
YUG 11 |
FRA 8 |
GBR 8 |
SWE 9 |
CZE 4 |
BRA 7 |
110 | 9位 | 0 |
1989年 | 500cc | HB-ホンダ | NSR500 | JPN NC |
AUS NC |
USA 7 |
ESP 6 |
NAT 1 |
GER 4 |
AUT 6 |
YUG 9 |
NED 5 |
BEL 6 |
FRA 6 |
GBR 9 |
SWE 7 |
CZE 5 |
BRA NC |
122 | 6位 | 1 |
1990年 | 500cc | ロセット エルフ-ホンダ | NSR500 | JPN 7 |
USA 3 |
ESP 5 |
NAT NC |
GER NC |
AUT 4 |
YUG NC |
NED 8 |
BEL - |
FRA - |
GBR - |
SWE - |
CZE - |
HUN - |
AUS 9 |
63 | 11位 | 0 |
1991年 | 250cc | イベルナ バレージ-アプリリア | RSV250 | JPN 17 |
AUS 6 |
USA NC |
ESP 5 |
ITA 3 |
GER NC |
AUT 4 |
EUR NC |
NED 1 |
FRA 4 |
GBR - |
RSM 8 |
CZE NC |
VDM 7 |
MAL 8 |
107 | 7位 | 1 |
1992年 | 250cc | テルコール バレージ-アプリリア | RSV250 | JPN 5 |
AUS NC |
MAL 3 |
ESP 6 |
ITA NC |
EUR 6 |
GER 1 |
NED 1 |
HUN NC |
FRA 2 |
GBR 1 |
BRA NC |
RSA 3 |
119 | 3位 | 3 | ||
1993年 | 250cc | テルコール バレージ-ヤマハ | TZ250 | AUS 10 |
MAL 9 |
JPN 7 |
ESP 12 |
AUT 8 |
GER 7 |
NED 8 |
EUR NC |
RSM 8 |
GBR 4 |
CZE 8 |
ITA 8 |
USA 6 |
FIM 8 |
106 | 10位 | 0 | |
1995年 | 500cc | カジバ | GP500 | AUS - |
MAL - |
JPN - |
ESP - |
GER - |
ITA 10 |
NED - |
FRA - |
GBR - |
CZE - |
BRA - |
ARG - |
EUR - |
6 | 27位 | 0 |
シーズン | クラス | バイク | 出走 | 優勝 | 表彰台 | PP | FL | ポイント | シリーズ順位 |
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1986年 | 500cc | スズキ | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 10位 |
1987年 | 500cc | ホンダ | 15 | 0 | 1 | 0 | 0 | 47 | 8位 |
1988年 | 500cc | ホンダ | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 110 | 9位 |
1989年 | 500cc | ホンダ | 15 | 1 | 1 | 0 | 1 | 122 | 6位 |
1990年 | 500cc | ホンダ | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 63 | 11位 |
1991年 | 250cc | アプリリア | 14 | 1 | 2 | 1 | 0 | 107 | 7位 |
1992年 | 250cc | アプリリア | 13 | 3 | 6 | 4 | 3 | 119 | 3位 |
1993年 | 250cc | ヤマハ | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 106 | 10位 |
1995年 | 500cc | カジバ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 27位 |
合計 | 102 | 5 | 11 | 5 | 4 | 691 |
シーズン | バイク | 出走 | 優勝 | 表彰台 | PP | FL | ポイント | シリーズ順位 |
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1995 | ドゥカティ・916 | 23 | 1 | 4 | 0 | 4 | 167 | 8位 |
1996 | ドゥカティ・916 | 23 | 2 | 6 | 2 | 1 | 223 | 6位 |
1997 | ドゥカティ | 22 | 3 | 6 | 3 | 7 | 209 | 7位 |
1998 | ドゥカティ・996 | 24 | 5 | 10 | 2 | 5 | 293.5 | 4位 |
1999 | スズキ・GSX-R750 | 26 | 2 | 6 | 1 | 3 | 251 | 6位 |
2000 | スズキ・GSX-R750 | 26 | 1 | 10 | 0 | 4 | 258 | 4位 |
2001 | スズキ・GSX-R750 | 25 | 1 | 2 | 0 | 2 | 232 | 7位 |
2002 | ドゥカティ・998RS | 22 | 0 | 1 | 0 | 0 | 167 | 8位 |
2003 | ドゥカティ・998RS | 24 | 1 | 7 | 1 | 2 | 197 | 7位 |
2004 | ドゥカティ・998RS | 22 | 1 | 9 | 1 | 3 | 243 | 5位 |
2005 | ホンダ・CBR1000RR | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 131 | 10位 |
2006 | ホンダ・CBR1000RR | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 17 | 22位 |
合計 | 276 | 17 | 61 | 10 | 29 | 2388.5 |