レオン・ハスラム | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2010年 SBKシルバーストン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | イギリス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 |
1983年5月31日(41歳) イングランド・ダービーシャー スモーリー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在のチーム | チームHRC | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゼッケン | 91 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウェブサイト | leonhaslam.com | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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レオン・ハスラム (Leon Haslam、1983年5月31日 - ) は、イギリスのオートバイレーサー。イングランド・ダービーシャーのスモーリー出身。1980年代にロードレースで活躍した「ロケット・ロン」ことロン・ハスラムを父に持ち、「ポケット・ロケット」の異名を持つ。
2013年・2014年・2019年 鈴鹿8時間耐久ロードレース 優勝
赤ん坊の頃から、母と共に父ロンに帯同してサーキットを渡り歩き、オートバイレースに慣れ親しんでいった。1995年と1996年にはモトクロスのイギリス国内ユースチャンピオンとなり、1997年にはスクーターの国内選手権でチャンピオンとなった。1998年にはイギリスロードレース選手権125ccクラスでシリーズ7位を記録し、MCN[1]ヤング・ライダー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。またこの年のイギリスGP125ccクラスにワイルドカード参戦し、17位でグランプリデビューを果たした。
イギリス選手権125ccクラス2年目となった1999年にはシリーズ5位を記録、またスペイン選手権にも参戦しそちらではシリーズ4位となった[2]。
2000年シーズン、ハスラムはイタルジェットのマシンを駆ってロードレース世界選手権125ccクラスにフル参戦デビューを果たした。しかし準備不足のマシンは戦闘力に欠け、ポイント獲得はウェットレースとなったカタルニアGPでの10位ただ一度に留まり、シリーズランキング27位に終わった。
17歳となった翌2001年シーズン、ハスラムは一足飛びに500ccクラスにステップアップを果たし、同クラス史上最年少ライダーとなった。シェル・アドバンス・ホンダチームで当初はV2マシンのNSR500Vを、第9戦ドイツGP以降はV4のNSR500を駆り[3]、最終戦リオGPでベストリザルトとなる11位に入ってシリーズランキング19位を記録した。
2002年シーズンは250ccクラスのBQRチームに移籍。第11戦ポルトガルGPでの7位がベストで、シリーズランキング18位に終わった。
3年間の世界グランプリ参戦は若いハスラムにとって貴重な経験となったが、大きな結果は残すことができず、2003年シーズンはイギリスの国内選手権に活動の場を戻すことになった。当初はスーパースポーツ選手権(BSS)でドゥカティ・749を駆っていたが、シーズン途中に解雇となったショーン・エメットの後釜としてブリティッシュスーパーバイク選手権(BSB)に昇格[4]、ドゥカティ・999を駆りシリーズ後半6戦に出場した。シリーズランキングではBSS、BSBとも11位となった[2]。またスーパーバイク世界選手権(SBK)にもワイルドカード枠で3戦に出場、アッセンとマニクールでは6位入賞を果たした。
2004年シーズン、ハスラムはレネゲード・ドゥカティチームから芳賀紀行のチームメイトとしてスーパーバイク世界選手権にフル参戦デビューを果たした。開幕から安定してトップ10圏内でのフィニッシュを続け、第5戦オッシャーズレーベンのレース2で初表彰台(3位)を獲得、シリーズランキングでは8位を記録しルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。
またブリティッシュスーパーバイク選手権にも同チームからスポットで3戦に出場、豪雨の中のレースとなったブランズハッチで初優勝を遂げた。これはこの年の選手権で、ドゥカティ勢にとって唯一の勝利となった[5]。
2005年シーズンに向けてレネゲードチームはマシンをホンダに変更、ライダーを1台体制に縮小することとなった[6]。ハスラムはGSEチーム(エントリー名:エアウェイブ・ドゥカティ)に移籍し、ブリティッシュスーパーバイク選手権に戻り初のフルシーズンを戦った。シリーズランキングはチームメイトのグレゴリオ・ラビッラ、HMプラント・ホンダチームの清成龍一、マイケル・ルターに次ぐ4位となった。
2006年もGSEチームに残留し、ディフェンディングチャンピオンのラビッラと共にドゥカティ・999を駆った。最終戦の最終レースまでホンダの清成龍一とチャンピオン争いを展開した結果、シリーズランキング2位となった。またシーズン最多ポールポジション賞を獲得し、賞品として50,000ポンドのアウディ・コンバーチブルを手に入れた[2]。
2007年も同体制を維持、しかしドゥカティは翌シーズンよりニューマシンの1098Rの投入を計画していたことから999の開発は滞り、HMプラント・ホンダの清成とジョナサン・レイが強さを見せることとなった[2]。清成がシリーズ二連覇、ハスラムはランキング3位に終わった。
2008年シーズンに向けて、レギュレーション上1098Rが選手権に出場できるかどうか不透明だったため、ハスラムはライバルチームのHMプラント・ホンダへの移籍を選んだ。前年までタイトルを争った清成とレイは清成がスーパーバイク世界選手権に、レイはスーパースポーツ世界選手権にそれぞれステップアップし、チームメイトはスズキから移籍してきたカル・クラッチローになった。しかしながら、古巣GSEチームは結局1098Rで参戦できることとなり、同チームでハスラムの後釜となったシェーン・バーンが強さを見せてシーズンを支配した。ハスラムはシーズン開幕から苦戦が続き[7]、チームメイトのクラッチローの後塵を拝することも多く、オールトン・パークのレース2ではトム・サイクスとの接触で失格処分を受けてしまった[8]。第8戦ノックヒルでようやくシーズン初優勝を遂げてからは、第9戦カドウェル・パークでレース1・2ダブルウィンを飾るなど調子を戻したが[9]、バーンに追いつくことは叶わずにシリーズ2位に終わった。
またこのシーズン、ハスラムはワイルドカード枠でスーパーバイク選手権にドニントン・パークとポルティマオの2戦出場した。ドニントンのレース1ではトップ集団のバトルに加わっていた時に、「白地に赤の×」の旗が掲示された。SBKでは「滑りやすい路面に注意」の意味なのだが、ハスラムはこれをBSBでの意味「セーフティカーがコースインした」と取り違えてしまいスローダウン、下位に沈んでしまった。ポルティマオのレース2では自身2度目の3位に入ったが、表彰式では主催者の手違いでハスラムの上にドイツ国旗が翻ってしまった。
さらにこの年、桜井ホンダチームから鈴鹿8時間耐久ロードレースに初出場。亀谷長純をパートナーに9位で完走を果たした[10]。
2009年シーズン、ハスラムは新規参戦のスティッギー・ホンダ・チームからスーパーバイク世界選手権にフル参戦復帰を果たした[11]。開幕戦フィリップアイランドのレース2で3位表彰台を獲得する順調な滑り出しを見せ、第4戦アッセンではレース1で3位、レース2で2位と連続表彰台を獲得する活躍を見せた。結局この年のシリーズランキングは、ホンダ勢としては2番手、プライベーター勢では圧倒的なトップとなる6位に入った。
翌2010年シーズンは、スズキ・ワークスのアルスター・チームに移籍し、シルヴァン・ギュントーリのチームメイトを務めることとなった[12]。開幕戦フィリップアイランドでは自身初のポールポジションを獲得し[13]、レース1ではドゥカティ・ゼロックスのミッシェル・ファブリツィオを選手権史上最も僅差となる0.004秒差で下し、SBK初優勝を遂げた[14]。
その後も第3戦バレンシアのレース1で2勝目、第6戦キャラミのレース2で3勝目を挙げるなど安定して表彰台に立ちチャンピオンシップをリードしていたが、第7戦ミラー、第8戦ミサノと2戦連続でレース1・2ダブルウィンを遂げたアプリリアワークスのマックス・ビアッジに逆転を許してしまう。ハスラムはタイトルを逃さないように、日本のスズキ本社にもっとサポートを厚くするように求めるメッセージを公に発した[15]。しかしその後は勝利を挙げることも叶わず、第13戦イモラのレース2でエンジンブローによりリタイヤしたことでビアッジのタイトルが確定[16] 。ハスラムはシリーズランキングを2位で終えることとなった。
9月27日、ハスラムはアルスター・スズキとの2年契約を双方合意の上で途中解約し、チームを1年で去ることが発表された。発表の場でチームマネージャーのフランシス・バッタは、スズキ本社のサポートが不十分だったことに不満の弁を述べた[17] 。
2010年9月28日、ハスラムはBMWワークスと2年契約を結び、2011年シーズンを戦うことが発表された[18]。
2013年シーズンよりホンダワークスに移籍、ジョナサン・レイとともにPata Honda World Superbike Teamより参戦を開始。
シーズン | クラス | バイク | 出走 | 優勝 | 表彰台 | PP | FL | ポイント | シリーズ順位 |
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1998年 | 125cc | ホンダ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
1999年 | 125cc | ホンダ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
2000年 | 125cc | イタルジェット | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 27位 |
2001年 | 500cc | ホンダ | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 19位 |
2002年 | 250cc | ホンダ | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 19 | 18位 |
合計 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 38 |
年 | クラス | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 順位 | ポイント |
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1998年 | 125cc | ホンダ | JPN |
MAL |
SPA |
ITA |
FRA |
MAD |
NED |
GBR 17 |
GER |
CZE |
IMO |
CAT |
AUS |
ARG |
NC | 0 | ||
1999年 | 125cc | ホンダ | MAL |
JPN |
SPA |
FRA |
ITA |
CAT |
NED |
GBR 19 |
GER |
CZE |
IMO |
VAL |
AUS |
RSA |
BRA |
ARG |
NC | 0 |
2000年 | 125cc | イタルジェット | RSA 22 |
MAL 19 |
JPN Ret |
SPA 17 |
FRA |
ITA 22 |
CAT 10 |
NED 18 |
GBR 19 |
GER Ret |
CZE 17 |
POR Ret |
VAL 22 |
BRA Ret |
PAC Ret |
AUS 17 |
27位 | 6 |
2001年 | 500 cc | ホンダ | JPN 13 |
RSA 17 |
SPA 16 |
FRA DNS |
ITA |
CAT DNS |
NED 13 |
GBR 17 |
GER Ret |
CZE Ret |
POR Ret |
VAL 16 |
PAC 15 |
AUS 19 |
MAL 15 |
BRA 11 |
19位 | 13 |
2002年 | 250 cc | ホンダ | JPN |
RSA 15 |
ESP 19 |
FRA Ret |
ITA 18 |
CAT 18 |
NED |
GBR 17 |
GER 13 |
CZE 17 |
POR 7 |
BRA 10 |
PAC |
MAL 17 |
AUS 18 |
VAL 17 |
18位 | 19 |
シーズン | バイク | 出走 | 優勝 | 表彰台 | PP | FL | ポイント | シリーズ順位 |
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2003年 | ドゥカティ・998RS | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 35 | 21位 |
2004年 | ドゥカティ・999RS | 22 | 0 | 1 | 0 | 0 | 169 | 8位 |
2008年 | ホンダ・CBR1000RR | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 33 | 22位 |
2009年 | ホンダ・CBR1000RR | 28 | 0 | 4 | 0 | 1 | 241 | 6位 |
2010年 | スズキ・GSX-R1000 | 26 | 3 | 14 | 1 | 2 | 376 | 2位 |
2011年 | BMW・S1000RR | 26 | 0 | 3 | 0 | 0 | 224 | 5位 |
2012年 | BMW・S1000RR | 27 | 0 | 3 | 0 | 0 | 200 | 8位 |
2013年 | ホンダ・CBR1000RR | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 91 | 13位 |
2014年 | 24 | 0 | 1 | 0 | 0 | 187 | 7位 | |
2015年 | アプリリア・RSV4 | 26 | 2 | 9 | 2 | 2 | 332 | 4位 |
2016年 | カワサキ・ZX-10R | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 16 | 20位 |
2017年 | カワサキ・ZX-10RR | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 20 | 23位 |
2018年 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 | 20位 | |
2019年 | 37 | 0 | 6 | 0 | 0 | 281 | 7位 | |
2020年 | ホンダ・CBR1000RR-R | 24 | 0 | 0 | 0 | 0 | 113 | 10位 |
2021年 | 35 | 0 | 0 | 0 | 0 | 134 | 13位 | |
合計 | 313 | 5 | 45 | 3 | 6 | 2466 |
年 | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 順位 | ポイント | 参照 | |||||||||||||
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R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | |||||
2005年 | ドゥカティ | BHI Ret |
BHI 4 |
THR 4 |
THR 7 |
MAL 3 |
MAL 5 |
OUL 4 |
OUL 1 |
MOP Ret |
MOP 2 |
CRO 6 |
CRO Ret |
KNO 5 |
KNO 5 |
SNE 2 |
SNE Ret |
SIL 2 |
SIL 3 |
CAD 6 |
CAD 1 |
OUL 4 |
OUL 4 |
DON 3 |
DON 2 |
BHGP 2 |
BHGP 1 |
4位 | 350 | [25] |
2006年 | ドゥカティ | BHI Ret |
BHI 2 |
DON 3 |
DON 2 |
THR 2 |
THR 2 |
OUL 3 |
OUL 7 |
MOP C |
MOP C |
MAL 2 |
MAL 2 |
SNE 2 |
SNE 2 |
KNO 3 |
KNO 3 |
OUL 2 |
OUL 3 |
CRO 4 |
CRO 1 |
CAD 2 |
CAD 1 |
SIL Ret |
SIL 3 |
BHGP 2 |
BHGP 1 |
2位 | 458 | [26] |
2007年 | ドゥカティ | BHGP 6 |
BHGP 4 |
THR 6 |
THR 6 |
SIL 6 |
SIL 5 |
OUL 2 |
OUL 2 |
SNE 3 |
SNE 5 |
MOP 1 |
MOP 4 |
KNO 3 |
KNO 2 |
OUL 4 |
OUL 4 |
MAL 3 |
MAL 2 |
CRO 5 |
CRO 6 |
CAD 1 |
CAD Ret |
DON 1 |
DON 1 |
BHI 4 |
BHI 5 |
3位 | 387 | [27] |
2008年 | ホンダ | THR 4 |
THR Ret |
OUL 2 |
OUL Ret |
BHGP 4 |
BHGP 6 |
DON 2 |
DON 2 |
SNE 5 |
SNE 5 |
MAL 2 |
MAL 6 |
OUL 4 |
OUL 4 |
KNO Ret |
KNO 1 |
CAD 1 |
CAD 1 |
CRO 2 |
CRO 1 |
SIL 11 |
SIL 1 |
BHI 4 |
BHI 2 |
2位 | 357 | [28] |
開催年 | バイク | チーム | パートナー | 総合順位 |
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2008年 | ホンダ・CBR1000RR | チーム桜井ホンダ | 亀谷長純 | 9位 |
2013年 | ホンダ・CBR1000RR | MuSASHi RT ハルクプロ | 高橋巧 マイケル・ファン・デル・マーク | 1位 |
2014年 | ホンダ・CBR1000RR | MuSASHi RT ハルクプロ | 高橋巧 マイケル・ファン・デル・マーク | 1位 |
2016年 | カワサキ・ZX-10R | Team GREEN | 柳川明 渡辺一樹 | 2位 |
2017年 | カワサキ・ZX-10R | Team GREEN | アズラン・シャー・カマルザマン 渡辺一馬 | 2位 |
2018年 | カワサキ・ニンジャZX-10R | Team GREEN カワサキ | 渡辺一馬 ジョナサン・レイ | 3位 |
2019年 | カワサキ・ニンジャZX-10RR | カワサキレーシングチーム 鈴鹿8H | ジョナサン・レイ トプラク・ラズガットリオーグル | 1位 |
2022年 | カワサキ・ニンジャZX-10RR | カワサキレーシングチーム 鈴鹿8H | ジョナサン・レイ アレックス・ロウズ | 2位 |
レオンには2人の姉妹、Emma と Zoe がいる[29]。2009年には長年連れ添っていたガールフレンドの"Oli"ことOlivia Stringer と婚約を結んだ[30][31]。
自宅の壁には2002年にスヌーカー世界チャンピオンのPeter Ebdonが使用したキューが飾ってある。趣味はポーカー、ポケット・ビリヤード、ゴルフなど。マンチェスター・ユナイテッドFCのファン。
トレーニングのパートナーは婚約者のOliのほか、F3ドライバーのRiki Christodoulou。2009年にはスズキ・スイフトに乗り、マロリー・パークでおこなわれたイギリスラリークロス選手権に出場した[32]。2010年にも、同選手権にスポット参戦を検討している。