末松 義規 すえまつ よしのり | |
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生年月日 | 1956年12月5日(68歳) |
出生地 | 日本 福岡県北九州市八幡西区 |
出身校 |
一橋大学商学部卒業 プリンストン大学大学院修了 |
前職 | 国家公務員(外務省) |
所属政党 |
(旧民主党→) (民主党(鹿野G)→) (民進党→) (旧立憲民主党→) 立憲民主党(菅G・江田G) |
称号 |
商学士(一橋大学・1980年) 中東学修士(ブリンストン大学大学院・1986年) |
公式サイト | 末松義規の公式サポーターサイト |
内閣 |
野田内閣 野田第1次改造内閣 |
在任期間 | 2011年10月3日 - 2012年2月10日 |
内閣 |
野田内閣 野田第1次改造内閣 |
在任期間 | 2011年9月5日 - 2012年2月10日 |
選挙区 |
(東京19区→) (比例東京ブロック→) (東京19区→) (比例東京ブロック→) 東京19区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 |
1996年10月20日 - 2012年11月16日 2017年10月23日 - 現職 |
末松 義規(すえまつ よしのり、1956年〈昭和31年〉12月5日 - )は、日本の政治家、外交官。立憲民主党所属の衆議院議員(8期)。
復興副大臣・内閣府副大臣(野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(野田内閣・野田第1次改造内閣)、内閣府副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長・東日本大震災復興特別委員長・消費者問題に関する特別委員長・青少年問題に関する特別委員長などを歴任。
祖父は日本統治時代の朝鮮で京畿道知事補佐官を務めた末松武生[1][2]。外祖父は元南満州鉄道社員[3]。また縁戚に伊藤博文元総理の娘婿である末松謙澄がいる[1]。
福岡県北九州市八幡西区引野生まれ[4]。北九州市立引野小学校、北九州市立引野中学校、福岡県立東筑高等学校を経て、一橋大学商学部卒業[4]。中学校では柔道部、高校ではラグビー部、大学では少林寺拳法部に所属し、少林寺拳法は黒帯[4]。大学在学中は法学部の皆川洸ゼミ(国際法)に所属していた[4]。
1980年、外務省に入省。同期に石井正文、片上慶一、越川和彦、井出敬二、須永和男、小原雅博、高橋礼一郎、山田文比古、山崎純、水谷章らがいる。大学では中国語を学んでいたが、アラビア語研修を命じられた[4]。おりしもイラン・イラク戦争が勃発し、担当課に配属された[4]。その後、シリア・エジプトでの語学研修を経て、プリンストン大学中東学部大学院修士課程に留学し、1986年に修了した。その後、在イラク日本国大使館二等書記官[4]。帰国後の1986年、資源エネルギー庁石油部計画課に出向[4]。1990年、外務省中近東アフリカ局中近東第二課に配属された直後、湾岸戦争が勃発した。
1994年、政治家を志し、外務省を退官した[4]。同年、調布市長選挙に無所属で立候補したが、現職の吉尾勝征に敗れた。
その後、旧東京7区選出の菅直人から後継指名を受け、1996年の第41回衆議院議員総選挙に東京19区(旧7区は18区・19区に分割され、菅は18区から出馬した)から旧民主党公認で出馬し、新進党前職の渡辺浩一郎らを破り、初当選した[4]。
2000年の第42回衆議院議員総選挙、2003年の第43回衆議院議員総選挙では、東京19区で再選[4]。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、東京19区で自由民主党新人の松本洋平に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、4選[4]。同年9月12日、民主党代表の岡田克也が、総選挙大敗の責任をとり辞任を表明[5]。岡田の辞任に伴う代表選挙(9月17日実施)では菅直人の推薦人に名を連ねた[6]。
2006年3月31日、民主党代表の前原誠司が、堀江メール問題の責任をとり辞任を表明[7]。前原の辞任に伴う代表選挙(4月7日実施)では菅直人の推薦人に名を連ねた[8]。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、東京19区で前回敗れた自民党の松本を比例復活すら許さない大差で破り、5選。同年、衆議院消費者問題に関する特別委員長に就任。
2010年、菅直人第1次改造内閣で内閣府副大臣(消費者問題・沖縄政策・北方領土対策、海洋政策、食品安全、少子化対策、男女共同参画、ワーク・ライフ・バランス推進、自殺対策、共生社会政策)に任命され、菅直人第2次改造内閣まで務める[9]。
内閣府副大臣在任中の2011年3月11日、東日本大震災が発生し、6月27日より東日本大震災復興対策本部宮城現地対策本部長[4]。同年8月26日、菅直人首相が民主党代表辞任を正式に表明[10]。菅の辞任に伴う代表選挙(8月29日実施)では鹿野道彦の推薦人に名を連ねた[11]。同年9月、野田内閣発足に際し、内閣総理大臣補佐官(東日本大震災復興対策担当)に起用され、10月からは復興担当に加え、少子化対策及び自殺対策も担当。野田第1次改造内閣でも留任した[12]。
2012年2月10日、復興庁の発足により首相補佐官を退任し、内閣府副大臣及び初代復興副大臣に任命され、野田第2次改造内閣でも留任[4]。10月、野田第3次改造内閣の発足に伴い内閣府副大臣、復興副大臣を退任し、衆議院東日本大震災復興特別委員長に就任。12月の第46回衆議院議員総選挙では、東京19区で自民党元職の松本洋平に敗れ、比例復活もできず落選した[13]。
2014年の第47回衆議院議員総選挙にも民主党公認で東京19区から出馬したが、自民党前職の松本に敗れ落選した[14]。
2016年3月27日、民進党が設立。末松は同党に所属する。
2017年9月28日、民進党の前原誠司代表が、民進党を事実上解党し、希望の党に合流する方針を表明[15]。それに先立ち、末松は9月25日に民進党に離党届を提出した[16]。10月2日、枝野幸男は新党「立憲民主党」を結党すると表明[17][18]。10月3日、希望の党は衆院選の第1次公認192人を発表。同党が東京19区に女子美術大学短大部非常勤講師の佐々木里加を擁立したことが明らかとなった[19][20]。末松は立憲民主党に入党し、10月6日、同党から東京19区で公認を受けた[21]。10月22日、衆院選執行。選挙戦では「誠実なリベラルの復活」を掲げ[22]、選挙区では自民党前職の松本に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、5年ぶりに国政に復帰した[23]。
2018年10月24日、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会の委員長に選出された[24]。
2020年9月15日、旧立憲民主党と旧国民民主党は、2つの無所属グループを加えた形で新「立憲民主党」を結成[25]。末松も新党に参加。
2021年の第49回衆議院議員総選挙で前回敗北した松本に競り勝ち7選(松本は比例復活で当選)[26][27][28][注 1]。
2024年の第50回衆議院議員総選挙で再び松本に競り勝ち8選(松本は比例復活で当選)[29]。
ロシア関連
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 39 | 東京都第19区 | 旧民主党 | 7万6599票 | 32.52% | 1 | 1/6 | / |
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 43 | 東京都第19区 | 民主党 | 11万8852票 | 45.41% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 46 | 東京都第19区 | 民主党 | 13万6082票 | 52.94% | 1 | 1/4 | / |
比当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 48 | 東京都第19区 | 民主党 | 13万3180票 | 44.45% | 1 | 2/3 | 1/6 |
当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 52 | 東京都第19区 | 民主党 | 17万437票 | 55.04% | 1 | 1/5 | / |
落 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 56 | 東京都第19区 | 民主党 | 8万1490票 | 27.64% | 1 | 2/5 | / |
落 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 58 | 東京都第19区 | 民主党 | 8万7584票 | 33.34% | 1 | 2/4 | / |
比当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 60 | 東京都第19区 | 旧立憲民主党 | 9万540票 | 38.71% | 1 | 2/4 | 2/4 |
当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 64 | 東京都第19区 | 立憲民主党 | 11万1267票 | 43.03% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 67 | 東京都第19区 | 立憲民主党 | 7万6899票 | 39.43% | 1 | 1/4 | / |
公職 | ||
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先代 |
内閣総理大臣補佐官 (東日本大震災復興対策担当→ 東日本大震災復興対策、少子化対策及び自殺対策担当) 2011年 - 2012年 |
次代 |
先代 新設 |
復興副大臣 松下忠洋 中塚一宏と共同 2012年 |
次代 黄川田徹 今野東 前川清成 |
先代 石田勝之 後藤斎 中塚一宏 |
内閣府副大臣 石田勝之 後藤斎 中塚一宏 松下忠洋と共同 →石田勝之 後藤斎 中塚一宏 吉田泉と共同 2012年 |
次代 白眞勲 藤本祐司 前川清成 今野東 園田康博 大島敦 松宮勲 |
先代 大島敦 平岡秀夫 大塚耕平 |
内閣府副大臣 東祥三 平野達男と共同 →東祥三 山口壯と共同 2010年 - 2011年 |
次代 石田勝之 後藤斎 中塚一宏 |
議会 | ||
先代 横光克彦 |
衆議院沖縄及び北方問題 に関する特別委員長 2018年 - 2019年 |
次代 菊田真紀子 |
先代 古賀一成 |
衆議院東日本大震災復興特別委員長 2012年 |
次代 後藤田正純 |
先代 船田元 |
衆議院消費者問題に関する特別委員長 2009年 - 2010年 |
次代 生方幸夫 |
先代 玄葉光一郎 |
衆議院青少年問題に関する特別委員長 2009年 |
次代 池坊保子 |