マウリツィオ・サンドロ・サーラ | |
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基本情報 | |
国籍 | ブラジル |
生年月日 | 1958年8月27日(66歳) |
出身地 |
ブラジル サンパウロ |
過去参加シリーズ | |
1983 1984 1986 1987–1988 1989–1991 1989–1992 1995–1996 |
BRDC フォーミュラ・フォード 1600 イギリス・フォーミュラ・フォード 2000 イギリス・フォーミュラ3選手権 全日本F3選手権 全日本F3000選手権 ル・マン24時間レース |
選手権タイトル | |
1983 1984 |
BRDC フォーミュラ・フォード 1600 イギリス・フォーミュラ・フォード 2000 |
マウリツィオ・サンドロ・サーラ(Maurizio Sandro Sala、1958年8月27日 - )は、ブラジルのサンパウロ生まれの元レーシングドライバー。マウリシオと表記される場合もある。 愛称は「モーリス」[1]。
この節の加筆が望まれています。 |
少年時代からレーシングカートを開始し、1歳年下で同じサンパウロ出身のアイルトン・セナとはカート時代からの友人である。1978年にブラジル フォーミュラ・フォード 1600クラスのタイトルを獲得し、イギリスに渡る。イギリスでもセナと行動を共にすることが多かったが、ほかにも渡欧していたラウル・ボーセルや先輩のネルソン・ピケとも親交があった。1983年にイギリス・フォーミュラフォードの1600ccチャンピオンとなり、1984年には2000ccのチャンピオンを獲得し好結果を示した。
1985年にイギリスF3選手権にステップアップ、プライベイト参戦ながら第6戦ゾルダーでポールポジションを獲得、3度の6位以内入賞など奮闘し、翌1986年からエディ・ジョーダンレーシングに加入すると実力を発揮。第13戦までで5勝を挙げる活躍でアンディ・ウォレスとチャンピオン争いを繰り広げるが、第14戦からの4戦連続ノーポイントが響きランキング2位となった。
1987年に来日し、日本でのレース活動を開始。以後、全日本F3選手権、全日本F3000選手権、全日本ツーリングカー選手権、全日本スポーツプロトタイプ耐久選手権などで活躍した。ル・マン24年間レースにも1989年から参戦し、1996年まで参戦していた[2][3]。
若くしてイギリスや日本に渡りレースに参戦したことで、ブラジルポルトガル語以外の外国語の習得に興味があった。来日後まもなく「ゲンキデスカー」「ダイジョウブヨー」など語句を覚え日本になじむ努力をしていたほか、明るい性格で周囲を楽しませるのが好きだったこともあり、同じレースを走っていた日本人選手がケアレスミスによるスピンを喫したりするとピットイン後に覚えたての「ダッサーイネ(笑)」という言葉を使いたいためにその選手の近くに寄っていくなど、明るいキャラクターで親しまれた[1]。
年 | チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 順位 | ポイント |
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1985年 | Maurizio Sandro Sala | レイナード・853 | SAAB | A | A | SIL 12 |
THR Ret |
SIL 7 |
THR 6 |
DON 4 |
ZOL 6 |
THR 8 |
THR Ret |
SIL Ret |
BRH 7 |
SIL Ret |
DON Ret |
SNE Ret |
OUL |
SIL 12 |
SPA |
ZAN 9 |
SIL 8 |
13位 | 5 |
1986年 | エディ・ジョーダン・レーシング | ラルト・RT30 | フォルクスワーゲン | A | THR 1 |
SIL 2 |
THR 1 |
SIL 1 |
BRH 22 |
THR 5 |
DON 2 |
SIL 1 |
SIL 3 |
OUL 3 |
ZAN 2 |
DON 5 |
SNE 1 |
SIL Ret |
BRH 21 |
SPA Ret |
ZOL 7 |
SIL 3 |
2位 | 83 |
年 | チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
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1987年 | PERSON'S ルマン | ラルト・RT31 | ニッサン・CA18D | B | SUZ 5 |
TSU 5 |
FSW Ret |
SUZ 4 |
SUG 9 |
SEN 8 |
NIS 4 |
TSU DNS |
SUZ | SUZ 9 |
7位 | 43 |
1988年 | DHL オロナミンC・ラルト | B | TSU 1 |
3位 | 40 | |||||||||||
ラルト・RT32 | SUZ 4 |
FSW 4 |
SUZ 15 |
SUG 3 |
TSU 3 |
SEN 1 |
SUZ 10 |
NIS 3 |
SUZ 3 |
(key)
年 | チーム | シャーシー/エンジン | 予選 | ヒート1 | ヒート2 | 総合順位 |
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1986年 | スワロウ・レーシング | ラルト・RT30 フォルクスワーゲン | 20位 | 15位 | 10位 | 12位 |
1987年 | チーム・ルマン | ラルト・RT31 日産・CA18D | 20位 | 台風の影響により1ヒート制で開催 | NC |
年 | チーム | シャーシ | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
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1988年 | マジウィック・モータースポーツ | レイナード・88D | コスワース DFV | A | JER | VLL | PAU | SIL | MNZ | PER | BRH | BIR | BUG | ZOL 8 |
DIJ | NC | 0 |
年 | チーム | シャシ | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
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1989年 | CLUB ANGLE FUNAKI RACING | レイナード・88D レイナード・89D |
無限・MF308 | D | SUZ 13 |
FSW 7 |
MIN 10 |
SUZ 7 |
SUG 9 |
FSW 18 |
SUZ 11 |
SUZ Ret |
NC | 0 | |||
1990年 | レイナード・89D ローラ・T90/50 |
SUZ 16 |
FSW DNQ |
MIN Ret |
SUZ 8 |
SUG 9 |
FSW 19 |
FSW 15 |
SUZ 21 |
FSW 7 |
SUZ DNQ |
NC | 0 | ||||
1991年 | SUPER EVOLUTION RACING TEAM | ローラ・T90/50 ローラ・T91/50 |
無限・MF308 | Y | SUZ | AUT | FSW | MIN | SUZ DNQ |
SUG Ret |
FSW 14 |
SUZ 16 |
FSW C |
SUZ Ret |
FSW 4 |
19位 | 3 |
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
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1989年 | ブルン・モータースポーツ アルファ・レーシング・チーム |
ワルター・レヒナー ローランド・ラッツェンバーガー |
ポルシェ・962C | C1 | 58 | DNF | DNF |
1990年 | チーム・ル・マン | 和田孝夫 アンデルス・オロフソン |
日産・R89C | C1 | 182 | DNF | DNF |
1991年 | マツダスピード オレカ |
ステファン・ヨハンソン デビット・ケネディ |
マツダ・787B | C2 | 355 | 6位 | 6位 |
1992年 | ジョニー・ハーバート フォルカー・ヴァイドラー ベルトラン・ガショー |
マツダ・MX-R01 | C1 | 336 | 4位 | 4位 | |
1995年 | ガルフ・レーシング GTCレーシング |
マーク・ブランデル レイ・ベルム |
マクラーレン・F1-GTR | GT1 | 291 | 4位 | 3位 |
1996年 | 国際開発 UK | ファビエン・ジロイ ジャン=デニス・デレトラズ |
GT1 | 146 | DNF | DNF |