![]() 2024年、横浜国際映画祭にて | |
本名 | 川島 省吾(かわしま しょうご) |
生年月日 | 1977年2月2日(48歳) |
出身地 | 千葉県千葉市 |
血液型 | A型[1] |
身長 | 175cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 首都圏方言 |
コンビ名 | スープレックス(1994年 - 2000年) |
相方 | 秋永和彦(コンビ時代) |
芸風 | コント |
事務所 | 太田プロダクション |
活動時期 | 1993年[1] - |
同期 |
有吉弘行[2] ビビる大木 サバンナ など |
現在の代表番組 | ゴッドタン |
他の活動 | 俳優、声優、映画監督 |
配偶者 | 大沢あかね(2009年 - ) |
公式サイト | 劇団ひとりプロフィール |
受賞歴 | |
・2006年 万年筆ベストコーディネート賞 ・2007年 ゴールデン・アロー賞放送賞(バラエティー部門) ・2007年 エランドール賞新人賞 ・TAMA映画賞新進監督賞 『青天の霹靂』 ・ザ・イロモネア 100万円獲得数 三冠達成(2006年春.2009年春.2012年春) ・2022年 浅草芸能大賞 奨励賞 |
劇団ひとり(げきだんひとり、本名:川島 省吾〈かわしま しょうご〉、1977年〈昭和52年〉2月2日[1] - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、声優、作家、映画監督。
千葉県[1]千葉市花見川区出身。太田プロダクション所属[1]。妻はタレントの大沢あかね。
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千葉県立京葉工業高等学校機械科に入学するが1年弱で中退後、千葉県立船橋高等学校定時制普通科卒業。高校1年生の1993年[1]に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)内のコーナー「お笑い甲子園」に、「バーテックス」というコンビを組んで出場。1996年、太田プロダクションに所属しデビュー[3][4]。事務所の同期には有吉弘行がいる[3][2]。太田プロに入ってからは、一時代子役として活躍した経歴のある劇団日本児童出身の秋永和彦とお笑いコンビ「スープレックス」を組んで活動するが、2000年5月に解散[5]。
2000年にピン芸人「劇団ひとり」になってからは[1]テレビのバラエティ番組に出演するほか、小説家デビューするなどマルチタレントとして活動。
2008年10月から『学べる!!ニュースショー!』(テレビ朝日)のMCを務めるが、1年で終了。特番で復活してからは『そうだったのか!池上彰の学べるニュース』(テレビ朝日)にリニューアルされたため、「池上彰に自分の番組を乗っ取られた」と自虐ネタにしている[6]。
以降は地上波ゴールデンのテレビ番組では他の出演者を盛り上げるお笑い風を演じているが、『ゴッドタン』(テレビ東京)の佐久間宣行プロデューサーは、変態的な芸とお茶の間タレントを両方できると評価している[7]。
コンビが解散してピン芸人になった際に、ネット上で芸名を公募し「カツカレー」という芸名を選んだが、事務所から「これでは未来が見えない」と却下された。続いて「波打際立夫(なみうちぎわたちお)」という芸名を選ぶも同じ理由で却下。安田和博(デンジャラス)に相談したところ「好きな俳優とかいる?」と聞かれ、ロバート・デ・ニーロが好きと答えると「炉端出二郎(ろばたでにろう)」と付けられた。これも却下され、最終的には自分で「劇団ひとり」という芸名に決めた。
「劇団」もしくは「ひとり」のどちらかで呼ばれることが多いが、タモリからは「ゲゲゾッゾ」(ただしこの呼び方はネタ)、くりぃむしちゅーや後輩のスピードワゴンからは本名の「川島」「川島さん」、『ゴッドタン』で共演する矢作兼(おぎやはぎ)からは「劇ピン」「ピンちゃん」と呼ばれることがある。
『SMAP×SMAP』(フジテレビ)では「『省吾』って呼ばれたい」、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)では「『劇ピー』って呼んでください」と発言(山下智久の愛称である山Pに由来)。妻の大沢あかねからは「しょごタン」と呼ばれているとの事[8]。
『午前0時の森』(日本テレビ)で共にMCを務める村上信五(関ジャニ∞)からは、本名の「省吾」「省吾さん」と呼ばれている[9]。これは、番組初回放送にて、互いの呼び方をそれぞれの本名の下の名前で呼び合う事に決めた為であり、自身は村上の事を「信五」と呼んでいる[10][9]。
両親は日本航空勤務(父は国際線パイロット、母は元客室乗務員)で職場結婚。兄と妹がいる。母はミス札幌選出歴があり、マナー教室を主宰。両親の仕事の関係で小学2年生から5年生までアメリカ合衆国アラスカ州アンカレッジに住んでいた。当時、フィギュアスケート選手の村主章枝が近所に住んでおり、交流があった[20]。ただし英会話能力は、日常会話程度であると自認している。
SF作家の川島ゆぞは伯父。
大叔父である川島三郎は高知新聞で漫画を連載する傍ら、発明家でカセットテープ再生機のオートリバースの機能を発明した[21]。その息子は銅像作家の濱田浩造。
妻の大沢あかねとの間に一男二女あり。義祖父(大沢あかねの祖父)は野球評論家の大沢啓二。
曽祖父は昭和初期に高知市長を務めた川島正件[22]。土佐藩士中岡慎太郎の異母姉、縫と結婚した安芸郡岩佐番士頭・川島総次は先祖にあたる[23]。
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芸名にも表れている通り、様々なキャラクターを演じ分ける一人芝居風のコントを行う。『憑依芸人』とも呼ばれる。川島省吾を「座長」として川島演じる数々のキャラクターを「団員」と呼ぶ。誇張の少ない妙に生々しい演技が特徴で演じるキャラクターはマニアックな人物が多い。最近は演技力に注目され、俳優としてのイメージが強いせいかネタを披露することが激減したが『やぐちひとり』では山岡春樹姿で出続けた。2020年東京オリンピックの開会式(2021年7月23日)においても芸風を活かしたコント風の映像で登場している[27]。
泣き芸が得意で事務所の先輩で同じく泣き芸を持つ上島竜兵(ダチョウ俱楽部)からは泣き芸をやめてくれと言われている。泣き芸はメンタームのリップクリームを直接目に塗るという仕込みが必要だが、常には携帯していないので、長時間ロケの場合は泣けないこともある。泣き芸によって数多くのバラエティ番組に呼ばれたが、目の調子が悪くなり医師からドクターストップがかかったため泣き芸は封印された[29]。