リンジー伯爵 | |
---|---|
Arms:Quarterly: 1st and 4th, Gules a Fess checky Argent and Azure in chief three Mullets of the second; 2nd and 3rd, counter quartered, 1st and 4th, Azure a Fess between three Lozenges Or; 2nd and 3rd, Argent on a Chevron Sable an Otter's Head erased of the first, all within a Bordure embattled Gold Crest:A Swan with wings expanded proper Supporters:On either side a Griffin Gules armed and beaked Or
| |
創設時期 | 1633年5月8日 |
創設者 | チャールズ1世 |
貴族 | スコットランド貴族 |
初代 | 10代リンジー卿ジョン・リンジー |
現所有者 | 16代伯ジェームズ・リンジー=ベスーン |
相続人 | ガーノック子爵ウィリアム・リンジー=ベスーン |
付随称号 | 下記を参照。 |
現況 | 存続 |
邸宅 | レイヒル・ハウス |
モットー | Je Ayme(I love) Live But Dreid |
初代伯より6代伯はクロフォード伯爵を兼ねた。 |
リンジー伯爵(英: Earl of Lindsay)はイギリスの伯爵、貴族。スコットランド貴族爵位。リンジー卿を前身として、リンジー氏族の一員である第10代リンジー卿ジョン・リンジーが1633年に叙位されたことに始まる。主家の爵位であるクロフォード伯爵位を6代にわたって保有したが、1808年にリンジー伯爵から分離したため、現在は継承権者を異にする。
本項においては、関連性の高いリンジー卿、ガーノック子爵及びベスーン準男爵の歴史に関しても触れる。
リンジー家は、クロフォード領主リンジー家(のちのクロフォード伯爵家)を本家とするリンジー氏族のうち、その分家筋にあたる家柄である[1][2]。すなわち、第6代クロフォード領主デイヴィッドの四男にあたるウィリアム・リンジー(生没年未詳)は、ナイトに叙された傍系の人物で、分家リンジー家の始祖となった[2]。
さらに、その子ウィリアム(生没年未詳)は併せてアバコーン領主(Lord of Abercorn)も兼ねた[2]。
その子のジョン・リンジー(?-1482)はスコットランド民事控訴院判事(Lord of Session)や国王ジェームズ1世の身代金引渡し時の人質を務めた人物である[2][3]。彼は1455年2月22日にスコットランド貴族として「バイアーズのリンジー卿(Lord Lindsay of the Byres)」を授けられたが[2][3]、これがリンジー家の貴族としての嚆矢となった。
初代卿が1482年に没すると、卿位は長男デイヴィッド、次男ジョン、三男パトリックの順に継承された[2][3][4]。
4代卿パトリック(?-1526)はフロドゥンの戦いに参加したほか、王妃マーガレット・テューダー付顧問官の一人に選ばれている[3][4]。彼ののちは直系の孫ジョンが爵位を相続した[4]。以降もしばらくの間、5代卿ジョンの子孫によって継承される。
6代卿パトリック(1521–1589)はスコットランド宗教改革の強力な支援者であったほか、メアリー女王の秘書リッチオ殺害事件に加わって、公然と女王に反旗を翻した[5]。
その孫の8代卿ジョン(?-1609)には男子がおらず、爵位は弟ロバート(9代卿)が継承した[2][4]。
9代卿の子である10代卿ジョン(c.1598–1678)は1633年に「リンジー伯爵(Earl of Lindsay)」及び「パーブロース卿(Lord Parbroath)」に叙せられた[2][6]。また、本家筋にあたる『王党派伯爵』こと第16代クロフォード伯爵は初代伯リンジー伯爵ジョンに優先的に爵位を継承させるべく、1642年にクロフォード伯爵位を返上して再叙爵された[7](ノヴォダマス)。これに伴って、ジョンがクロフォード伯爵位の推定相続人になった[7]。さらに1644年にはスコットランド王国議会によって16代伯の爵位が剥奪され、代わりに彼に与えられた[6]。これを同議会の越権行為であるとする見解もあるが、チャールズ1世は1646年にリンジーの爵位継承を承認したことで、リンジー伯爵がクロフォード伯爵を兼ねることとなった[7]。
また、初代伯の五男パトリックの子ジョン・リンジー=クロフォード(1669-1708)は1703年に「ガーノック子爵(Viscount of Garnock)」及び「キングスバーン及びドラムリーのキルバーニー卿(Lord Kilbirnie, Kingsburn and Drumry)」に叙されて、伯爵家の分家が誕生している[8]。一方でリンジー伯爵位に関しては、初代伯ののち4代伯まで直系男子による爵位の継承が続いた[8]。
4代伯ジョン(1702-1749)が嗣子のないまま死去すると、はとこ甥にあたるガーノック子爵家当主ジョージ・リンジー=クロフォード(5代伯)が爵位を継承した[8][9]。ゆえに、これ以降は子爵位も伯爵位の従属爵位となった。
しかし、6代伯ジョージ(1758-1808)が生涯未婚のまま没すると、すべての爵位は休止した[9]。
その後、4代卿の次男ウィリアムの子孫[註釈 1]にあたる第2代準男爵サー・ジョン・トロッター・ベスーン(1827-1894)は爵位回復の請願を行ったのち、1878年4月5日に貴族院によって第10代リンジー伯爵として爵位の継承を認められた[2][10]。なお、10代伯の父ヘンリー・リンジー=ベスーン(1787-1851)は9代伯とみなされるほか、彼自身が1836年に(ファイフ州キニューカーの)準男爵(Baronet, of Kilconquhar in the County of Fife)を授けられていたことから、準男爵位が伯爵位に従属することとなった[8][11]。また、彼はその姓を「リンジー」から、「ベスーン(Bethune)」へと改姓している[2][12][13]。
他方、クロフォード伯爵位は第9代クロフォード伯爵からの分流バルカレス伯爵家へと継承されたため、2つの伯爵位は分離した。
10代伯ジョンが子を残さず亡くなると準男爵位は廃絶した一方で、伯爵位は親族[註釈 2]のデイヴィッド(11代伯)が継承した[2][10]。
12代伯レジナルド(1867-1939)は貴族代表議員を務めたほか、一族の家名のスペリングに『e』を加えて「リンジー(Lindesay)」と改めた[14]。彼には子がなかったため、爵位は弟アーチボルド、その子ウィリアムの順に継承された[10]。
14代伯ウィリアム(1900-1985)はスコッツ・ガーズ連隊付少佐として第二次世界大戦に従軍したのち、父同様に貴族代表議員を務めた[10]。
その孫にあたる16代伯ジェームズ(1955-)が2020年現在のリンジー伯爵家当主である。彼は1999年の貴族院法制定後も、引き続いて貴族院に籍を置く92人の世襲貴族の一人に選ばれたため、現在まで同院議員を務めている[10][15]。
現当主である第16代リンジー伯爵ジェームズ・ランドルフ・リンジー=ベスーンは、以下の爵位を有する[10]。
歴代伯爵のうち、斜体で示す人物はデ・ジュリとしての当主を示す。
爵位の法定推定相続人は、現当主の息子であるガーノック子爵(儀礼称号)ウィリアム・ジェームズ・リンジー=ベスーン(1990-)。
以降の歴代子爵は、リンジー伯爵(1633年)を参照。