ロニー・クインタレッリ Ronnie Quintarelli | |
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2015年SUPER GT最終戦もてぎにて | |
基本情報 | |
国籍 | イタリア |
生年月日 | 1979年8月9日(45歳) |
SUPER GTでの経歴 | |
デビュー | 2005年 |
所属 | NISMO |
車番 | 23 |
過去所属 | MOLA、TEAM IMPUL、HASEMI MOTOR SPORT、TOYOTA TEAM KRAFT、TOYOTA TEAM CERUMO、TOYOTA TEAM SARD |
出走回数 | 144 |
優勝回数 | 18 |
ポールポジション | 16 |
過去参加シリーズ | |
2000年 - 2002年 2003年 - 2004年 2005年 - 2008年 |
フォーミュラ・ルノー 全日本F3選手権 フォーミュラ・ニッポン |
選手権タイトル | |
2004年 2011年,2012年 2014年,2015年 |
全日本F3選手権 SUPER GT |
ロニー・クインタレッリ(Ronnie Quintarelli 、1979年8月9日 - )は、イタリア人のレーシングドライバー。
10歳でカートレースデビュー。1999年にヨーロッパカート選手権125ccクラスのチャンピオンタイトルを獲得した。
2000年、イタリア フォーミュラ・ルノー シリーズに出場する。2001年には、ユーロカップ フォーミュラ・ルノーに出場。2002年には、ドイツ・フォーミュラ・ルノー シリーズに出場している。この時期はレース参戦資金の不足により、戦闘力を持つ体制での参戦ができないという悩みを抱えていた。2001年はシリーズ参戦を中断し、カート界に逆戻りもしている。
2002年にレースシートを求めて来日し、同年から復活した富士グランチャンピオンレース(GC-21)にスポット参戦。ここでの走りが日本のレース関係者の目に留まり、2003年より全日本F3選手権にINGINGからフル参戦。翌2004年に8勝を挙げ、2位に42ポイントの大差をつけシリーズチャンピオンを獲得した。
2005年、SUPER GT・500クラスにデビューする。TOYOTA TEAM SARDから参戦しシリーズ16位。同年途中にKONDO Racingよりオファーがかかり、日本のトップカテゴリーである全日本選手権フォーミュラニッポン第4戦富士から参戦し、いきなり入賞を果たし適応力を見せた。その後も上位入賞を続け、シリーズ9位を獲得。フォーミュラ・ニッポン参戦は急遽決定したため、デビュー戦では前年所属したINGINGのレーシングスーツで出場した。鈴鹿サーキットで単発イベントとして開催された鈴鹿1000kmにはこの年のSUPER GT同様にサードからスープラで参戦し、逆転優勝を飾っている。
2006年、GT500クラス第6戦鈴鹿にTOYOTA TEAM CERUMOから第3ドライバーとして、スポット参戦し決勝7位の成績を残した。同年にはINGINGのフォーミュラ・ニッポン参戦に伴いチームに復帰し、2007年の第4戦(岡山国際サーキット)で念願の初優勝を遂げた。2008年も体制を継続して参戦。
2007年、GT500クラス第4戦セパンから第6戦鈴鹿に、TOYOTA TEAM KRAFTからスポット参戦した(第4戦・第5戦は服部尚貴のパートナー、第6戦は第3ドライバー)。
2008年にニッサン陣営のハセミモータースポーツに加入。新規投入されたGT-Rをドライブし、2年振りのフル参戦を果たし、第7戦もてぎでGT500クラス初優勝を飾る。同年10月5日に元レースクイーンの女性と結婚。
2010年、星野一義監督率いるTEAM IMPULに移籍。
2011年、GT500クラスにステップアップしたMOLAに移籍し、柳田真孝とのコンビで参戦。第4戦のスポーツランドSUGOでシーズン初勝利を挙げると、その後も安定した成績を残し、初のシリーズチャンピオンを獲得した。
2012年も同じ体制で継続参戦。第4戦のSUGO以降は5戦連続で表彰台に登り、第5戦の鈴鹿1000kmでシーズン初勝利をポール・トゥ・ウィンで飾ると、その後第7戦のオートポリスでの勝利でチャンピオン獲得を確定させた。最終戦前の王座確定は2007年、ARTA NSXの伊藤大輔、ラルフ・ファーマン組以来、5年ぶりのことだった。また、同一コンビによるシーズン連覇は、全日本GT選手権(JGTC)時代から遡っても史上初である。
2013年は、柳田とともにNISMOに移籍。NISMOも柳田、ロニーの移籍に伴いタイヤをブリヂストンからミシュランに変更する。開幕戦岡山、第4戦SUGO、第5戦鈴鹿と表彰台に上がるも、シーズンを通して苦戦。シリーズ6位に終わり、同一コンビによる3連覇達成はならなかった。また2014年からのドイツツーリングカー選手権(DTM)との車両規則統合にともない、柳田とともにシリーズを戦いながら、2014年導入予定の、GT-R NISMO GT500の開発ドライバーを務めた。インタビューなどでは、コンビパートナーである柳田真孝のことを「マー」と呼んでおり、良好な関係が窺えた。
2014年は柳田に代わり、7年ぶりのチーム復帰となる松田次生とコンビを組み参戦。第3戦オートポリスでシーズン初優勝を飾ると、次戦のSUGOではノーポイントに終わるもののその後の富士・鈴鹿と2戦続けて2位表彰台を獲得。ランキング3位で迎えた最終戦もてぎはポールポジションからスタートし、1周目でタイトルを争うジェームズ・ロシターとジョアオ・パオロ・デ・オリベイラが接触するという波乱のレースで優勝。ロシターが10位、伊藤大輔・アンドレア・カルダレッリ組は2位となったため逆転でGT500クラス最多タイ(脇阪寿一・本山哲・立川祐路と並ぶ)3度目のタイトルを獲得。NISMOにとっては2008年以来のチャンピオン獲得となった。ほかシーズン途中から、インタープロトシリーズに参戦。チームララパルーザ16号車の渡辺久和と組んで、第3戦、最終戦に参戦した。
2015年も引き続き、ディフェンディングチャンピオンとして松田とともにNISMOから参戦。第2戦富士をポールトゥーウィンでシーズン初優勝を飾るも、その後は表彰台にも上がれず苦戦が続く。しかし第7戦オートポリスで、ライバルのカルソニックインパルを抑え、2勝目を上げ、シリーズランキングも2位に浮上。タイトル争いがかかった最終戦もてぎは、予選がウェットコンディションになった影響で、予選12位からスタートとなり、逆転チャンピオンが難しい状況と思われた。しかし決勝レース直前に再び雨が落ち始め、ミシュランタイヤとの相性がいいウェットコンディションとなり、ロニーが順調に追い上げ、またピット作業の速さもあり、後半スティントを担当した松田が一時トップに浮上。優勝は37号車、Keeper TOM'S(平川亮、アンドレア・カルダレッリ)に譲ったが、2位に入り、逆転でのシリーズチャンピオンを決めた。史上最多の4度目のシリーズチャンピオン獲得となり、2度目の連覇を達成した。4回のシリーズチャンピオン獲得は、SUPER GT 史上単独最多記録。ほか、昨年に引き続き、ララパルーザ16号車(渡辺久和)より、インタープロトシリーズにフル参戦した。
2016年も、NISMOより松田と組んでSUPER GTに参戦。同年6月、母国であるイタリア共和国からSUPER GTでの功績と東日本大震災後の東北地方での継続した社会貢献活動が認められ、勲章であるウッフィチャーレが授与された[1]。
また2024年シーズンをもってSUPER GTにおける活動を終了することが本人の公式サイトおよびX(旧Twitter)等にて2024年11月20日に発表された[2]。
妻が日本人女性であり、以下のエピソードが示す通りレース中の無線やインタビューも流暢な日本語で会話し語学堪能である。
• 2019年SUPER GT第5戦富士にて、最終コーナーにさしかかった瞬間にピットインの指示が出たため、ロニーは指示に従ってピットインした。しかし実際は「(次の周に)ピットインして」という意味であり、ピットの準備ができていなかったため「ナニヤッテンルンダヨ!」と言いながらパートナーの松田次生にバトンタッチした。
• その際ロニーが怒って車のドアを叩きつけるように閉めたせいで左のドアミラーが傾いてしまった。走行中にそのことに気づいた松田はミラーが曲がって後方が確認しづらい状態だったため運転するのが怖かったとのこと。
• 2012年SUPER GT第2戦富士では、右フロントタイヤのナットが緩んでいたことがピットから無線で伝えられると「アリエナイヨコレ!ナニヤッテンノピットデ!!」怒りながらピットに入った。ナットを締めている間、ロニーは車内で「ナニヤッテンノコレ!アリエナイヨ!」と言っていた。
年 | チーム | シャシー | エンジン | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 順位 | ポイント |
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2003年 | INGING | ダラーラF302 | トヨタ・3S-GE | SUZ1 3 |
SUZ2 3 |
FSW1 3 |
FSW1 5 |
TAI1 3 |
TAI2 3 |
TRM1 5 |
TRM2 6 |
SUZ1 6 |
SUZ2 6 |
SUG1 2 |
SUG2 2 |
TSU1 4 |
TSU2 2 |
SUG1 4 |
SUG2 3 |
MIN1 4 |
MIN2 2 |
TRM1 2 |
TRM2 2 |
4位 | 200 | |
2004年 | ダラーラF302/3 | SUZ1 9 |
SUZ2 6 |
TSU1 13 |
TSU2 1 |
OKA1 2 |
TAI2 1 |
TRM1 2 |
TRM2 1 |
SUZ1 4 |
SUZ2 1 |
SUG1 1 |
SUG2 1 |
MIN1 3 |
MIN2 6 |
SEN1 2 |
SEN2 13 |
MIN1 1 |
MIN2 1 |
TRM1 Ret |
TRM2 3 |
1位 | 251 |
年 | チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント | |||
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2005年 | KONDO RACING | ローラ・B351 | 無限・MF308 | B | TRM | SUZ | SUG | FSW 5 |
SUZ 5 |
MIN 2 |
FSW Ret |
TRM 5 |
SUZ 10 |
9位 | 12 | |||
2006年 | Team BOSS・INGING Formula Nippon | ローラ・FN06 | トヨタ・RV8J | FSW 5 |
SUZ Ret |
TRM Ret |
SUZ Ret |
AUT 5 |
FSW 10 |
SUG 4 |
TRM 9 |
SUZ 12 |
10位 | 6 | ||||
2007年 | FSW 5 |
SUZ 6 |
TRM 5 |
OKA 1 |
SUZ Ret |
FSW 7 |
SUG 8 |
TRM 6 |
SUZ 14 |
7位 | 27 | |||||||
2008年 | CERUMO/INGING | FSW 5 |
SUZ 8 |
TRM Ret |
OKA 7 |
SUZ1 10 |
SUZ2 9 |
TRM1 Ret |
TRM2 13 |
FSW1 6 |
FSW2 3 |
SUG 7 |
9位 | 21.5 |
(key)
タイトル | ||
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先代 ジェームス・コートニー |
全日本F3選手権 2004年 |
次代 ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ |
LAWSON IMPUL | KONDO RACING | SG 5ZIGEN | Team LeMans | TP Checker IMPUL | PIAA NAKAJIMA | ||||||
1 | 松田次生 | 3 | 横溝直輝 | 5 | 金石年弘 | 7 | 本山哲 | 20 | 平手晃平 | 31 | ロイック・デュバル |
2 | ブノワ・トレルイエ | 4 | ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ | 6 | 平中克幸 | 8 | 石浦宏明 | 32 | 小暮卓史 | ||
PETRONAS TEAM TOM'S | DoCoMo DANDELION | CERUMO/INGING | ARTA | STONEMARKET・BLAAK CERUMO/INGING | |||||||
36 | アンドレ・ロッテラー | 40 | 松浦孝亮 | 47 | ロニー・クインタレッリ | 55 | 井出有治 | 67 | ロベルト・ストレイト | ||
37 | 荒聖治 | 41 | 土屋武士 | 48 | 立川祐路 | 56 | 伊沢拓也 |