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本項では、日本とパキスタンの関係(にほんとパキスタンのかんけい、ウルドゥー語: پاک-جاپان تعلقات、英語: Japan–Pakistan relations)について述べる。
日本とパキスタンは1952年4月28日に外交関係を樹立した。以降、日本とパキスタン両国の関係は強い絆で結ばれてきた。年月を経る中で様々な政治局面、経済局面の変化があったものの、日本とパキスタン両国の互恵関係は継続、成長している。
1950年代後半まで、日本とパキスタンの関係は本質的には発展途上国同士の関係に類似していた。パキスタンは日本の織物産業で使用される綿の主要供給地であり、綿の主要貿易相手国の1つであった。一方で日本の紡錘はパキスタンの紡績工場建設に役立てられていた。1960年代、日本は近代工業国家として再び急激な成長を見せ、1968年には世界第二の経済大国に躍り出た(その後、2009年まで約40年に渡って2位を維持[1])。日本は、経済成長に伴ってパキスタンに対しての円借款供与の額を大きくし始めた[2]。日本のパキスタンに対する援助は、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻後2倍にまで増加した。以降、日本はパキスタンの主要経済援助国、主要貿易相手国、外国投資先となってきており、2010年時点で日本はアメリカ合衆国、イギリスにつぐ第三の経済援助国となっている。1965年には友好通商条約が、2002年には投資保護協定が締結された[3]。
東京とイスラマバードは長い年月にわたって誠意ある極めて友好な関係を保っている。日本の経済援助はパキスタンの経済発展や社会インフラの整備に極めて重要な役割を果たしている。日本政府が援助を行なって行われた主要プロジェクトとしては、インダス・ハイウェイプロジェクト、パキスタン諸州の発電所建築プロジェクト、地方道路建設プロジェクトやイスラマバード小児病院建設計画[4]などがあげられる。近年では、JICAによるコハトトンネル建設事業[5]やガジ・バロータ水力発電所建設事業[6][7]が日本の援助を受けて完成したプロジェクトとして知られている。
両国間の高官レベルの会談も定期的に行われている。外交関係樹立50周年となった2002年には両国で記念式典が行われ、友好の歴史に重要な1ページとして加わることとなった。2021年時点で日本には1万9149人の在日パキスタン人が居住[3]、2021年時点での在パキスタン日本人は1,027人となっている[3]。
また、スポーツ面においても、新日本プロレスのパキスタン遠征でアントニオ猪木(ムハンマド・フサイン・イノキ)が地元のプロレスラー、アクラム・ペールワンと対戦するなど両国は交流を続けている[8][9]。
1962年1月、皇太子明仁親王(当時。令和時代の上皇)が美智子妃(当時。令和時代の上皇后)を伴ってパキスタンを訪問。日本の皇族ならびに皇太子としては、初めてのパキスタン訪問となった。その後、1973年2月に三笠宮同妃が、1992年11月に秋篠宮および同妃がパキスタンを訪問。尚、在位中の天皇がパキスタンを訪問した例は、これまでにない[3]。