大嶋 和也 Oshima Kazuya | |
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2010年 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1987年4月30日(37歳) |
出身地 | 群馬県 |
スーパーフォーミュラ(SF)およびSUPER GTでの経歴 | |
デビュー |
2015(SF) 2006(SUPER GT) |
所属 |
docomo business ROOKIE(SF) TGR TEAM ENEOS ROOKIE(SUPER GT) |
車番 |
14(SF) 14(SUPER GT) |
過去所属 |
TOM'S,TEAM LEMANS(SF) apr,KRAFT,TEAM LEMANS(SUPER GT) |
出走回数 |
58(SF) 142(SUPER GT) |
優勝回数 | 9(SUPER GT) |
ポールポジション | 10(SUPER GT) |
ファステストラップ | 1(SF) |
過去参加シリーズ | |
2004-2005 2006-2007 2008 2009-2012 |
フォーミュラ・トヨタ 全日本F3選手権 フォーミュラ3・ユーロシリーズ フォーミュラ・ニッポン |
選手権タイトル | |
2005 2007 2007 2019 |
フォーミュラ・トヨタ 全日本F3選手権 SUPER GT(GT300クラス) SUPER GT(GT500クラス) |
大嶋 和也(おおしま かずや、1987年4月30日 - )は日本のレーシングドライバー。群馬県出身。
父親が全日本ラリー選手権のドライバーであった影響もあってか、8歳(小学校2年生)の時にカートを始める。
1997年、カートレースにデビューを果たす。その後、GKT榛名シリーズSクラスおよびFRクラス・全日本ジュニアカート選手権でシリーズチャンピオンを獲得するなど、カートレースに於いて実績を積み重ねた。
2003年、カートレースに参戦を継続する一方で、フォーミュラトヨタレーシングスクール(FTRS)を受講し、スカラシップを獲得した。
2004年にはエッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズに参戦し、シリーズランキング2位となった。なおこの年高校へと進学しているが、レース活動で不足する出席日数を補うために、東京・堀越高校の芸能コースに入学している。
2005年、トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)契約ドライバーとして、引き続きフォーミュラ・トヨタシリーズに参戦しシリーズチャンピオンに輝いた。この年にはマカオGPのフォーミュラ・ルノーレースに出場し、2位表彰台を獲得した。
2006年、全日本F3選手権にステップアップ。当年度は優勝者が6名も誕生するという近年ではまれに見るシリーズであったが、シリーズランキング2位(優勝3回)と好成績を収めた。特筆すべきは、彼の速さを強烈に印象付けたことであり、ポールポジション4回・ファステストラップ5回を獲得し、この記録はシリーズチャンピオンのエイドリアン・スーティル(F1のMF1・テストドライバー、翌年スパイカーよりF1デビュー)よりも上回っている。また、F3マカオGPにも出場し、決勝レースでは7位(この年の日本人最高位)となった。なお、この年はSUPER GT・GT300クラス(梁山泊 apr MR-S)に田中実とコンビを組んでデビューした(シリーズランキング15位)。また、このシーズン最終戦でGT300クラスでの最年少ポールポジション記録を更新した(19歳)。
2007年、引き続き全日本F3選手権およびSUPER GT・GT300クラスに参戦しており、全日本F3選手権では、最終戦(もてぎ)において逆転でシリーズチャンピオンを獲得した(総合ポイントではロベルト・ストレイトが上回ったが、有効ポイントで大嶋が上位となった。)。日本人としては、小暮卓史以来5年ぶりのチャンピオンであり、FTRS出身およびTDP参加ドライバーとして、初めて全日本F3選手権を獲得した。SUPER GTでは石浦宏明とのコンビ、いわゆるヤングガンズで参戦。第2戦(岡山)にてGT300クラスでの初優勝し、第4戦(セパン)でも優勝し、史上最年少でGT300クラスのドライバーズチャンピオン(2位高橋一穂・加藤寛規組とは同ポイントであったが、優勝回数の差でチャンピオンになった)に輝いた。また、F3マカオGPにも参戦し3位に入賞した。
2008年、マノー・モータースポーツ(現在のヴァージン・レーシング)よりユーロF3シリーズにフル参戦し、第8戦(カタロニア)レース2で初優勝したが、シーズン全体としては成績は低調。初優勝以外では8位入賞が1回のみで、ランキング19位(7ポイント)に終わった。
2009年、日本国内の最高峰カテゴリーであるフォーミュラ・ニッポン(トムス)およびSUPER GT・GT500クラス(チームルマン)に参戦。
2010年、フォーミュラ・ニッポン第5戦(菅生)では、燃費的にリスクが高い無給油作戦を敢行し初優勝を飾った(同様の作戦を取ったジョアオ・パオロ・デ・オリベイラはトップに立つが最終ラップでガス欠となった)。
2011年、フォーミュラ・ニッポンでSUPER GTと同じチームルマンに移籍。フォーミュラ・ニッポンでは第2戦(オートポリス)で2位表彰台を獲得し、ランキング5位につけた。
2012年、第4戦(菅生)でGT500初優勝を挙げ、フォーミュラニッポンでも第4戦(富士)で表彰台に登った。
2013年、SUPER GTのパートナーが伊藤大輔から国本雄資へ交代。フォーミュラ・ニッポンのシートを失ったが、SUPER GT最終戦(もてぎ)で優勝を挙げた。
2016年、SUPER GTのパートナーが国本雄資からアンドレア・カルダレッリに交代。2016、2017年と最終戦までチャンピオン争いをしたが、その安定感の高さに反して優勝を挙げることはできなかった。2014年にはマザーシャシーのトヨタ・86をドライブしてタイのスーパーカーレースにスポット参戦、GT3勢を破って2レースで優勝を挙げている[6]。スーパーフォーミュラにトムスから代役スポット参戦した。
2017年、チームルマンから5年ぶりにスーパーフォーミュラにフル参戦。シーズン通してルーキーでありチームメイトのフェリックス・ローゼンクビストの後塵を拝したが、第5戦(オートポリス)では戦略が当たって3位表彰台に登った。
2018年、SUPER GTのパートナーがスーパーフォーミュラでもコンビを組んだローゼンクビストに変更された。この年の4月、F3時代から目をかけられていた山田健二エンジニアが急逝している。この影響もあってか表彰台わずか1回と成績は伸びず、ランキング10位と低迷した。
2019年、山下健太とコンビを組み、チーム無限でスーパーフォーミュラのチャンピオンに貢献した阿部和也エンジニアを迎えた。大嶋が的確なコメントでセッティングを決め、山下が自慢の速さで圧倒するという役割分担が功を奏し、タイで優勝を挙げると続く富士でもピット戦略の成功で2連勝を飾った[7]。ポイントリーダーで迎えた最終戦ではオープニングで順位を落とすも、山下の果敢な走りで2位に入って念願のGT500シリーズチャンピオンを獲得した。またスーパーフォーミュラでも第2戦で3位表彰台を獲得している。
年 | チーム | エンジン | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 順位 | ポイント |
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2006年 | TDP TEAM TOM'S | トヨタ | FSW1 3 |
FSW2 1 |
SUZ1 2 |
SUZ2 6 |
TRM1 5 |
TRM2 6 |
OKA1 8 |
OKA2 Ret |
SUZ1 Ret |
SUZ2 4 |
AUT1 1 |
AUT2 2 |
FSW1 1 |
FSW2 2 |
SUG1 2 |
SUG2 4 |
TRM1 Ret |
TRM2 DSQ |
2位 | 185 | |||
2007年 | FSW1 3 |
FSW2 1 |
SUZ1 1 |
SUZ2 4 |
TRM1 6 |
TRM2 9 |
OKA1 7 |
OKA2 2 |
SUZ1 2 |
SUZ2 3 |
AUT1 3 |
AUT2 2 |
AUT3 1 |
FSW1 1 |
FSW2 1 |
SEN1 Ret |
SEN2 3 |
SEN3 Ret |
TRM1 2 |
TRM2 1 |
1位 | 262 |
年 | エントラント | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | DC | ポイント |
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2008年 | マノー・モータースポーツ | ダラーラ・F308/046 | メルセデス | HOC1 Ret |
HOC2 20 |
MUG1 26 |
MUG2 18 |
PAU1 10 |
PAU2 10 |
NOR1 13 |
NOR2 7 |
ZAN1 14 |
ZAN2 8 |
NÜR1 11 |
NÜR2 20 |
BRH1 Ret |
BRH2 21 |
CAT1 8 |
CAT2 1 |
LMS1 21 |
LMS2 12 |
HOC1 Ret |
HOC2 19 |
19位 | 7 |
(key)
KONDO RACING | DOCOMO TEAM DANDELION RACING | Kids com Team KCMG | ThreeBond Racing | docomo business ROOKIE | TEAM MUGEN | ||||||
3 | 山下健太 | 5 | 牧野任祐 | 7 | 小林可夢偉 | 12 | 三宅淳詞 | 14 | 大嶋和也 | 15 | 岩佐歩夢 |
4 | 小高一斗 | 6 | 太田格之進 | 8 | 福住仁嶺 | 16 | 野尻智紀 | ||||
ITOCHU ENEX TEAM IMPUL | VANTELIN TEAM TOM'S | VERTEX PARTNERS CERUMO・INGING | San-Ei Gen with B-MAX | TGM Grand Prix | PONOS NAKAJIMA RACING | ||||||
19 | テオ・プルシェール(Rd.1) ベン・バーニコート(Rd.2) 平良響(Rd.3-4,8-9) ニック・デ・フリース(Rd.5-7) |
36 | 坪井翔 | 38 | 阪口晴南 | 50 | 木村偉織 | 53 | Juju | 64 | 山本尚貴 |
20 | 国本雄資 | 37 | 笹原右京 | 39 | 大湯都史樹 | 55 | 松下信治(Rd.1-3) 大津弘樹(Rd.4-9) |
65 | 佐藤蓮 |